西原理恵子 & 山崎一夫 昔の人は良く働きたまに遊ぶ。

昔の人は良く働き
たまに遊ぶ

「昔の百姓は、朝は朝星、夜は世星で、働いたもんじゃ」

すでに亡くなった、農業をしていた私の母の述懐です。

早朝の暗いうちから野良仕事にでかけ、夜の星の出るまで働くという意味です。

「明けの明星と宵の明星が、今で言うタイムカードよ」

とも。

季節にもよるんでしょうが、かなりの長時間労働です。
ただし、月明かりで野良仕事をすることは、あまりなかったようです。

仕事がはかどらないのと、マムシなどの危険があるからだと聞きました。
その代り、夕食をすませてから就寝までの間、母や祖母たちは夜なべ仕事をしていました。

私の父は鍛冶屋の研磨職人という、ちょっと危険な仕事だったので、極端な長時間労働は少なかったようです。
鍛造部門の職人が打ち上げた刃物を、目の前で垂直に高速回転するグラインダーで研ぐのが仕事です。

めったに無いことですが、グラインダーが割れて顔面を直撃すれば、即死です。

私も中学生のころ、小さなグラインダーで、材料の鉄棒を刃物の重さごとに切断したことがありますが、
音も大きいし、火花は散るので、慣れるまでちょっと怖いです。

切断した鉄は鍛造と研磨を経て斧などの刃物にし、出荷前に規定の重さかどうかを、私が測りました。
規定の重さピッタリということは少なくて、だいたい上下数%の誤差があるんですが、許容範囲が決められています。

「不良品がこんなに出るようじゃ、イカンなあ」

この時に学んだ事の一つは、「全体の平均では、役にも立たない」というもの。
もう一つは、「バラツキが出るのがふつうで、出ないのは珍しい」

現在の雀荘経営の仕事でも、クルーの麻雀の勝ち負け(店負担でたいていマイナス)は、
店全体の平均ではなくて、一人ひとりの半チャンごとの平均のほうが大事です。

平均がプラマイゼロでも、クルーごとのバラツキが大きいと、ゲームのおもしろさを損ねているかもしれないからです。

これが飛行機の部品やオペレーションだったら、墜落につながります。

雀荘オペレーション面で、ごくまれにレジ誤差(たいていはマイナス)のほとんど出ない、レジ担当者がいます。
この場合、当人の優秀さが理由では無くて、レジ誤差を自腹で補てんしてるケースが多いんです。

レジ誤差や在庫の誤差には、業界標準があるので、そこからプラス・マイナスどちらでも、大きく離れるのは不自然なんです。

自分の能力が低いと思われたくないんでしょうね。これをやると本当の情報が伝わらなくなるので、もちろんやっちゃいけません。
自腹で補てんしてると、現金が余った時に、次回の補てんに備えて、ストックするようになります。

誤差を少なくしたいのと、自腹分を減らすためです。
いつの間にか、本来の目的とは関係なく、不正をするようになることもあります。

鉄工所でのアルバイトはの経験は、その後ギャンブル・ライターをやるのに少し役立っているように思います。
高校は普通科の理科コースでしたが、授業科目とは別に「生産工学入門」などを勉強しました。

大学は経済学部でしたが、ダレルハフの著書などで、統計と確率について少し学びました。数式があまり出ないので読みやすいんです。

でも大学で選択した「統計学入門」は数式についていけずに、単位は取れませんでした。
その当時、一般向けの科学雑誌「ニュートン」が創刊され、プレート・テクトニクス理論や
原発の構造や確率の特集などがあり、今でも時々愛読してます。

かつて私がパチンコ攻略の銀玉親方だった時に、連チャン機の平均連チャン率を計算する
のにも、こうした確率などの考え方は役立ちました。

「2分の1で連チャンするんだから、その次も2分の1で、それがさらに続く可能性があるワケだから…」

私が難儀していると、当時の攻略スタッフだった熊ちゃん先生が教えてくれました。

「その場合は、1から2分の1を引いて、その答えの分母と分子をひっくり返すといいですよ」

「てことは平均2連チャン? 3分の1の連チャン率だと、答えの3分の2をひっくり返して2分の3、つまり
1.5連チャンか。おお!」

 

勉強があまり役立っていません。

遊びながら遊び方を覚えるように
働きながら働き方を学ぶ

私の父は、どこの職場で働いても、友だちがたくさんできました。
父はあまり不平不満を言わずに、機嫌よく働いていたので、職場が明るい雰囲気になったようです。

私の母方の祖父母は、高知県の山間部で小さな棚田を作ってたんですが、田植えや借り入れの
農繁期になると、父の職場の友だちが、毎年何人も農作業を手伝いに来てくれたほどです。

普通田植えで人手が足りない時は「早乙女さん」と呼ばれるプロに頼むんですが、雇うだけのお金が無かったんでしょうね。
農家と言っても、田畑を地主さんから借りてる、小作人でしたから。

結婚するまで農業の経験の無い父でしたが、新しい仕事を覚えるのは、それなりに楽しかったようです。、
とっくにその棚田も集落もありませんが、今でも父は当時の経験を生かして、ほんのわずかな空き地で野菜類を作っています。

収穫した野菜は、1人では食べ切れないので、ご近所に分けています。逆に色んなおすそわけをいただくこともあるそうです。
1人住まいでも、近所の人たちに見守られているし、私の姉も近くに住んでいるので、東京にいる私も安心してます。

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