教習車に乗るなり雷が鳴った。鳴ったのは外ではない、百恵ちゃんの腹だ。 脳裏には「生薬」の文字が浮かんだ。生薬の意味こそわからないが確実に生薬がおなかの中で暴れてい ることだけはわかった。 落ち着け生薬、と願いながら発進するも生薬からの攻撃は止まらず
『とにかく早く試験を終わらせよ う』
『もう合否などどうでもいい』
『いっそ殺してくれ』
と思っていた。百恵ちゃんは体の奥底から湧き上がるエネルギーを感じながらアクセルを踏みコーナーを攻め続けた。
「ん?」「田渕さん??」
「ん???????」
と混乱に陥る試験官を完全に無視してものすごいスピ ードで規定コースを終えた。
「終わった…不合格に違いない…」
そう落ち込んだがもうそんなことはどうでもよかった。しかし終わっ てはいなかった。他の二人の試験が残っているのだ。
『THE 教習車』
というような地獄のノロノロ運転が待っていた。百恵ちゃんは激怒していた。 “運転者は同乗者が車内のロックをかけていることを確認してから発進すること” そのことを忠実に守りロックするのを待っている運転席の受験者。気付かずスンッとした顔をしている後部座席の受験者。たまらず
「おまえ車乗ったらすぐロックしろよ!!!!!」
と育ちの良いヤンキーの様なセリフを叫んでしまった。ビクゥッと跳ねた受験者が手をふるわせガタガタと鍵をしめた。もう何もかもが許せなかった。後部座席から運転席のシートを蹴ってしまいたかった。百恵ちゃんのせいで車内の雰囲気は最悪である。
だがなんとか教習所まで耐えた。つくなり試験官のまとめの言葉を無視し車から飛び出して走った。
あまり覚えていないがおそらく世界で一番優しい走り方だっただろうと思う。
ーーてっきり不合格かと思ったが試験には合格していた。百恵ちゃんは60万円の高級運転免許をゲットした。数年後姉も二回目の教習所を卒業することに成功し、かくして田渕姉妹の120万円をかけた中長期自動車免許取得計画は無事完結した。
【田渕家登場人物紹介】
・父 コージ:元陸上自衛隊幹部高卒ながら佐官まで登り詰めるも「髪型が奇抜すぎる」という理由で100年に1度あるかどうかの異動の内示取り消しをされた経験がある。現在は三度目の暖かな家庭を築いている。
・母 イクコ:美容師。美容室を自宅で開業するもパチンコにハマり開店休業状態を約20年続けた猛者。おそろしいほど料理が下手。ツーブロックにしたことがある。近況を知らせる連絡では年下のペンキ屋さんとお見合いをしたらしい。
・姉 タエ:無職。1度も定職に就いたことがなく家賃を滞納してはクビが回らなくなりお父さんに払ってもらいに帰ってく るお調子者。過去に大きな交通事故に遭いウン百万円もの保険金を手にするが全てホストクラブに費やした経験がある。
・エリー:田渕家の飼い犬。詐病のプロ。足をひきずったり弱ったふりをしては人間に甘やかしてもらう。動物病院で『至って健康』という診断をされるとそれまでの弱りっぷりを忘れ、凛々しい顔で帰ってくる。趣味は父の顔に噛みつくこと。オスだが思いつきでエリーと名付けられた。
北海道出身。最高位戦日本プロ麻雀協会40期。座右の銘は「ビールは一日3リットルまで」。『近代麻雀』でも同コラムを連載中!