競技麻雀における意味なしアガリについて(文・黒木真生)

涙の懇願

新設された20代の女性プロ限定のタイトル戦「桜蕾戦」(おうらいせん)ベスト16の試合後、新人女性プロが大泣きしながら立会人に懇願していた。

「私はどのような処分でも受けますから岡田さんを勝ち上がりにしてください。私は今すぐクビでもいいですから」

江戸時代なら小刀で自分の首を突き刺さんばかりの勢いであった。
立会人の吉田直・元鳳凰位は対応に困っていた。吉田プロに懇願している新人女性プロの大槻あいみ選手は4位で敗退なのである。だから代わりに岡田紗佳選手を勝ち上がらせることなどできない。
明らかに大槻さんは無茶を言っているのだが、それぐらいパニック状態に陥っていたのである。
そしてなぜか吉田プロも泣いていた。泣きながら大槻さんをなぐさめていた。
「みんなそうやって失敗しながら強くなっていくんです。辞めるとかクビとか言わないで頑張りましょうよ」
この人が泣くのはおかしいのだが、とにかく涙もろいのだ。
まだ蕾(つぼみ)の状態の駆け出しのプロが大舞台に引きずり出されてとんでもない失態をおかしてしまった。その気持ちのいたたまれなさに共感し、思わず涙が出てしまったのだろう。
にしても、このケースで立会人が泣くのはおかしいけど。

トーナメント制とは

競技麻雀のタイトル戦の形式のひとつに「トーナメント制」というものがある。
同じメンバーで何回か打って上位2名が勝ち上がる。たとえば全体で64人いたとしたら半分の32人が勝ち上がりになるのだが、普通の麻雀大会と違うのは「目の前の敵さえ倒せばいい」という点だ。
たとえばトータル成績がマイナスで終わっても、同卓者の中で2位であれば勝ちになるのである。

3月16日に行われた「桜蕾戦」ベスト16D卓もトーナメント形式で行われ、最終戦オーラスに「事件」が起きて、大槻さんと吉田プロが泣くことになってしまった。

Twitterなどでは「目なしアガリ」と言われているが、厳密に言えば「意味なしアガリ」である。競技麻雀の最終戦オーラスに子がアガる場合、必ず自分が勝ち上がらなければならない。そうでなければ意味がないからである。
なのになぜ大槻さんはアガってしまったのか。

ややこしい条件計算

勝ち上がり条件を出すにはまず試合開始前のポイントが必要である。


Startは「その試合の開始時点のポイント」である。たとえば岡田さん(15・9)と夏目さん(マイナス8.8)の差は開始時点で24.7である。

その隣のCurrentは「その試合の素点」である。たとえば駒田さんは21,400点持ちだからマイナス8.6と表示されている。

Rankingは「順位点」だ。(5・15)

これらをトータルしたものが一番右のTotalである。結果的にこの右の数字が上位2位までに入れば「勝ち」となるのだ。
大槻さんはこの半荘でトップ目であったが、トータルポイントは大きくマイナスしていた(マイナス23.9)。2位の夏目さん(マイナス3.6)とは20.3ポイントあったから、これを逆転しなければならない。
大きくポイント差が離れている時は、まず直撃を考えてみる。直撃なら点差の半分以上の手でアガれば良いからだ。

この時に20.3をキッチリ半分にする必要はない。麻雀のアガリ点で考えれば、ハネ満(12,000点)を直撃すれば良いことぐらいはすぐに分かるだろう。もちろん、簡単ではないが、ヤミテンでハネ満をテンパイできればと、少しだけ希望が見えてきた。
この時の大槻さんのように4位の人が気を付けなければならないのが、3位の人をマクれるかどうかである。
3位の岡田さんとの点差は17.3ポイントである。そう、ハネ満をアガっても足りないではないか。いや、倍満でも足りない。ということは、大槻さんは出アガリを考えるなら三倍満(24,000点)以上を作らなければならないのである。
三倍満は難しすぎる。役満よりも出現頻度がはるかに低いため、こういった条件計算の際には計算に入れても意味がない。
では、ツモアガリではどうか?
ツモった場合の点差はアガリ点プラス相手の支払いである。倍満をツモれば、16,000+4,000点で、子の岡田さんとは20,000点。16,000+8,000点で親の夏目さんとは24,000点変わるので、これならOKだ。
本来、大槻さんは倍満ツモアガリを目指すべきだったのである。

