【仲林圭のゲスコラム】
こんばんは。今週もコラムの時間がやってきた。お財布を落とした仲林は先日カードの再発行やらなんやら色々とやってきたのだが、めちゃくちゃめんどくさかった。絶対にお財布は落とすべきではない。
さて、今現在、執筆している時間は22日の11時半だ。締め切りは21日中だったので、完全に遅れている。理由は今日が火曜日だと勘違いをしていたためだ。つまりはうっかりさんである。朝8時に起きて、コンビニでマガジンを立ち読みしているときに気付いておかしくないが、全く気づかなかった。「東京卍リベンジャーズ」が面白かったと言う感想しか湧かなかったのだ。急いで今執筆をしている。赤裸々に話していくスタイルである。
さて、また昔話に戻って行こう。
テニスサークルに入った仲林は新歓合宿に参加をした。テニスサークルに入っていながら、ラケットも持っていなかったし、いつもミランのユニフォームを来て練習に参加をしていた。はっきり言って、飲むためだけに参加してたと言っても過言ではないだろう。
飲み会が始まり、何時間か経つと先輩が麻雀をするから誰か一年で打てるやついないかと聞いてきた。仲林は嗜む程度にはと言うと、先輩の部屋に連れて行かれ、麻雀をすることになった。約2年ぶりに牌に触ることになったのだ。
大好きだった麻雀牌に触れると、まるであの頃の記憶が戻ったかのように、仲林は躍動していた。何半荘か打つと昔の仲林の姿に戻っていた。雀鬼と言われていたあの頃に。もちろん冗談だ。雀鬼ファンの方々怒らないでください。
それからと言うもの、仲林はまた麻雀にハマり続ける事になる。そして、片山先生のお店であった吉祥寺にあるミスチョイスに入り浸るようになった。当時には珍しく、根本さんや京杜さん、朝倉さんなど女流プロがたくさん働いている店であった。桜庭さんと言う最高位戦のプロがめちゃくちゃ可愛かったので、彼女の出勤の曜日は必ず行くようにしていた。
だいたい、大学生で遊びに行っていた雀荘でメンバーになるのは通り道だと思う。もちろん仲林もとある日よりメンバーで働く事になった。
出勤2日目、朝9時から出勤をした。雀荘の仕事にしては朝が早かった。
11時半くらいになった頃だろうか、一人のおばさんが来店をした。いらっしゃいませと声をかけると、そこに立っていたのは仲林の母親だった。麻雀で高校を留年した仲林にまた麻雀をさせるわけには行けないと思い、連れ戻しに来たのだった。
待ち席に座らせ、12時にもう一人メンバーが来るため、それまで出ることが出来ないことを伝えた。
12時になり、家に連れて帰らされる事になった仲林。恥ずかしくて、それから当分ミスチョイスに顔を出すことが出来なくなっていた。曽木さんに会うと大体いつもこの話をされる。黒歴史の一つだ。
それでも麻雀をしたくてたまらなかった仲林は、サークルの先輩の薦めで歌舞伎町にあった「もえはうす」と言う雀荘で働き始める事になった。はっきり言ってとんでもないクソ野郎である。親からしたら、また留年されるのではないかと言う不安にかられるのも当たり前である。
そんな「もえはうす」で仲林は運命の出会いをする事になる。
日本プロ麻雀協会所属。主なタイトルは第10期雀竜位、第7回オータムチャレンジカップ優勝。麻雀界きってのゲス雀士として賛否両論を巻き起こしながらも前向きに活躍中。