4月5日、最高位戦の坂本大志プロが、新型コロナウイルスに感染した。現最高位が!とあってこのニュースはツイッターやラインなどでまたたく間に広がり、麻雀業界に衝撃が走った。その後4月14日に退院。 坂本プロにコロナのつらさを取材した。(文・赤松薫)
町医者に言っても見てくれない
坂本プロが体調の異変に気付いたのは、3月31日(火)の午後だ。数日前から咳が出ていたが、喘息の持病があるため、かかりつけの医者でも「いつもの咳」と診断されていた。前週末は東京でみぞれが降ったのに桜が咲くなど寒暖差が激しかったが、2日前の四神降臨で優勝、前日の研究会に参加した時もそれほど不調とは思っていなかった。
「31日(火)に家で仕事をしていたら咳がひどくなり、熱を測ると37.5℃あり、インフルエンザのような症状になりました。体がだるいので病院に電話したところ『新型コロナのPCR検査を受けられるのは37.5℃以上の発熱が4日以上続いた人に限られているし、ここ(町医者)では検査できない』と言われたので、そのまま家で寝ていました」
明けて1日の昼頃、もう一度かかりつけの病院に電話してみると「午後は休診で、来てもPCR検査ができる機関ではないので、熱が続くようならまた電話してください」との対応。体調は一向に良くなる気配がなかった。
「これはコロナだな、と思いました。インフルエンザだと2日くらい寝ていたら熱が引いてくるのですが、ずっとつらくて。食欲もないんですけど水分などを取るために近所のコンビニには行きました。フルーツゼリーなど食べやすくて体にやさしそうなものを食べていました」
そして翌日、かかりつけの病院はあきらめて保健所に相談するが、こちらも
「熱が4日間続いたら連絡ください」
などとあまり親身になってくれない。なんとか自宅から徒歩圏の病院を紹介してもらって電話すると
「診察しますけど検査はできません」
とそっけない。それでも受診して「熱が続いている」と言うと、PCR検査のできるT病院への紹介状を書いてくれた。その日の病院で処方された薬は全く効かなかった。
PCR検査は一瞬
翌日、朝一番でT病院の発熱外来に向かう。
「ここは大きい病院なのですが、コロナの疑いのある人が行く発熱外来は隔離されたところにあり、敷地の中を建物沿いにぐるっと歩いて行きました。敷地のはずれにテントがあって、その中で体温を測って問診票を書きました。問診票を書いている時間が一番長かったですね。やがて建物の中に入りますが、それも隅っこの部屋の一角で、検査はあっという間でした。先に綿のついた針金を鼻の穴に突っ込んで終わり。陽性なら電話で知らせる、陰性なら1週間程度で郵送されると言われました。その間もずっと熱は下がらず、体はだるいんですが、前日に一応町医者から投薬されているので処置などはまったくなく、検査だけで帰されました。その時点で最高位戦事務局に『コロナかもしれない』ということを連絡し、5日(日)の最強戦の解説の仕事を辞退するラインを送りました」
自宅に帰りついたのはまだお昼前。その後も体調が悪いまま、コンビニで買った飲み物やゼリーを口にしながら過ごした。
「これではいけないと思ったのは、4日(土)になってからです。熱は下がらず、咳も頭痛も寒気もひどくて耐えられないと思いました。自分はたぶんコロナだろうと思っていて、昨日やった検査で陽性と診断されてからでは間に合わない、このままでは死んでしまうという危機感が押し寄せてきました。吐き気はなかったですが、そもそも食欲がなくてまともに食べてませんからね。午後になって、自分で119に電話しました」
救急車はマンションに横付けせず、少し離れたところに停車。やって来た救急隊員に症状を伝えると「とにかくまず換気を」とドアを開け放たれた。
「すぐにどこかに運び込まれるかと思っていたのですが、そこから受け入れ先を見つけるのにすごく時間がかかりました。私が苦しくてもうろうとしている部屋のドアの辺りで、救急隊員が方々に電話しているのが分かりました。でも、コロナかもしれない患者なので、すぐには受け入れてもらえないんです。基本的には自宅から近い病院から順番に探していく決まりがあるようで、S病院(都内、住んでいる所とは別の区)の個室に入れるとわかったのは、2時間後のことでした」
取るものもとりあえず、着のみ着のまま、現金とスマートフォンだけを持って救急車へ。やっと大きな病院で処置を受けることができたのは4日(土)の昼下がり。最初に発熱し、体調の悪さを自覚してから、じつに丸4日がたっていた。
体が楽になってから「コロナです」と告げられ
S病院では、意識がもうろうとしたままでいろいろな処置を施された。
「S病院での処置は早かったと思います。人工呼吸器は付けませんでしたが、注射を何回かされて、点滴もされたと思います。熱が39℃以上あるらしいということはわかりましたが、自分はもう何も考えられず、寝ていただけですね。
翌朝、日曜日になってから『検査結果を問い合わせたらコロナが陽性だった』と告げられました。その時点では熱も下がって、いろいろな症状が落ち着いていました。
その日のうちに、保健所の聞き取り調査の人も来ました。住んでいる区と入院先の区と別々に来て、症状や経過など同じようなことを聞いていきました。その当時の濃厚接触というのは発熱前に接触した人との距離の問題ではなく、発熱してからの接触のことみたいです。発熱してからの行動のことを聞かれて、事実の通り、いろんな医療施設に電話したり行ったりする以外はだいたい家で寝ていたと答えました。
その日から普通に病院食を食べられるようになり、つらい時期は過ぎました。コロナと診断されてからは公費で治療が受けられるので金銭的な心配もほとんどなく、あとは回復を待つだけです」
この電話取材をしたのは、入院から1週間後だ。
「この病気が重症化するかどうかの境目は、発症してから10日目だと言われました。幸い、私は10日目にはもう熱が下がっていて重症にはなりませんでした。それでも死ぬかと思うくらいつらかったんですけどね。熱があるのに処置してもらえず4日間放置されてる時は、本当につらかったです。コロナかどうかじゃなくて、今、この瞬間に苦しいのを何とかしてほしかったです。
熱が下がって24時間後に検査をして、さらに24時間後に検査をして、2回陰性だったら退院できるそうです。すでに2回検査はして、結果待ちです(実際この電話の2日後に退院)。検査自体はT病院と同じで、綿のついた針金を鼻に突っ込むだけです。今は結果を待ちながら朝昼晩と病院食を食べ、外の景色を眺めたり、眠ったりして過ごしています。体重が90キロを切ったのは何年振りか、思い出せませんねえ」
熱も下がり、症状も出なくなった今、思うことは?
「人に迷惑をかけたなあ、と思うと本当に申し訳ないです。自分の症状もつらかったんですけど、それ以上に多くの人に迷惑をかけたことがつらいです。あの時期、麻雀界ではいろいろなイベントが、延期になるか強行するかという状態だったと思うんですが、私がコロナにかかったことで延期の引き金を引いてしまったと思います」
最高位というスター選手の立場で新型コロナウイルスに感染し、麻雀業界の多くの人に心配と迷惑をかけた自責の念は大きいだろう。しかし、彼自身、体がつらい中でも早め早めに連絡を取り、最善を尽くしたのは間違いない。
世間が、そして麻雀業界が早く通常に戻ることを最も祈っているのは坂本プロかもしれない。
【近代麻雀6月号(2020年5月1日発売)「ドキュメントM」より一部抜粋】