【仲林圭のゲスコラム】
こんばんは。本日もキンマウェブの時間がやってきた。ほぼ息をしていない状況ではあるが、頑張って続けていこうと思う。
先日、麻雀遊戯王の撮影で仲林家が公開された。大して何もない家なので、あまりいじられる事もなく終わっているが、やはり豊後葵プロのトーク力なのか面白かった。下に動画を貼っておくので暇があれば見てほしい。10万回再生されたらボーナスがもらえるらしいので、一人10回は見てくれ。
最近、家で一人で飲むことが増えている。そのためなのかわからないが、寝落ちしていることが非常にある。仲林は話しながらでも寝るくらい、寝るのが好きなのだが、最近は4時くらいに起きてしまうことが多い。年のせいだろうかわからないが、そのため基本的に疲れている。会ったら優しくしてくれるとありがたい。話はそれたが、ダイエットをしているため、ハイボールか緑茶ハイしか基本的に飲まない。そのため、ボトルを買って飲んでいるのだが、ボトルってめちゃくちゃ安いよね。34年生きてきて初めて気づいた。豊後散歩を見ている方は分かるかもしれないが、仲林家は冷凍庫がないので、氷を用意することは難しいのが難点ではあるが、非常にリーズナブルに楽しめることに気付いた。みんな知ってた?ちなみにこの話にはオチはない。ただの家庭の知識を風呂敷広げて話しただけだ。すまない。
前回のコラムで書いたとおり、仲林のnoteの続きから書いていこうと思う。
読んだことがない方は以下のURLから見てほしい。このコラムが始まるきっかけになったnoteだ。
これを読まないと何が何だか分からないので、読んでない人は読んでからこの続きを読んでくれ。
さて昔話でもしていこう。念のためこれはフィクションだ。
水巻渉プロに雀荘「あぶさん」を紹介された仲林は、指定された場所に向かった。あぶさんは東急のすぐ横にあった。たぶん漫画のあぶさんから取ったのだろう。
ドアを開けると異様な光景だった。学ランで麻雀を打つ高校生達がいて、おばちゃんの怒号が店の中にこだましていた。
ぶてますか?そうおばちゃんに聞くと、打てるよ!ぶてるってなによ!とりあえずルール説明するから、座って!と急かされたのを覚えている。
ルール説明を受けて、麻雀を始めた。仲間内では最強だった仲林は意気揚々と乗り込んでいった。しかしながら当然あぶさんでは最弱のレベルだった。
初めて人生で買った麻雀の戦術本は小島武夫先生の絶対負けない麻雀と言う本だった。古本屋で買い、点数計算のページをコピーして勉強したものだ。
そのかいもあり、仲林はメンピンドラドラをあがった時は7700と申告をしていた。誰も教えてくれなかったのを覚えている。冷たい世の中だ。
初めてのフリー麻雀デビューはボコボコにされた。落ち込み、家に帰り、ネットで麻雀を勉強し始めた。
ハンゲームの麻雀を見つけ、仲林はそこで勉強をし始めた。今では戦術本はたくさんあり、勉強をする方法は色々あるが、当時はほとんどなかった。近代麻雀のページの下にある何切るをスクラップにしてまとめてひたすら解いてたりするしか方法がなかったのだ。当時は近代麻雀オリジナルや近代麻雀ゴールドなど、麻雀の雑誌は多かったものの、勉強になるかと言われれば疑問符がつくものばかりだった。
ちなみに当時好きだった麻雀マンガは「兎」と「牌賊オカルティ」だ。兎は絵が綺麗で内容も面白く好きだったし、オカルティはデジタルという概念を初めて知るきっかけになったマンガで、キャラクターが皆魅力的で本当に面白かった。一度は読んでほしい。
ある程度、ハンゲームでのレーティングも上がってきた仲林はチャットで、とある人物に話しかけられる。確か風来坊と言うチーム名でハンゲーム内で少し名の知れた団長さんだった。
「もしよかったらうちのチーム入らない?」
自己顕示欲の塊である仲林は必要とされていることに喜び、二つ返事でOKした。メンヘラ女子みたいだが、ほぼ変わらないと思ってくれ。ここから仲林の人生は大きく変わって行くのであった。
日本プロ麻雀協会所属。主なタイトルは第10期雀竜位、第7回オータムチャレンジカップ優勝。麻雀界きってのゲス雀士として賛否両論を巻き起こしながらも前向きに活躍中。