中央線アンダードッグ
長村大
第5話
コニシと出会ったのは、そこからさらに10年ほど遡った90年代初頭だった。場所はもちろん雀荘、吉祥寺にあった「ホップ」というテンゴの店である。
二人とも、高校の一年生か二年生のときである。雀荘は風営法の下で営業している、つまり高校生は出入りできないのだが、当時はそんなこと考えもしなかったし、店も「学ランは脱げよー」とか言うくらいのものであった。敢えて言う、「いい時代だった」。
テンゴのフリー雀荘なので比較的若めの客層ではあるし、スタッフもみな若かった。とはいえ、高校生で昼間から堂々とフリーを打っているのは我々くらいのものだったので、すぐに話すようになった。
コニシは都立の学校に通っており、制服がなかった。見た目も、都会育ちの、ビームスやユナイテッドアロウズで服買ってそう、みたいなシンプルなオシャレで、でも冷たい感じではなく、人懐っこい、誰とでも仲良くなれそうな印象だったのは今と変わらない。
おれは吉祥寺の坊ちゃん私立で当然制服だったから、私服が羨ましかったし、同い年ながらなにか大人びて思えた。性格も、おれはかなり内向的だが、コニシは物怖じしない、明るい(少なくともおれにはそう見えた)性格で、その点は正反対であった。
だが、麻雀に対する考え方は近かった。
当時、麻雀の理屈や戦術じみたものを語るとき、「流れ」や「勢い」といった単語が当たり前に使われていたし、専門誌や戦術書でも同様であった。今ではちょっと考えられないが、「流れが悪いからオリる」みたいなタームが、ほとんど麻雀打ちの共通言語であるかのように扱われ(もちろんほんとうは、当時とてそんなものは共通言語たりえなかった、『流れが悪い』認識だって人それぞれである)、実際かなりの割合の打ち手がそういうことを意識しながら打っていたように思う。
二人とも、それに違和感を覚えていた。「サイコロの出目は常に1/6」という極めてシンプルな話なのだが、そういう話ができる相手すらほとんどいなかったのだ。
やがてそのうち、ふたりとも「ホップ」でアルバイトをするようになった。「雀荘でゴロゴロ遊んでるやつがいつの間にかスタッフになっている」というのは当時のスタンダードなコースであったが、その点では我々も同じであった。
蛇足だが、「ホップ」の仕事や待遇は、過酷を通り過ぎて常軌を逸したものだった。まず、基本的に12時間勤務の2交代制。これは今でも多くの店でそうかもしれないが、給料がひどかった。時給700円、しかも源泉徴収の名目で一割天引きされて、実際は630円である。
当時とて最低賃金的な決まりはあったはずだが、そんなものお構いなしだし、源泉徴収だって怪しいものである。
しかも麻雀の勝ち負けはもちろん、ゲーム代も全額自腹。たしか1ゲーム300円だったので、一日10回打てばそれだけで3千円である。
こんな待遇でよくやってたものだとも思うが、所詮我々は気楽な学生身分であるし、なにより麻雀が打ちたかった。小遣い欲しさのアルバイトというよりは、まあいくらかでももらえて麻雀打てるなら、という感じであったので、特に不満もなかったし、学校行って寝てるよりはよほど楽しかった。
さすがに今ではここまで劣悪な環境の店もないだろうが、これはこれで決して悪い思い出ではない。
閑話休題。
雀荘なんぞでアルバイトをしていれば、当然学業はおろそかになる。おれの場合は高校二年生から三年生に上がれるかどうか、つまり留年のピンチがあったが、なんとかそれを乗り越え、三年時もギリギリでやりすごし、無事エスカレーターで大学に入学した。
おれよりはだいぶマジメだったコニシは受験に勝って、高田馬場近辺の有名私大に無事合格した。
しかし高校時代から昼夜問わず遊び回っていた人間が、大学にマジメに通うのが難しいのは火を見るよりも明らかだ。
入学式初日に行われた、諸々のオリエンテーションなどを「めんどう」というだけの理由でサボったところが躓き始めであり、授業の履修などもチンプンカンプンなまま放っておくことになり、始まる前にすでに終わっていた、というのがおれの大学生活かもしれない。
高校までと違い強制的に授業に出る必要もない、24時間365日夏休みみたいな生活。「ホップ」でのアルバイト、他所の店に行っての麻雀、音楽、中古レコード屋巡り、ゲーム、漫画、読書、映画、唯一大学生らしいこととして軟式野球のサークル一一。
授業にほとんど出ていなかったとはいえ、一日が今と同じ24時間だったとはとても思えない。今より遥かに多くの本を読み音楽を聴き映画を観て、しかも麻雀もやっていたのだ。いったい今のおれの24時間はどうなっているのだ、知らない間に誰かにギられていやしないか。あるいは若いころに使い過ぎたぶん、今の時間が短くなってるのか。
おそらく義務感とは無縁に、単純に興味と好奇心だけでいろんなことをやっていたからだろう。なんだってそうだが、少し詳しくなってくると、義務感じみた観念が生じてくる。つまり、「ビートルズ聴いてないとか」である。義務感によって文化的生活は死ぬ。
まあ、そんなことをしながら大学の一年目は終わった。おれの取得単位は、テストに出ただけでもらえた、一般教養科目の「2」のみであった。
その春休み、久しぶりにコニシと「ホップ」の同番となった日に、大げさに言えば、我々の生き方を決定づけるできごとがあった。
第6話(4月24日)に続く。
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