中央線アンダードッグ
長村大
第55話
モニターではもう一戦の様子が流れている。少し離れた席から、それを見るともなしに見ていると、段々と緊張が襲ってきた。それは次戦に対する緊張と、十数年ぶりにカジに会うことへの緊張がないまぜになった奇妙な感覚だったが、どちらかといえば後者の割合が高いように思えた。今何局なのか、誰が勝っているのか、内容はあまり頭に入ってこなかった。
いつの間にか対局が終了していた。おれは無意味にスマートフォンをいじっていたのでその瞬間を見ていなかったのだが、どうやらカジは勝ち上がったようだった。
いよいよだ、胸のあたりがざわつく。カジに会うまでにトイレでも行っておこうと思い、席を立った。
用を済まして手を洗い、鏡の中の自分を見る。人によっては若く見えるみたいだが、まごうことなき金髪のおっさんの顔がそこにある。なにも積まず、積もうともせず、なにも成さず、成そうともせずにふにゃふにゃと生きてきたやつの顔がそこにある。
やっぱり、とおれは思う。人は見た目が100%だ。鏡は、見た目だけでなく、おれの内側までしっかりと映しだしている。だが仕方ない、おれにはそれしか持ち合わせがない、それで戦っていくしかないのだ。そしてそれが、おれが取れる唯一の責任でもある。
ふう、と一息ついて、トイレの扉を開けて廊下に出たところで、カジと鉢合わせした。それはあまりにも唐突で、おれは金縛りにあったように動けなくなってしまった。
「あ……」
「おう、小山田、久しぶりだな。元気そうで安心したよ」
カジはまったくただの久しぶりにあった知人、というような感じで話しかけてきた。おれはようやく我に帰った。
「すみません、カジさんお久しぶりです。あの、ほんとうにどう言ったらいいかわからないし今さらなのは重々わかっているのですが……」
カジがおれの言葉を遮る。
「いやいやいいんだよ。おれは小山田が元気でやってるなら、別になにも言うことないよ」
まだるっこしいのはカジは嫌いだ。
「……ほんとうにすみません、ありがとうございます。とにかく、今さらも今さらですが、あの時は本当に申し訳ありませんでした」
おれは頭を下げた。
「だからいいって、そういうのは。そんなことより次当たるんだからさ、少しでいいから手加減してくれよ」
「ありがとうございます。でも、いけしゃあしゃあとこんな所まで出てきて図々しいとは思いますが、やるからには本気でやります」
「当たり前だ、冗談だよ。とりあえずおれはトイレ行きたいんだ、また後でな!」
カジの本心はわからない、だがおれには嘘を言っているようには見えなかった、あるいはそれはただのおれの願望であったかもしれないが、それでも、会って謝ることができたということそのものが、おれの心をだいぶ軽くしてくれた。これで対局に集中できる気がした、それもカジの心遣いであったかもしれない。
カジの打牌フォーム、麻雀中の所作は美しい。所作が麻雀の強さを表すものではもちろんないが、美しさというのはそれだけで価値があるものだとおれは思う。
カジは左利きであり、麻雀というゲームは左利きにとってやりづらくできている。捨て牌は左から並べるし、鳴いた牌は右端に晒す。どうしてもぎこちなくなりがちなものだが、カジの所作には不自然さがない。
かつて昭和の時代を生き抜いたベテラン、特に手積みの時代を生き抜いてきた人間の所作には、ある種の美しさが宿ることがある。それはどちらかというとケレン味のある、誤解を恐れずに言えば「積み込みとかイカサマとかできそうだな」というタイプのマジシャン的な美しさであり、我々がつい憧れてしまうものでもある。
カジの場合は少し違う、ケレン味はない、どちらかといえば機能美に近い。無駄な動作はない。ピカピカに磨かれた一本の丸い棒のように、筋の通った美しさとしなやかさが共存している。かつてプライベートで散々打っていたときから、微塵も変わっていない。それがおれには嬉しかった。
そのカジがトイメンに座っている。上家には一戦目を共に勝ち上がった漫画家、下家にはカジと勝ち上がってきたプロが座っている。彼はおれより五、六は若いだろうが、かつて我々が設立したNPMAの最高タイトルを3回勝っており、おそらく純粋な実力では一番上かもしれない。優勝候補の筆頭と言えるだろう。
よく「一回勝負じゃわからない」だとか「しょせん短期戦だし」というような言葉を聞く。なんとなく説得力があるように聞こえるし、同時に一つの真実ではある。また逆に「ここ一番で勝つやつが強いやつだ」みたいな論もある、これもまた結果論的に正しい。
だがどちらも重要なことを忘れている、一回勝負だろうが「強いやつが勝つ確率は高い」のだ。一億回やったほうが確実、というだけだ。引きが強いやつが存在しないのと同様に、ここ一番で必ず手が入るやつも存在しないし、どんなヘボでも手が入れば勝つ。
つまり、残るのは「自分にできることをやるだけ」という当たり前の事実だけである。あとは、否も応もなくおとずれる結果を受け止めるしかない。
「リーチ」
起家のカジから迷いのない発声が聞こえた。まだ6巡目である。
捨て牌を眺める。知らず左手を口元に当てていた、おれの癖だ。
ふと、シナモンの香りが鼻をついた。さっき飲んだカプチーノに添えられていたシナモンスティックの残り香。
シナモンの香りをかいだとてスーパーヒーローには変身できない、当たり前のことだ。
そう、当たり前だ。
当たり前のことをやるしかない。
おれにできる僅かなことを、しかし余すところなくやるしかないのだ。
第56話(10月16日)に続く。
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