ワケ有りカップルの
受け入れ先だったパチンコ店
30年以上前の学生時代、高田馬場のパチンコ店で、正社員として働いてました。
当時のパチンコ店は、私のような貧乏学生や、頼る先も無しに地方から上京した者にとっては、ありがたい職場でした。
寮や食事付きの店も多くて、その日から東京で生活ができるんです。
初任給が五万円くらいの時代だったと思います。
今では信じられないことですが、当時のパチンコ店はお客さんに対して高圧的な態度が日常的でした。
その店の主任は、三十代のスキンヘッドの三白眼で、顔つきも体つきも捻じれてるようなイメージでした。
「やんのかコラ」
という雰囲気です。
白いエナメルの靴のカカトの金属片と、手に持ったカギ束をチャリチャリ鳴らしながら店内を巡回してました。
「おぅ、邪魔だよ」
学生らしきお客さんのバッグを蹴飛ばしてましたが、今では考えられません。
お客さんが台を叩いたり揺らしたりすると、有無を言わさず玉を没収。
口答えすると、胸倉を掴んで裏のガレージに引きずり込んで脅してました。
ガレージには高級外車が数台並んでいて、それもお客さんにとってはプレッシャーになった
ようです。
余談ですが、パチンコ店の社長の高級車は、負けたお客さんにイタズラされることが多いので、人目につかない所で停車や駐車するのが普通です。
主任は小柄で痩せてましたが、店内やガレージでのケンカに負けたことは無さそうでした。
「お前らも、客2人までは1人で勝てよ。それ以上になったら助けてやる」
なんて、無茶なことを言ってました。
主任は当時のパチンコ店に多かった、いわゆる地方からの駆け落ち組で、大柄で色白な彼女は同じ店のカウンターで働いていました。
「おい、お前ちゃんとやっておけよ!」
「はい、主任」
私たちの前では彼女に対して偉そうにしてましたが、2人だけになると、主従関係は逆転していたそうです。
やがて2人は店の商品を横流ししてるのがバレて、夜逃げしてしまいました。
その後地のヤバそうな組織から追っ手がかかって来てました。
金か女関係かは分かりませんが、よっぽどの不義理をしてたんでしょうね。
横流しがバレたおかげで早めに逃げられたので、運が良かったとも言えそうです。
当時の業界情報誌には「お訪ね者コーナー」というのがあって、店の金を持ち逃げした店長などが顔写真付きで、プライベートに指名手配されてました。
「発見者には高額謝礼進呈。ただし当局には知らせずに、こちらの連絡先のみに通報してください」
ちょっと怖いですよね。
見事な連携
容疑者の連行
当時の麻雀店も、規模は小さいものの似たような状況で、紙袋一つで寮に転がり込む従業員がたくさんいました。
時代屋さんと呼ばれていた年配のメンバーは、麻雀の美味くて客あしらいも上手で、特に遊び人やならず者の扱いは見事でした。
「銀ちゃんよ、これから男を売り出そうっていうアンタが、こんな目腐れ博打の借金で、安目を売っちゃいけねえよ。それとも周りから、下手打ちの銀次郎って呼ばれてえのか?」
なんて芝居がかった物言いで相手の自尊心をくすぐり、店が貸してあるお金を効率良く回収するんです。
残念なことに、回収したお金を着服しているのがバレて、クビになってしまいました。
現在の雀荘でも、こうしたトラブルや犯罪はけっこう起こっています。
私の店でも以前、閉店後に泥棒に入られたことがあります。 すぐに警察に通報して調べてもらいました。
「あなたは社長に連絡したそうですが、もし良かったら携帯電話の発信履歴を見せてくれませんか?」
刑事さんは新人従業員の怪しいと目星をつけたようでした。 本人が白状したので、警察まで任意で出頭して貰います。
「社長さんちょっとこちらへ」
「はい」
「私たちはパトカーで2人で来てます。社長さんにも同行していただきたいんですが、後部座席の奥に座ってください。被疑者を真ん中に座らせて、私が入り口に座って、逃げられないようにします」
そう言えば私も以前、ある出版社にパトカーで手書き原稿を届けたことがありますが、確かに真ん中に座らされました。
また別のどろぼうを、捕まえた時の話です。
「もしもし、どろぼうをタクシーに乗せて、警察に向かってますが、どうすればいいんでしょう?」
「了解です。まずあなたが暴力を振るわないようにしてください。場合によってはどろぼうよりも罪が重くなります」
「はい」
「途中、信号待ちの時に逃がさないように注意してください。 署の前で、私たち数人が2列に分かれて待機してます。その間にゆっくりとタクシーを入れてください。私たちが完全に包囲したらドアを開けてください」
見事な連携ですね。
(文:山崎一夫/イラスト:西原理恵子■初出「近代麻雀」2012年8月1日号)