IT機器もソフトも
目まぐるしく変わった
「もしもし山崎さん、メール読んでくれました?」
同年配の古い友人からの電話です。
「ごめん、気づかなかった」
最近はラインが主流で、スマホでメールを開く機会が減ってます。
ラインなどの設定は、たいてい誰かにやって貰ってて、自分でやるのは苦手です。
日常の会話など主な機能は便利に使ってるんですが、グループへの招待は自分でできないので、相手にやって貰ってます。
初めてメールが登場した時も似たようなものでした。
最初は自分で送信できずに、来たメールに返事をするだけ。
読まずに消去して、電話で確認したりとかで、一時「黒ヤギ」さんて呼ばれてました。
♪
白やぎさんからお手紙着いた
黒やぎさんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた
さっきの手紙のご用事なあに
♪
黒やぎさんからお手紙着いた…。
私たちの世代は、ITとの付き合いはパソコン登場以来なので、けっこう長いです。
周りには好奇心が強い友人が多かったので、私も影響を受けました。
「山ちゃん、パソコン買ったから見に来てよ。これからは印刷はパソコンでやるから」
30年以上前の麻雀仲間の印刷屋さんです。
NECのpc9800という機種で、8インチの大きなフロッピーディスク付きでした。
フロッピー自体が今や死語ですが。
パソコン登場時はユーザに知識が無いのは当然だとして、販売員にもありませんでした。
「山ちゃんたいへん。漢字ROMを別に買わないと、漢字が印刷できないんだって。販売員に聞いたら、何十万円もするらしい」
こんなトラブルはしょっちゅうでした。
この印刷屋さんは、投資金額は大きかったものの、初期のDTP(卓上出版)を受注して、一時はずいぶん儲かりました。
好奇心は先見の明に繋がることがあるんですね。
DTPの日本の草分けは、白夜書房のパチンコ必勝ガイドの末井昭編集局長(当時)でした。
「成沢君(部下)に勧められてマックの一番高いの勝っちゃった」
もちろんビッグマックのことではありません。
「山ちゃんも買いなよ。ソフトはあげるから」
てことで、私は一番安いのにしました。
当時はソフトの著作権保護が甘くて、コピーのし放題。
私は白夜書房のイラストレータ(グラフィックデザインソフト)を使って、他社の仕事もやってました。
残念だったのは、せっかくパチンコ台のイラストのデータを作っても、他社ではまだデータ入稿ができませんでした。
なので、プリントをバイク便で運ぶという、DTPとは思えないやりかたでした。
成沢さんと末井昭さんの先見の明は、白夜書房に巨額の利益をもたらしました。
成沢さんは、必勝ガイドのデータを二次使用し、ビジュアル優先の新雑誌を立ち上げて、大成功したんです。
自分の得意なことを、上司にも興味を持って貰って、やがて仕事でも大成功という、素晴らしいパターンです。
「好きなことを仕事にできて、みんなにも喜んで貰える」
実用主義の自己実現の一つですね。
機械オンチでも
技術が助けてくれる
私の母が亡くなったのはずいぶん前ですが、すでに携帯電話はありました。
重い病で入院してても、携帯で話ができるのは技術のおかげです。
母の臨終には立ち会えなかったんですが、病室の父からの電話で様子は分かりました。
帯の向こうから母を励ます、看護婦さんたちの声を、とてもありがたく思いました。
親もだいぶ歳をとって体は弱ってきましたが、頭はしっかりしており、周囲に対する優しさは変わりません。
「医者が言うには、全身の血管がボロボロで、生きてるのが不思議らしいぞ」
と笑っております。
「テレビと携帯がありゃあ、一人暮らしでもそう寂しゅうはない。友だちも犬もおるし」
余談ですが、先日父を訪ねたら、庭の飼い犬がイノシシの頭を丸ごと食べてて、一瞬どこの国かと思いました。
いずれは、お見舞いも看取りも3D映像でできるようになるかもしれませんね。
私のスマホには、何百というアプリが元もと付いているようですが、使っているのはわずか。