児童労働時代から
働き続けて五十年
ネットで「TEDtalks」と言う番組を良く見るんですが、その中に世界の貧困問題に関するテーマがあります。
貧困から来る病気や児童労働や紛争などの紹介や、その分析や解決法の提案も多い。
「貧困の救済のために、豊かな国々の援助が必要」
というかつてのスタイルから、「当事者の自助努力のためのシステムを、いっしょに作ろう」
に変わって来てるようです。
たとえば、HIV(エイズ)に感染した妊婦たちを、不足する医者や看護師だけでなく、HIVで出産経験のある女性が、めんどうを見るシステムを紹介してました。
自分たちはHIVキャリアだが、生まれて来る子供には、感染させないと。
児童労働を将来的に減らして行くのには、学習機会が必要なので、安いコンピュータをたくさん提供するのが効果的だそうです。
初めて見るコンピュータと初めての英語でも、子供たちはゲームやインターネットを通じて、マスターしてます。
教えられる大人がいなくても大丈夫。 大きい子が小さい子に教えるので、双方が成長するんです。
「うらやましい」
私の子供のころは児童労働があたりまえだったんですが、コンピュータは無かったからです。 今は貧しい国々の子供たちも、そんなに時間をかけずに、貧困や因習による児童労働から抜け出せそうです。
私が生まれた当時は日本中が貧しかったんですが、特に私の地域と私の家は貧しかったように思います。
「最初に新聞配達のアルバイトしたのは、小学校の低学年だったかなあ」
西原理恵子さんに話したら、「それはバイトじゃなくて、児童労働と呼ぶんです」
世界中を取材してる西原さんに言われて、初めて気づきました。
そう言えば、小中高大一貫で働いてたもんなあ。
西原さんとの共著「高田馬場の三馬鹿物語」(竹書房)に登場する、白夜書房の末井昭さんも似たような境遇だったそうですが、先日無事に退社しました。 もうひとりの島本慶さんと私は、定年退職が無い自営業なので、まだまだ働かなくてはいけません。
末井昭。◎自宅あり◎年金あり。◎退職金あり。
島本慶。▲自宅無し◎年金あり。▲退職金無し。
山崎一夫▲自宅無し▲年金無し▲税務署に借金あり。
ひ~。
ダブルスクール・ダブルジョブ・ダブルインカム・ダブルリーチ
「TEDtalks」で、農場や鉱山やゴミ捨て場で働く子供たちを紹介してました。
「昔の自分たちと似てる」
彼らの今厳しい境遇かもしれないけど、がんばればきっと何とかなる。
貧しい国では、児童労働できる年齢まで生き延びられたこと自体が、すでにラッキーなんです。
病気や虐による幼児の死亡率が、日本の10倍以上の国も珍しくいありません。
私の児童労働の始まりは、当時定番だった新聞配達でした。 小学校の低学年では、まだ雇って貰えないので、先輩の自転車に走ってついて行く手伝いからです。
「おれはあっちの路地に3軒入れて来るから、お前はこっちの1軒だ」
私が戻って来ると、すでに先輩が待っていて、手に牛乳瓶を2本持っていました。
「飲め」
盗んだんだろう思いながら、いっしょに飲みました。
「パクったんじゃないぞ。牛乳配達のヤツに会ったんで、新聞と交換したんじゃ」
今思えば、先輩の言い分には、疑問の余地がありますけどね。 小学校の高学年になると、自分で直接新聞配達に雇ってもらい、時には後輩に手伝ってもらうこともありました。
余談ですが、私のひいおばあちゃんは、とても働き者で
「朝は朝星、夜は夜星」をモットーにしてました。
朝は暗いうちから働きに出て、夜暗くなるまで働くことを言います。
しかも夜なべをするんですよ。 麦わら帽子の元になる帯を編んでいて、私も手伝ってました。
「ばあさん、おるんかい?」
仕事を卸している大柄な中年男性が訪ねて来て、でき上がった帽子の材料を引き取って行きました。
「思うたより今度も少なかった。100尋(ひろ)はあるはずやのに、90尋しか無い言うんよ」
一尋というのは、両手を拡げた長さ(身長とほぼ同じ)のことで、当時は人によって違っていました。すごいでしょ。
ひいおばあさんの身長は150センチ以下で、卸しの男性は
「身の丈六尺豊かな大男」
と呼んでいたので、180センチくらいだったんでしょう。
ひいおばあさんが五尺程度だったことを思えば、この男性は逆に良心的だったことになりそうです。
話しを私に戻します。
中学生になったら、今度は自分で商売を始めました。
ヤクルトの類似品のピロンという乳酸飲料の地域販売代理店です。
代理店の権利を買って、自分でお客さんを開拓して、自分で配達して、自分で集金するんです。
児童労働から、児童起業家に大躍進です。
私は中学生のころから良く旅行に行ってたので、そう言う時は、友だちを雇って配達してもらいました。
「一人親方」の仕事スタイルですかね。
その後も一貫して働き続けて還暦を迎え、さらに働き続けるしかありません。
西原理恵子さん曰く。