【麻雀小説】中央線アンダードッグ 第31話:ペリカ【長村大】

中央線アンダードッグ

長村大

 

 

第31話

 

飯田橋、特に神楽坂とは反対の東口の夜は静かだ。日を超えて終電が過ぎれば、もはや歩く人はほとんどいなくなり、道を走る車もいなくなる。片側3車線の広い道路、立ち並ぶ大小のビル、誰のためでもなく色を変え続ける信号たち。ひとっこ一人いない、まるでどこぞの漫画や映画で見た終末後の世界のようだ。

しかしこれは現実である、通りの脇に佇むマンションの一室では、男が二人、無言で作業に没頭している。プリンターから次々と吐き出される紙、一人は印刷された線に定規をあて、丁寧にカッターを入れている。もう一人は切り取られた紙をまとめ、裏側の白紙部分に、ひたすらに判子を押し続けている。

その紙切れは、我々がひどく愛し、同時にひどく憎むあいつを模していた。

まれに二人の目が合うが、まるで電車の中で知らない異性と目が合ってしまったように、白々しく視線をそらす。彼らの目は暗い光を帯びていて、それはすでに犯罪者のそれに近い。

むろんカッターを引いている男がおれ、判子を叩き続けているのがソダだ。なんとはなしに溜息をついた、ソダも同時に溜息をついているのが見えた。

 

 

話はここから三か月ほどさかのぼる。

その時期、我々バベルはヒマであった。ヒマというのは、単純に仕事が少ない、ということだ。とはいえみな一応は事務所に来る。来るが、やるべき仕事も大してない。するとどうなるか、当然遊ぶ。一応昼のうちは仕事しているようなふりをしてパソコンの前に座っていたりもするが、夕方になるとT書房の人間や、ヒマそうなプロ、マスコミ関係の麻雀好きなどを集めてセット麻雀を組む。人が集まらなければ飲みに行く。あるいは事務所でチンチロリンなどが始まる場合もある。いずれこの時期、いろんな人間が出入りしていたものだが、T書房のヤナセの出席率はほぼ100%であった。

「しかしあれやな」

ある日、ソダがボソっと言った。

「これやと2~3か月後にえらいことになっているかもわからへんな」

バベルの主な取引先は、出版社である。そして出版社のギャラが振り込まれるのは、仕事から2か月3か月後というパターンが多いからだ。

「あーまあそうだよなー」

「でもなんとかなるやろな」

しかし我々はどこまでも楽観的であり、かつ不都合な未来から目を逸らすことに余念がなかった。

 

ソダの予言、というほどでもない当たり前の指摘は、当然現実のものとなった。元々が無い金をむりやり回しているのである、毎日遊んでいれば当然破綻は訪れる。

この頃には、麻雀その他バクチごとで現金が動くことがほとんどなくなっていた。理由は至ってシンプルで、金が無いからだ。誰もが誰かに貸しと借りがあり、負ければ誰かに貸している金を押し付け、勝っても誰かの借金を押し付けられるだけとなっていた。

そんな無意味なものやらないほうがマシだ、と思うだろう。我々だってそう思っていた、だがなぜかそうはならない。時間ができるとなにかしらが始まってしまうのだ。

飯田橋界隈での債権問題は複雑に絡み合い、皆が皆、誰にいくら貸し借りがあるかを書いた謎のメモを持ち歩く状況であり、もはやそのメモが資産のようになってきた。末期的である。名著「ドサ健ばくち地獄」にも、コミュニティ内で口座が空の小切手や借用証が出回る描写があり、それと似ていると言えば似ているのだが、いかんせん額面がショボいところが情けなかった。女の子がみなヴァレリに憧れるように、我々はみなドサ健に憧れる、なぜならドサ健みたいには生きられないからだ。

「これはさすがになんとかせなアカンな……。小山田、今夜ちょっと手伝ってや」

ソダが小声でおれに呟いた。

 

そして、冒頭のシーンである。

翌日、バベルのメンバーにソダが宣言した。

「えーご存じの通り、我々の財務状況は大ピンチを迎えております。とりあえずは遅配になっている給料を支払いますので、それで個々人間の貸し借りを精算していただきたいと思います」

おれが昨日印刷した、紙幣に似せた束をそれぞれに配った。表面に10000と1000が印刷された二種類、いずれもバベル代表のカジのイラストがプリントされており、裏面にはバベルの社印とシリアルナンバーが押されている。

「ペリカです」

「ペリカ?」

「1ペリカ=1円、今後、現金がない場合はバクチごとの精算はこれで行ってください。会社に現金ができしだい、換金いたします」

「いやでもこれ、おまえ……」

カジが言いかけたのを遮って、ソダが続けた。

「そうです、これは明確な犯罪行為です。なので、絶対に! これを事務所外で使用したらあきません。パン屋のおばちゃんに出したらアカンよ」

「当たり前だろ! まあでも後で換金できるんだよな?」

「もちろんです。あとパソコンの中にデータもありますが、バベルの社印とナンバーの入っていないものは無効なので偽造はできません。万が一偽造が発覚した場合は重罪になります」

おれが答えた。

「重罪とは?」再びカジが言う。

「重罪です」

「……」

「では、とりあえず精算を始めましょう。借金メモを出してください」

 

なにか釈然としない雰囲気のまま、精算が始まった。おかしなもので、借金がなくなったというのに、明るい顔をしている者は誰もいなかった。

 

 

第32話(7月24日)に続く。

この小説は毎週土曜・水曜の0時に更新されます。

 

長村大
第11期麻雀最強位。1999年、当時流れ論が主流であった麻雀界に彗星のごとく現れ麻雀最強位になる。
最高位戦所属プロだったが現在はプロをやめている。著書に『真・デジタル』がある。
Twitterアカウントはこちら→@sand_pudding
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