脳のスタミナ

なのになぜ大槻さんはピンフのみをアガってしまったのか。
本人の傷口をえぐるようで気の毒だったが、適当に予想して書くわけにはいかないので電話して聞いてみた。
話している内に、また大槻さんは泣きだした。その時の感情を思い出させてしまったからだろう。本当に申し訳なかった。ただ、私は吉田プロと違ってもらい泣きはしない。笑ってなぐさめた。
当時の状況を聞いてみると、要するに「変な思い込みで点差を勘違いしていた」ということになる。
それはそうであろう。
誰だって、わざとおかしな形で勝負を終わらせたりはしない。
麻雀に限らず、ミスをするような時、人は「今となってはなぜだかわからない」という理由でやってしまう。
私も炭水化物を抜くダイエットをしていた時、3日目に麻雀を打ったら、を持ってきたのにツモ切ってしまった。
しかも自分ではとできているつもりだったので、後で観戦者に指摘されるまで気づかなかった。
脳がスタミナ切れを起こした時、人は「なぜだかわからない」ような間違いをしてしまうものだ。
最近、麻雀もスポーツのようにしたいという話を聞くが、テーブルゲームはある意味で脳を使ったスポーツとも言える。
フィジカルが重視される陸上などでは、長距離を走るために足腰を鍛えたりするが、麻雀の試合を長時間やるためには「脳のスタミナ」をつけなければならない。
大槻さんの脳はスタミナ切れを起こしていたのだろう。

2つの過ち

大槻さんが対局中に自分の勘違いに気づいていれば今回のことは防げた。が、そもそも脳と精神が疲弊しすぎていたわけだから、このタラレバは酷である。
もうひとつ。「自分の勝ち上がり条件はこれでいいでしょうか?」という質問を立会人にすることは許されているのに、大槻さんはそれをしなかった。
もちろん、立会人が間違えることもあるから、最終的には選手の責任ではあるのだが、少なくとも今回の間違いは気づかせてもらうことができた。
だが、大槻さんはなぜそれが言えなかったか。
これも自分自身の思い込みで「言える雰囲気ではなかった」からであろう。
もし、他の選手が立会人に確認をしていれば「自分もしていいかも」と思ったかもしれない。
元・鳳凰位の威厳を保ち、真面目な顔で立会人席に座る大柄な男に対し、質問をすることができなかったのだろう。
吉田プロはすぐにもらい泣きする優しい男なのだが、新人の大槻さんはまだそのことを知らなかった。

条件を教えるか否か

テレビの麻雀対局番組などでは、最終戦オーラスのアガリ条件をスタッフが教える場合もある。番組は試合であると同時に「作品」でもあるからだ。
プロの公式戦も同じといえば同じである。だから立会人やスタッフが教えるべきだという考え方もある。
このことについては、プロ連盟の理事会でも何度か話し合われてきた。夏目坂スタジオができてすぐの頃は、公式戦でも条件を立会人が教えていた時期があったが、すると一部の選手が自分で一切計算をせず、人任せにするという現象が起こった。
それはさすがにおかしいという声が上がり、結局は今の形に落ち着いている。つまり、条件計算はすべて選手本人が行う。ただし立会人に確認をすることは可能であるというルールになった。

満開のサクラ

大槻さんが泣いて反省しているという話があると、同情する声があがるかもしれないが、新人だろうと泣いていようとプロである以上ダメなものはダメである。
やってはいけないことをやってしまったら、罰則があるのが当然だ。
その罰則については、現在競技部で話し合いが行われている状態なので確定していないのだが、現状「研修ないし講習を改めて受け直すまでは公式戦に出られない」という可能性が高いとのことである。
大槻さんも条件計算のテストをクリアして合格している以上、計算の能力がないわけではないだろう。だから講習を受けても、また簡単にクリアすると思う。でも、こういうのが「ケジメ」だ。
私が電話で話を聞いた限りでは、真面目で良い人だと思う。今回のことは深く反省しているので、それ以上言っても意味はない。ただプロとしてのケジメをつけて、また頑張って練習して取り返すしかない。
大槻さんは、立会人に対して自分が無茶なことを言ったことに気づくと、涙をこぼしながら控室の岡田さんのところへ行って謝罪をした。
岡田さんは、自分が悔しい思いをしたにもかかわらず、気持ちよく笑顔で「大丈夫、気にしないで!」と言って彼女の気持ちを軽くさせてあげた。
思えば「桜の蕾」という名称の大会で、岡田さんだけはすでに満開の桜を咲かせている選手だった。年齢こそ若くキャリアも浅いのだが、様々な大会で優勝し、Mリーグでは「KADOKAWAサクラナイツ」の選手である。

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