林業農業工業飲食業
出版サービス業
どれも楽しかった
「これが山崎さんの最後の仕事ですよ。後は無いからね」
20年ほど前に西原理恵子さんに言われたんですが、どうやらその通りになりそうです。
それまで色んな仕事やアルバイトをやって来たので、当時はそうは思って無かったんですけど。
色んな仕事と言っても、仕事の種類全体から見ればごく僅かですが、どれもそれなりに楽しかった。
私が生まれた時代は現在に比べると社会全体が貧しかった。
私の親やその親は、もっともっと貧しかったと聞かされました。
母が子供のころは、養子縁組と言う名目で人身売買に近いようなことさえあったそうです。
ただしこれは四国の高知県の山間部の話なので、東京などの大都会は事情が違うと思います。
小学校に行く前から農業や林業のお手伝い。
もちろん労働力として貢献するのは難しいので、どちらかと言うと、仕事らしきものを貰って自分で自分の子守をしているようなものかも。
山間部の生活で今も気にいってるのが自然の移り変わりの香りです。
オモチャが無いせいか、新緑をちぎって舐めたり、草笛を作って貰って吹いたりとか。
ちょっと変わった所では、落ちた杉の枝と葉っぱの腐った匂いとか。
箱根の近くに曹洞宗大雄山最乗寺という杉の大木に囲まれた立派なお寺があるんですが、たまに匂いを嗅ぎに行くほどです。
貧乏な田舎育ちのおかげで、食べられる野草や木の実も見分けがつく。
仕事場の新宿から特急で1時間半くらいの箱根には良く行くんですが、野生の食べられるモノが生えてる場所はチェックしてます。
野イチゴや山ブドウ、シイの実ムクの実、犬ビワ、山モモ、山イモのムカゴ、タラの芽、イタドリなど。
昨年は私が見た限り、山モモが不作で残念でした。
ちなみに箱根は日帰りがほどんど。
特急ロマンスカーの予約無し。新宿駅で次のロマンスカーまで30くらいあるなら、特急料金無しの普通の急行でも到着時間は変わりません。
スマホをいじってる間に到着です。
中学時代は新聞配達やパン製造業などのアルバイトの他に、ヤクルトもどきの販売店を自営してました。
これは自分のことながらちょっと感心します。
自分で代理店の契約をして、お客さんになって貰うための営業活動も配達もぜんぶ自前。
学校に遅刻をしても、「すみません配達してました」と言えばOK。
販売代理店の権利は売れたので、すでに商売人ですよね。
中学時代は稼いだお金で四国中をヒッチハイク。
高校時代は本州に渡って行ける所まで行ってみました。
あ、当時は瀬戸大橋が無かったのでフェリーですが、これもヒッチハイクで無料。
計画性に乏しくて苦しい目にも遭いましたが、巡り合った多くの人たちの人情に助けられました。
昔語りは続きます。
高校卒業までに色んなバイトをして就職したのが、当時は珍しかった家電の販売店。
高校時代に仲の良かった先生が退職してそこで働いてて、紹介してくれたから。
東京支店へ転勤したんですが、勤務前に般若心経を唱えさせられるのが嫌で退職。
翌年に世田谷の駒沢大学に進学。
入学式にも行かずに3年目、衝撃の事実が発覚しました。
駒沢大学は曹洞宗系の大学で、入学式には般若心経を唱えてたと聞かされたんです。
アホや、そんなことも知らずに受験したんです。
以前に紹介したヒッチハイクで訪ねた福井県の曹洞宗大本山永平寺で起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半の修行を体験し、箱根近くの曹洞宗大雄山最乗も含め、知らず知らずのうちに仏教のお世話になってるのに気付きました。
私は一般向けの科学雑誌Newtonの創刊以来のファンで、宗教にはあまり関心がありませんでした。
でも神様や仏様はいてくれたほうが、ありがたいと思います。
たいていの場合
将来は思った以上に
明るい
ペーソス武道館デビュー!
私の身近の最近のビッグニュースはコレ。
古い友人の島本慶さん(なめだるま親方)と末井昭さんたちのバンドペーソスが、 パンクロックバンド銀杏BOYZの前座として武道館のステージに立ったんです。
私たちの世代の武道館と言えば、ビートルズ初来日公演。
その前座と言えばドリフターズですよ。
ペーソスは平成歌謡バンドを名乗っており、バンド名のとおり、ペーソスとお笑いのグループ。
パンクとは無縁に思えますが、銀杏BOYZ峯田和伸さんと末井昭さんとの縁により実現したんです。
公演のタイトルは「世界がひとつになりませんように」。
いいですね。