【麻雀小説】中央線アンダードッグ 第19話:変化【長村大】

中央線アンダードッグ

長村大

 

 

第19話

 

表彰式は散々なできだった。

もともと人前で喋るのは苦手だ、おれみたいなもんが、という自分の卑屈さをより自覚してしまうからだ。

フラッシュが光り、衛星放送のカメラが回り、そしてなにより大勢の人間が壇上のおれを見ている。なにを喋ったのかあまり覚えていないが、まあ当たり障りのないというか毒にも薬にもならないようなことをボソボソと、しかも緊張して早口で呟いていたのだろう。一発狙いの大振りで変なウケ狙いみたいなテンションにならなくて済んだのだけが救いだ。

とりあえずの役目が終わって壇上から降りたら、知り合いの女性漫画家から「小山田くん、こういうときはちゃんとジャケット着て人前に出なきゃダメだよ、せっかくスーツなんだから」と窘められたのがひどく印象的だった。おれはそんなことも知らなかった。

 

ホテルのホールなので、そのまま同じ場所でパーティーが行われた。といっても立食形式、なにかイベントが行われるわけでもない、皆さましばしご歓談をのシステムだ。

おれは壁際の椅子で酒を飲むわけでもなく料理に手をつけるわけでもなく、ただ座っていた。珍しく疲れていたのだ。運動して疲れる、みたいな疲労とは違う、ただ漠然とした疲労であった。単に若かった、というだけのことかもしれないが。

いろんな人が話しかけてくれた。世話になっている編集者や漫画家さん、同じ麻雀プロ、よく知らない人。みんな祝福の、あるいは賞賛の言葉をくれて、もちろん嬉しいのだが、小一時間でそれにも疲れてしまった。

 

タバコを吸いにいくような素振りで会場を出て、おれはそのまま家路に着いた。1メートルはあるであろうデカいトロフィーは、「家に置く所がない」という理由でT書房で保管してもらうことにしていた。

喜びはあったが、特別な感慨だとか感動はなかった。当たり前といえば当たり前だ、別に自分が変わるわけではない。変わったのは、カバンの中に行きには入っていなかった150万円が入っていることだけかもしれなかった。

阿佐ヶ谷に着いたら、なにかやはりホッとしたが、さりとて食欲もないのでまっすぐ家に帰って音楽を鳴らしてまだ早い時間だったがそのまま寝てしまった。

寝る前に、そういえば終わってからコニシと話してないな、と思った。

 

次の日、近所のフリー雀荘に顔を出してみた。何度か行っている顔なじみの店ではあるが、それ以上の付き合いがあるわけではない。

店の人間はおれがプロ団体に所属していることは知っているが、昨日龍王位になったことはもちろん知らない。雑誌がまだ出ていないからだ、インターネットはぼちぼち普及しつつあったが、SNSなんてものはまだない。

普段通りに何回か打って、顔見知りと雑談を交わす。そう、なにも変わらない。トイメンの水商売のママ風がカレーを食っていたが、自動卓から上がってきた牌にカレーがついていたのでラス半コールをかけて帰った。千円札が何枚か増えていた。

 

何週間かして、雑誌が発売になった。巻頭のカラーページでかなり大きく扱ってもらい、また、記事ページも力の入ったものであった。

自分の写真がデカデカと雑誌に載る、というのはなんだか不思議な感じがした。もちろん嫌なわけではないが、なにか少し、申し訳ない気持ちになった。

「デジタルの申し子」というキャッチフレーズもこのときにつけてもらったものだ。とある女性ライターが考えてくれたのだが、当時としてはインパクトのあるものだったようで、非常にありがたかった。後に麻雀界を去ることになるまで、おれはこのキャッチを使い続けた。

 

とはいえ、急激に生活が変わるわけではなかった。当たり前である、NHKで一時間のドキュメント番組に出るのとはわけが違う。街中で知らない人に声をかけられたりはしない。

ただ、わりあいすぐに仕事にはつながった。

意外にもそれはT書房ではなく、別の出版社であった。風俗関係の仕事で世話になったことのある編集者にファミレスに呼び出され、別の編集者を紹介された。どうやらそこで新しく麻雀漫画誌を創刊することになり、連載コラムをやってくれないか、という話だった。

それまでの原稿仕事というのは、基本的に無記名の仕事ばかりだった。自分の名前、看板で文章を書くのは初めてだったので、これは嬉しかった。内容も好きなようにやっていいとのことで、一も二もなくOKした。店内にはルイ・フィリップの「You marry you」が流れていた、平日の午後、なぜオフィス街のファミレスでこんなマイナーな曲を流すのかよくわからないな、などと思いながら店を出たおれの足取りは軽かった。

 

雀荘のゲストの仕事も、初めてのことだった。ゲスト、といっても昨今みたいに女流プロが大勢いる時代ではない、どちらかというと団体の重鎮クラスが呼ばれることがほとんどであった。

声をかけてくれたのは本郷の東大そばにあるセット専門のお店で、年に一度行われる大会に呼んでくれたのだ。参加者はみな東大生だったが、彼ら相手にあまり様にならない挨拶などして、普通に麻雀打って、打ち上げに参加して終わりだった。後で、よく考えたらゲストといったって年もそんなに変わらないし、あんまり有難みもなかったかもしれないな、と思って少し落ち込んだ。こういうときに気の利いたことを言えたり、場を盛り上げたりできる性格だったら、もっと違う人生を送れるのだろう。

 

もちろんT書房からの仕事も増えた。

採譜や誌上対局のメモ係、というそもそもやっていた裏方仕事に加え、逆に自分が表に出る仕事である。柱の「何切る」も、自分の名前でやらせてもらえるようになった。「小山田の何切る」である。といっても内容はそれまでとほとんど同じであったが。

それ以外にも、企画系の対局や芸能人との誌上対局などに呼んでもらえるようになった。写真を撮られながら有名人と麻雀を打っていると、まれに自分も彼らと対等の感覚になってしまうことがあり、もちろんそれはすぐに自分で打ち消すのだが、やはり後になって激しく後悔して死にたくなるのだった。ごくニッチな世界でほんの少し名前が売れただけだ、実生活はなに一つ変わっていない。

結局は阿佐ヶ谷のアパートに帰るのだ。

 

 

第20話(6月12日)に続く。

この小説は毎週土曜・水曜の0時に更新されます。

 

長村大
第11期麻雀最強位。1999年、当時流れ論が主流であった麻雀界に彗星のごとく現れ麻雀最強位になる。
最高位戦所属プロだったが現在はプロをやめている。著書に『真・デジタル』がある。
Twitterアカウントはこちら→@sand_pudding
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