麻雀界稀代の天才児にして問題児!猿川真寿がプロ雀士の夫婦事情を綴る、異色コラムスタート‼︎

【新連載!】

昭和最後の破天荒雀士

猿川真寿が綴る

「プロ雀士の夫婦事情」 

第1回 嫁との出会い

金本(麻雀最強戦)委員長からキンマwebの話がきた。
最初浮かんだのは、百恵ちゃんブログみたいに幼少期からの話を書いたら意外と面白いなと思っていたいたが、委員長がいってきたネタは

「夫婦交換日記」

全然伝わってこない(笑)。
金本さんが、「委員長の怒り」を書いてる暇があるなら「委員長の交換日記」を是非書いて欲しい。
ということで丁重にお断りした。
でも、夫婦間の話を書いて欲しい要望はわかったので、夫婦生活のことを書いていこうと思う。
2019年の麻雀最強戦のPVで、「鬼嫁」というフレーズで、定着してきた

石田亜沙己(いしだあさみ)。

彼女が私のなにに惹かれたのかは知らないが、付き合って結婚した、私の嫁だ。
この手の話は書いたことないので、小島武夫先生の自伝記「ろくでなし」

のような感じのものをあと30年ぐらい経ったら、書くことがあるかも知れないのでそのときのネタに使おう。
ろくでなしと言えば、ブルーハーツ。私がテーマソングと思っている曲ではないか。

役立たずと罵られて、最低と人に言われて、要領よく演技できず、愛想笑いも作れない~

この歌いだしの歌詞からうんうんわかるわかるという感じだ。
先生、ハイセンスです!
話が脱糞じゃなくて、脱線したので戻そう。

最初の出会いは2013年の麻雀最強戦ファイナルだ。
公開収録ということで、会場にお客さんがいた。
いい企画だと思ったが、1年で終わったのでいまいちだったということだろう。この年から、東と西から1名ずつ若手プロが選ばれて、1年間最強戦を盛り上げていきましょうというような、ご当地キャラクターの役割を請け負う最強戦ガールが始まった。
初代最強戦ガールは、東は松岡千晶、ちーぼーで知られる酒豪だ。
そして、西は西田亜沙己…じゃなく石田亜沙己。「あさちび」という芸名で読モをやっていたらしい。
私は読モと言われても、昭和雀士なので意味が分からなかった。日本人らしく読者モデルと言って欲しい。
ブルーハーツをブルハと略すのと同じぐらい違和感がある。
本人曰く、当時のほうが麻雀プロになってからより人気があったらしい。
ちなみにこのときは、当然そんなことは知らない。名前は麻雀格闘倶楽部に出ていたので知っていた程度だった。
多分、このときは挨拶をしていない気がする。まず、見かけた記憶がない。両目視力で0.7の私では3メートルも離れれば、佐々木寿人とシルベスタースターローンの区別もつかないぐらいのポンコツなので、あの小さい生き物がチョロチョロしてても小動物が動いているぐらいにしか感じなかったかも知れない。ちなみにこのとき会っていたこと3年後にYouTubeで知った。

2回目にあったのは、姫ロン杯(旧さんクイーンカップ)の収録で、一応連盟の先輩ということで私のところに挨拶にきたらしい。


らしいというのはそのとき、私は解説、石田は選手で解説室の近くで挨拶したらしいが、私は全く気づかなかった。
そのときのことを石田は「こいつうざいな」と思ったらしい。無視されたと思ったのでそれは致し方ないだろう。
ちなみにそのとき共演してたのを知ったのは数日後ぐらいのYouTubeで(笑)。私は石田の麻雀を「昭和の麻雀」と解説していた。それも見返すまで全然覚えていなかった。

 

その次に会ったのが私の記憶の中の初対面、今はなくなってしまったが近年また知名度をあげた(人気があがったとは言っていない)井出康平がやっていた「麻雀道画」。

なぜかバスケをやらされ、足がもつれその後のなんかのコーナーで、ヤドカリ発言、が出るなど、本当にふざけた番組だった。
その後の収録が石田で、現場に入っていた。


第1印象は「声低いな」だった。
なんか見た目からするともっとキャピキャピしてそうな感じだが。
もう今では聞きなれて声が高いか低いか分からないが、よく喋るっていうことぐらいしか分からないぐらいになった。そのときに、彼女が名古屋で勤めていた店を辞めるか辞めたという話を聞いて、私が勤めていた店にスカウトしたのだ。
別に気があったとかそういうことは一切ない。そして、一緒に仕事するようになり惹かれていったのだと思う。

これは付き合ってちょっと経ったときの写真だ。
今とは違う意味で幸せだったなーと思う。

次回は「しんのすけ誕生」予定

連盟やママから怒られたときは、潔く連載は打ちきります汗

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