もう仕事を辞めよう…
“百恵ちゃん、
地獄の期間工時代編”
【百恵ちゃんのクズコラム】
VOL.32
決意
「仕事を辞めよう」
「次の契約更新は断ろう」
いつだって思っていたことだった。
だがいつも断れなかった。なぜなら契約更新をすると10万円がもらえるからだった。契約更新が近付き、脳裏に10万円がチラつきはじめるととそれまでの決意はいとも簡単に崩れ落ちる。百恵ちゃんの考えることはもっぱら10万円の使い道にシフトチェンジされてしまうのだ。
しかし、今度は違った。期間工の契約は最大で2年11ヶ月が限度なのである。2年11ヶ月を終えた期間工は1ヶ月おいて再入社をする。そのため『2周目』という概念があった。百恵ちゃんはその1周目が終わるところだった。
大抵2周目で正社員登用の話が来るという流れがあり、百恵ちゃんも再入社してしばらくすれば正社員になるものだと思っていた。その頃には会社を結構気に入っていたのだ。
仕事はキツいが北海道で女がもらう給料としては破格だったし、祝日はないが10連休クラスが年に3回、有休も年12日ある。食堂のご飯だっておいしい。何より一緒に働いている人たちが大好きだった。
「ずっとこの会社で頑張ろう」
メインコンベアをぶっ壊すまでは本気でそう思っていたのだ。
メインコンベアを壊したこと自体は特に傷にはなってはいなかった。ミスはミスだがその後の対応は教育された通り行っていたのでそのことで怒られることは一度もなかった。
だが百恵ちゃんはあの時の雰囲気がトラウマになっていたのだ。そして今後この百恵ちゃんがミスをしない訳がないだろうという謎の自信も持っていた。
そして百恵ちゃんは第二のミスである追突事故をおこしてしまう。
猛吹雪の中、一時停止で止まっている車に追突してしまった。気が付かなかったわけではなく、かなり前の段階からブレーキを踏んでいたが雪のせいでスリップしてしまってブレーキがなかなか効かず、最後は思い切ってギアをパーキングに入れてみたりもしたが間に合わなかった。
ぶつかるときにはスピードはほとんど出ていなかったが、小さく塗装が剥げたということで14万円の請求が来た。お金が大好きな百恵ちゃんはお金を払いたくなくてかなり落ち込んだがちゃんと支払った。
車を作っている工場ということもあり交通関係に関してはかなりうるさかった。定期的な車両点検、車検証や任意保険の点検なども徹底的に行われていた。そんなこともあり、百恵ちゃんはこの事故を起こしたことによって人生で初めて始末書を書かされた。
二度も失敗を犯し、鬱々とした気持ちで仕事をしていると上司たちがざわつきはじめた。
「愛知県にある工場が爆発した」
という一報だった。
はじめは誇張した表現かと思ったが本当に爆発したようだった。百恵ちゃんは生まれて初めて『爆発』という言葉の正しい使い方をしている場面に遭遇した。
爆発した愛知県の工場で作っていたのは百恵ちゃんたちのラインに欠かせない部品で、なおかつその工場でしか作られていないものだった。
会社が『極力在庫を持たない』という方針だったため、2日と持たずラインは止まった。しかも爆発した工場が復旧するには1ヶ月必要とのことだった。
ラインが止まると何をするか。掃除である。しかし掃除は毎日必ず15分しているし、何よりかなり新しいラインだったためそれ程汚れていなかった。そのピカピカのラインを更にピカピカにする作業を8時間もやらされ、それが何日も続いた。
「こんなことするために生まれてきたわけじゃないし」
と思うようになり、決意を固め再入社はしない意向を上司に伝えた。
それからのことはあまり覚えていない。とても寂しかったことだけは覚えている。
自分から辞める癖に百恵ちゃんの代わりに入ってくるであろうまだ見ぬ人にさえ嫉妬したりもしていた。
そして退社する頃には入社当時は26キロだった握力が41キロにまで成長し、体重は8キロ痩せ、健康体を手に入れていた。
そしてなにより、地獄の日々は百恵ちゃんのねじ曲がった根性を徹底的に叩き直してくれた。
もしも、百恵ちゃんがこれから体重がたくさん増えてしまったり、お金に困ったり、性格がもっと悪くなってしまったら、また工場にぶち込んで欲しいと思う。
人生をやり直したいと思っている人にはうってつけの場所なのだ。
次回は6月4日(木)午前8時更新予定‼︎
【田渕家登場人物紹介】
・父 コージ:元陸上自衛隊幹部高卒ながら佐官まで登り詰めるも「髪型が奇抜すぎる」という理由で100年に1度あるかどうかの異動の内示取り消しをされた経験がある。現在は三度目の暖かな家庭を築いている。
・母 イクコ:美容師。美容室を自宅で開業するもパチンコにハマり開店休業状態を約20年続けた猛者。おそろしいほど料理が下手。ツーブロックにしたことがある。近況を知らせる連絡では年下のペンキ屋さんとお見合いをしたらしい。
・姉 タエ:無職。1度も定職に就いたことがなく家賃を滞納してはクビが回らなくなりお父さんに払ってもらいに帰ってく るお調子者。過去に大きな交通事故に遭いウン百万円もの保険金を手にするが全てホストクラブに費やした経験がある。
・エリー:田渕家の飼い犬。詐病のプロ。足をひきずったり弱ったふりをしては人間に甘やかしてもらう。動物病院で『至って健康』という診断をされるとそれまでの弱りっぷりを忘れ、凛々しい顔で帰ってくる。趣味は父の顔に噛みつくこと。オスだが思いつきでエリーと名付けられた。
・マイちゃん:母親同士が同じ美容師で仲が良く、物心がつく前から一緒にいた幼なじみ。かなりの美人だが偏差値は2くらいしかない。現在は3人の子供を産み働きながら育てているが一度も結婚したことはなく、更に子供たちは全員父親が違うという斬新なファミリーを築いている。そして最近ロシア人の子供を産んだばかり。
北海道出身。最高位戦日本プロ麻雀協会40期。座右の銘は「ビールは一日3リットルまで」。『近代麻雀』でも同コラムを連載中!