結果としてこの判断は失点を防ぐことになる。

15巡目にまっすぐ打っていればテンパイとなるを引いていたのだ。
その場合はおそらく醍醐の待ちが放たれていたはずだ。
ここで萩原が親番だからといって真っすぐ突き進むのではなく、我慢したことは、長いリーグ戦のレギュラーシーズンでのちのち意味が出てくるだろう。
この時の私と同じように、多くの人も手に汗握りながら見ていたと思う。同じようにテンパイする前に手を壊してくれと祈る人もいれば、フェニックスのファンは「テンパイしろ!」と思っただろう。そうやってファンによっていろいろ思いや角度がありながらも、楽しめるコンテンツがあることはすごくありがたいことだと思う。勝っても負けてもその瞬間、熱狂している、つまりは楽しんでいるに違いない。
萩原が思うMリーグの理想像に「理想像はまだわからないけど」と前置きしたうえで、Mリーグが「国民的なものになってほしい」と言っていた。正直、自分もそうなってほしい。これは麻雀プロでありMリーグファンとしての意見だ。
そうすれば、地方在住でなかなかMリーガーに会える機会がないと話していた友人がいたが、もっとメジャーなコンテンツになることで、それも叶うかもしれない。結果、もっとMリーグを知る人が増え、これまでがそうであったように今から想像できないことが起きるだろう。
最後に、あらためてMリーグにはファンによっていろんな楽しみ方がある。この瞬間は違うことを祈っていても、広い目で見たときに同じMリーグを通じて応援する仲間だ。先ほど例に挙げた誰を攻撃するような応援ではなく、誠実に応援、対応することで、いつか推しの選手、私にとって萩原に会場で会ったとき、全力のRMOをしてくれるかもしれない。