家一軒分は
博打で使った
すごく古い話で恐縮ですが、昔の遊び人たちの乱暴狼藉やりたい放題の続きです。
ライター歴が半世紀近くになる私の話なので
長年の読者のみなさんは「それ読んだ」「何回も」
場合によっては「少し内容が変わってる」
なんて事もあるかもしれません。
同年配の友人である編集者兼コラムニストの末井昭さんは、最近書いた連載コラムが、2回前のとほぼ同じだったそうです。
昔の事は覚えていても、最近のは忘れがちなんですよね。
私も1回のコラムに、冒頭で書いたことを、最後のほうでもう一回書いたことがあります。
十代で東京の高田馬場の友だちのアパートに転がしこんで、すぐにギャンブル三昧遊び人の真似事の日々でした。
「遊び人には金か腕が要る」
と前回書きましたが、私には最初は両方とも無かったので、パチンコ店などで働きながら。
現在とまったく違うのは、当時の給料と比較すると、実質レートが格段に高かった点。
サラリーマンでピンの1-3。
チップ1枚500と、これはその時代より遥かに前からあり、今でも主流なのはご存知の通りです。
半世紀以上物価が変わらないって、他には卵とバナナくらいしか思いつきません。
いや、卵やバナナが安くなっているのと同様、麻雀のレートも下がっているのは素晴らしい。
ただし、ゲーム代は人件費の高騰に合わせて3倍以上に上がっています。
なので現代の遊び人はそう簡単にはなれませんよ。
当時、私の周りの遊び人は2-26の東風戦と高め。
時にはデカピンも。
麻雀の遊び人は主に旦那と雀ゴロ、他に売れないヤクザ。
男を売る稼業なのに売れないと。 お金持ちの旦那は、地主さんも多かった。
大昔の人は高田馬場を通る新目白通りのことを、十三間通りとかオリンピック道路とか呼んでましたが、東京オリンピックの時に農地や工場などが買収され、莫大なお金が転がりこんだんです。
「立てばパチンコ座れば麻雀、歩く姿は馬券買い」
それくらいの道楽ならマシなほうで、平日開催の地方競馬や競輪までやって、ほぼ毎日が朝から晩まで博打漬け。
いや徹マンもあるし。
しかも男道楽は飲む打つ買うの一つだけじゃ無いだろうし。
高田馬場では運良く凄く怖いヤクザには遭遇しませんでしたが、テキヤ系はたくさんいした。
良くみかけたのが栄通りなどの商店街の路上でやるデンスケ賭博。
タバコのピースの箱を3つ用意し、その一つに千円札を1枚入れて素早く攪拌。
1回五百円で当てさせるモヤ返し。
良く見てれば当たりそうな気がしますがイカサマなのでまず無理。
連勝して千円札を鷲掴みにして狂喜乱舞してる人もいました。
お気づきですか? もちろんサクラですよ。
簡易ルーレットもどきもありましたがイカサマです。
お金を賭ける大道詰将棋もありました。
「二十万円やられた! 勝ったと思ったら時は禁じ手だと言われた」
麻雀仲間の銀行マンが憤慨してました。
当時でその金額は遊び人過ぎ。
お金があるほうの遊び人には、他に競馬のノミ屋、不動産ブローカー、競輪のコーチ屋、ヒモ、お医者さんも多かった。
開業医で入院している高齢の患者といっしょに遊びに来てる人がいました。
実は高齢者は病気じゃないのに、ダミーの患者として入院させ、医療保険詐欺を働いていたりとか。
遊び人たちが遊ぶ金に困ると、金融互助組織の頼母子講(たのもしこう)や無尽講(むじん)が、主にヤクザ中心に発足し、遊ぶ金を捻出する。
もちろん一時的な資金繰りなのであっという間に火の車です。
お金に困った遊び人が必ずと言っていいほどボヤいてました。
「博打さえやってなけりゃ、家一軒は残ってたな」
思い残しは無い
覚悟はしている
元が金持ちだったり、麻雀の腕が良くて雀ゴロだったり、どちらでも無いけどやたらと女にモテるヒモだったりの遊び人も、羽振りの良い状態が永久に続くワケではありません。
どんなお金持ちでも博打に狂うといつかは破産する。
飲む打つ買うのうち、打つのは上限が無いからです。
デンスケ賭博数分で、給料以上を負けたり、高レート麻雀で借金をしてまで勝負を続けると、お金がいくらあっても足りない。
足りなくなったら、高利貸しに借りたり、無尽に手を出したりして、さらにドツボに嵌まります。
昔の麻雀はゲーム代が安くて、レベルも今より低かったから、遊び人でいられた人も多かった。