【西原理恵子 & 山崎一夫】昔むかし大昔の麻雀。

昔むかし
大昔の麻雀

私が麻雀を覚えたのは大学生時代。
正社員として勤務先の高田馬場のパチンコ店の先輩たちが最初でした。

店長や主任と打つことが多かったんですが、私はビギナーの割にあまり負けなかったように思います。
これは私が強いのではなく、二人の先輩がそんなに本気で戦っているふうでもなく、お金にも余裕があるからだったみたい。

今では考えられませんが、その主任はパンチパーマで白いエナメルの先のとがった靴を履いた三白眼で、お客さんを怒鳴り散らしながら見張ってました。

「お前らも、客2人まではケンカで勝て。それ以上になったら助けてやる」

実際にお客さんを屋内駐車場に連れ込んで脅かしてました。
もっとも主任が本当にケンカが強かったかどうかは疑問。

駐車場には社長用のスモークシールドのベンツが停められてて、お客さんは多少ケンカに自信があっても怯んでしまうんです。

主任には地方から駆け落ちして来た愛人がいて、手動の玉貸し機の操作や特殊景品のレジ係を担当。
玉や現金をごまかすなどして、景気は良さそうでした。

一方の店長はさらに羽振りが良くて、後輩たちに毎日タバコや下着などをくれるし、飲みに連れていってもくれました。

お気づきのように、さらに一段上の不正をしていたのを、後日知りました。
いや、知ってたらタダ酒は断ってた、と言うつもりはありません。

当時ならこの話はさらに続いて、社長が巨額の脱税をして三つ巴になってたケースが多く、お互いに不正を見て見ないフリをしてることが多かったんです。

でも私が勤めていた所はそうでは無かったみたい。
その後巨大なチェーンになってるんですが、脱税をしている会社は大企業にはなれないそうです。

これは精神論ではなくて、銀行の信用が得られないから。
やがて私は先輩たちとの麻雀よりも、フリーの前身のバラ打ちに通うようになりました。

小島武夫プロ、田村光昭プロ、阿佐田哲也先生たちの麻雀新撰組全盛の時代です。
バラ打ちというのは、セット麻雀からフリーへとの中間的な存在。

知り合いが多いので無駄口を叩きあいながらの、多少人間関係が勝負に影響を与える麻雀です。
シャミセンが許される人とそうでない人がいたり。

「トップはそろそろ俺のリーチに振ったほうがいいんじゃねえか。ワキに捲られるぞ」

「マンガン直撃で逆転なのにできるか」

「マンガン無いって、俺を2着にしてくれよ」

恐ろしいことにこんなこと言ってた時代なんです。

「ノミ手でも裏ドラがアンコだっらどうする」

「アンコ無し」

トップ目が小考の末それらしい牌を切ったらロン。

「メンタンチートイ、おっと裏2」

「何? マンガン無いって」

「裏乗っても絶対マンガンにはならないだろ」

 

赤無し時代の話ですが、理屈はともあれ、今では喋りはじめた時点でルール違反ですよね。

 

麻雀リバース
エンジニアリング?

当時の麻雀卓は木製で、今の全自動卓よりも一回り小さかった。
(一回りって何%だろね)

なので模打の動線は今よりも僅かに短い。

先ヅモ有りの東風戦だったこともありゲーム進行は早い。

現在のフリー雀荘で、年配者なのに妙に打牌が早い人は、東風戦育ちが多いじゃないでしょうか。
歳とって判断力と判断速度は低下しているのに、自分の正解を出す前に、若い頃の速度で切ってしまうとか。

うーん、自分とカブります。

東南戦と東風戦では、開局時のアガリが同じマンガンでも、結果に与える影響力が違う。

もちろん東南戦の影響力のほうが小さい。
マンガン一発では逃げ切れませんもんね。

逆に言うと、影響力が同等なのは、例えば東南戦のマンツモと、東風戦の1300・2600とか。(当社比)
なので、東風戦では安くても即リーや、仕掛けも早くなります。

東南戦でもオーラスは、
「出るポン、見るチー。バックに形テン片アガリ」
の何でもありでしょ。

オーラスは結果に直結する1局戦の側面もあるんです。
バラ打ちを長くやっていると、裏麻雀に誘われることもありました。

新宿歌舞伎町の裏の旅館麻雀です。

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