取材・文 東川亮
「亜空間殺法」という自己プロデュース力
麻雀最強戦ファイナルで優勝した多井隆晴がそのインタビューで真っ先に名前を挙げたのが安藤満だった。「亜空間殺法」と呼ばれた独自の打ち筋で結果を残し、当代最強の打ち手として名を馳せていた、プロ雀士・安藤満。
「1年に300日くらい一緒にいた」という多井が、レジェンド安藤満への思いを明かす。
「やる気あるのか」
最初の出会いは、日本プロ麻雀連盟のプロテストでした。筆記テストがあったんですけど、僕、麻雀の何切る以外の部分、タイトル戦の名前や会長の名前とか、そういうのを全部白紙で出したんですよね、全然知らなかったので。当然その後の面接で「やる気あるのか?」とか言われて、僕は「とにかく僕の麻雀を見てくれ」と言い返していたんですけど、そこで僕の麻雀を見て「コイツは強い」とプッシュしてくれたのが安藤さんだったんです。
でもその後は、4年くらいですかね、全く接点はありませんでした。僕は新人王のタイトルを獲って、A2リーグまですんなり昇級したんですけど、その頃にある日いきなり新宿まで呼び出されまして。そこから安藤さんとの交流が始まった、という感じです。
昔の方って、上まで上がってくるまではあまり接点を持とうとしないんですよね。
僕がそこまできたので、声をかけてくださったのだと思います。「やっぱり上がってきたか」っておっしゃっていました。
安藤さんって気に入った後輩ができると、当時一杯3000円くらいするフカヒレラーメンをおごるんですよ。僕もそれを食べさせてもらったことがあって、その話を周りにしたら「お前、それは気に入られた証拠だよ」と言われました。僕以外にも食べたことのある人は何人かいるはずですよ、そのフカヒレラーメン。
101のルールでよくやった
僕、安藤さんに麻雀を教わったことってないんです。1ヵ月に20日、多い年では1年で300日くらい一緒にいたんですけど、居酒屋で何時間も中身のないくだらない話をしたり、麻雀と全然関係ない遊びをしたり、だいたいそんな感じです。もちろん麻雀をやることもありましたけど、その時は安藤さんの調整相手、という感じで、特殊なルールでやることが多かったですね。特に101競技連盟のルールでよくやっていて、それが安藤さんの調整法だったんだと思います。
あと、僕は安藤さんと家が近かったので、月に何日か安藤さんの家に行って、泊まり込みで漫画原作の仕事を手伝っていたこともありました。僕が麻雀の何切るのネタとか闘牌シーンのアイデアを毎回10個くらい提供して、その中の2つ3つを採用する、みたいな。安藤さんは、僕にそういうことができるセンスがあるって見抜いていたんじゃないかと思います。
僕も年齢を重ねて、当時の安藤さんと同じくらいの歳になりました。第一線で頑張るのって、すごく敵も作るし、自分と考えが違う人がどんどん出てくるので、孤独になっていくんですよ。そんな中で安藤さんが当時やんちゃだった僕と出会って、きっと安藤さんもお若いときはやんちゃだったと思うので、いろいろ照らしあわせて懐かしい感じがしたのかなって、今は思います。
僕と安藤さんの関係をひと言で表すなら、「遊び友達」です。自分で言うのもなんですけど、ちょっとした遊び相手にはなれていたんじゃないかと思いますよ。ただ本当に残念なのは、もっと安藤さんと麻雀の話をしておけばよかったな、っていうことです。
「悪魔に魂を売ってでも最強位だけは獲りたい」
安藤さんは、すごく負けず嫌いな人だったんです。とにかく何にでも一生懸命で、子どもみたいな人でしたね、僕がいうのもなんですけど(笑)。とにかく自分がNo.1になりたいという話をずっとしていて、その中でも特にこだわっていたのが最強位でした。同世代のプロたちが獲っていく中で自分は獲っていないというのがあって、あの人はとにかく麻雀界のNo.1になりたかった人なので、獲っていないタイトルがあるのが許せなかったんだと思います。それに、最強位って分かりやすいですよね。プロもアマも著名人も出る中で一番になるわけですから。あの人はとにかく「麻雀プロは麻雀で負けてはいけない、人気者でなきゃいけない」と常に意識していて、そういうところが僕は好きでした。
安藤さんは「悪魔に魂を売ってでも最強位だけは獲りたい」と、ずっと言っていました。僕はあの人ほどタイトルに固執してはいなかったので、当時はその意味が分からなくて、その話をするたびに「また始まったよ、このおっちゃんの言葉が」みたいに思っていたんです。でも、安藤さんが病気でどんどん弱っていく中で、それでも「1回だけでも最強位を獲りたかった」みたいなことをずっと言っていて。正直そのまま亡くなるとは思っていなかったので、お見舞いをしたときには「まだまだ獲れるでしょ」みたいに励ましてはいたんですけど、あまりにそうしたことを言うので、一度「俺が安藤さんの代わりにいろいろやるよ、タイトルを獲ったら美味しいものをごちそうするよ」って、笑いながら話をしたような記憶があります。
最強戦の優勝インタビューのときは、本当に無意識に安藤さんのことを話していて、僕も後で言われて気付いたくらいです。もちろん最強位は自分のためにも獲りたかったタイトルなんですけど、前から「安藤さんが獲りたがっていたタイトルだからいつか獲ろう」っていう話もしていて、それもあったからなのか、ふわっと言葉が出て来たんですよね。もしかしたら、しゃべらされたのかもしれないですね、あのおっちゃんに(笑)。
最強位って強いだけ、有名なだけじゃ獲れないというか、出場もできないじゃないですか。縁が必要なタイトルだと思いますし、それでも何としても勝ちたかったので、本当に良かったですよ、勝てて。
一度は怒られたかった
怒られてみたいですね。僕、安藤さんに怒られたことがないんです。当時一緒にいた河野さんとか阿部さん、藤原さんとか、みんな一度は安藤さんに怒られたことがあるんですけど、僕はそれがなかった。
だからもし今安藤さんと話せるなら、自分のダメなところを聞いて、怒られてみたいです。
安藤さんだったら、麻雀の内容でも麻雀プロ活動についてでも、きっと今の僕のダメなところを見つけて、指摘してくれると思うんですよ。僕は相手に対してリスペクトできるところがないと怒られても受け入れられないんですけど、あの人の言うことであれば「はい」って言える気がします。
あと、お互いの全盛期で勝負をしてみたい。お互いが一番強いときに勝負して、どちらが勝つかを話してみたいです。安藤さんは当時抜群に強かったんですけど、たぶん僕の方が勝つと思います。でもそれは僕の方が年下で、あの人のことをいろいろ参考にできたからです。もし僕の方が早く生まれていたなら、きっと安藤満の方が強いと思います。
僕らはそんな関係だったんですよ。
さいたま市在住のフリーライター・麻雀ファン。2023年10月より株式会社竹書房所属。東京・飯田橋にあるセット雀荘「麻雀ロン」のオーナーである梶本琢程氏(麻雀解説者・Mリーグ審判)との縁をきっかけに、2019年から麻雀関連原稿の執筆を開始。「キンマweb」「近代麻雀」ではMリーグや麻雀最強戦の観戦記、取材・インタビュー記事などを多数手掛けている。渋谷ABEMAS・多井隆晴選手「必勝!麻雀実戦対局問題集」「麻雀無敗の手筋」「無敵の麻雀」、TEAM雷電・黒沢咲選手・U-NEXT Piratesの4選手の書籍構成やMリーグ公式ガイドブックの執筆協力など、多岐にわたって活動中。