チャンスの神様
皆さんこんにちは。
日本プロ麻雀連盟の「大和」です。
機会というものがあるのならばチャレンジしてみようと思ってパソコンに向かっている。
そこにチャンスの神様がいるかも知れない。
高校時代、サッカー部に所属していた私はゴールキーパーでした。
シュートをセーブして余韻に浸っていると監督から怒鳴られた。
「早く起きて蹴れ!!!」
サッカーは攻守の切り替えが早いスポーツで、それこそカウンターで得点するなんてよくある話。
当時Jリーグも開幕してプロのサッカー選手に憧れているヤツもたくさんいた。
そんな私も日本代表の川口能活選手が大好きだった。
ハーフボレー気味にサイドから刀のように蹴り低い弾道でフォワードに届くキックもそうだが、そこまで難しくないコースをカッコよくセーブする天才だと思った。
まさにエンターテイナーだなと。
練習中、怒鳴られて内心
「なんだよ、カッコよく止めたんだからナイスキー(ナイスキーパーの略)だろ」
なんて思っていた。
休憩になると監督に言われた。
「チャンスの神様って知ってるか?」
「知らないっす。」
「チャンスの神様ってのは普段は顔出さないんだけど、出てきたときにしっかり捕まえないとまたすぐどっか行っちゃうんだよ。しかもこの爺さんは前髪はあるけど後ろはハゲてるからすべって捕まらない。だからどんな時も準備しておかなきゃダメだ。」
ふーん。
そんなもんかね。
初めて聞いた大人の当てつけのような気がした。
時は経ち、上京して調理師の学校に行く。
就職率90%の専門学校でレストランや割烹、給食施設など同級生は私ともう一人を除いてみんな進路を決めていた。
私は田舎育ちだったこともあり、東京の都会の魅力にハマっていた。
学校が吉祥寺だったのも良かったのかも知れない。
井の頭公園でたむろして、高円寺で古着みて、原宿で人間ウォッチングして。
19歳の私にはまだ就職なんて早いってずっと思っていて。
タバコだって酒だって秋田で覚えてきた。
東京の同級生になめられたくないって発想だけで。
栄養学も公衆衛生ももう忘れてしまった。
それでも調理実習の授業は絶対休まなかった。
その時チャンスの神様なんていないと思っていた。
そんな事考えなくたっていい。
一日一日が楽しくてそこで息しているだけで、ここにいるってだけで満足だったから。
卒業後、家を出る。
高円寺のアパートで一人暮らし。
アルバイトで生計を立てながらその日暮らししていた。
縛られる事が嫌だった。
元々厳しく、曲がったことは許さない父親から離れて生きていきたかった。
バイト先は原宿。
流行の最先端にいたかった私は当時、劇的に流行っていた某アパレルショップにいた。
併せて「カリスマ美容師」という言葉が飛び交い原宿、青山、表参道にはたくさんの美容室があった。
原宿のど真ん中にいた私はカットモデルの依頼を受けることになる。
様々な依頼の中にヘアショーのモデルというものがあった。
沢山の観客が見守る中で髪を切られ、ランウェイを歩く。
これだと思った。
これで俺は生きていくんだと。
高校の先生が言ってたチャンスの神様をしっかり捕まえている気がした。
今思えば捕まえただけだったのかも知れない。
だってさ。
待っていても何も来ないんだもの。
20歳そこそこの私にはこの意味が解らなかった。
やっぱり上手くいってるって思い込みと楽しい日々が不安なんて微塵も感じさせないんだから。
「満足」ほど怖いものは無いなと今なら思える。
それでいて時間は皆平等に過ぎていくんだから困りものである。
よし。と思っていたらそれ以上にはならない。
チャンスの神様って本当はキッカケを与えてくれているだけでそれを活かす努力をしないと神様とは仲良くなれない。
またどっかに離れていってしまう。
正しい道を、人生を歩んでいるって思っていた20歳の秋だった。
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