パチンコ店や雀荘と
ヤクザの関係は?
「山崎さん、雀荘ってヤクザがいっぱいいて、高レートで麻雀を打ってるんでしょ?」
麻雀をしない知り合いが、身を乗り出して聞きます。
昔の麻雀小説や漫画の影響なのか、どうやら誤解があるようです。
「いませんよ。昔なら別ですが、今は暴対法などの厳しい法律や条例があるので、たいての店が暴力団とは係わりがないと思います」
質問した人はちょっと眉を下げて、物足りなさそうです。
「じゃあ、パチンコ店はどうですか?」
また身を乗り出します。
最近、古い知り合のパチンコ店の経営者に聞いたんですが、以前に比べると暴力団の影はすっかり薄くなったそうです。
「今は、法律が厳しいからね。
山ちゃんも知ってると思うけど、昔はパチンコ店を出す時には、地元のヤクザに話しを通さなきゃいけなかった」
実は、当時の共通の麻雀仲間に、パチンコの換金所を経営している人がいたんです。
その中年男性は、親が金持ちで、換金所の権利をヤクザから買うのに数千万円使ったと言ってました。
その男性は麻雀だけじゃなくて、パチンコも大好き。
パチンコ店が開店してからあまり時間がたたないうちに、大量の特殊景品を換金しに来たお客さんがいると、
「すごいね、何番台だった?」 なんと換金所を閉めて、自分でその台を打ちに行くのだ。
「またかよ」
代わりの従業員が来るまで換金できないので、その人をパチンコ店まで呼びに行ったこともあります。
昔の地元ヤクザは
ノンビリしてた
ぼくが中年になるくらいまでは、パチンコ店や雀荘や飲み屋や路上の商売などには、ずいぶんたくさんの地元ヤクザが、かかわっていました。
学生時代に歌舞伎町でサンドイッチマンのアルバイトをやっていたんですが、その仕事を取り仕切っていたのは、地元の老舗のヤクザでした。
カンバンを持って立っていると、夕方から何度も目の前を通過するグラマーな女性がいて、気になったので聞いてみました。
「同じ所歩いて何してんの?」
「アタシはコールガールだよ。アンタいくら持ってんの?」
彼女たちは、やはりヤクザが仕切っていると聞きました。
その当時の歌舞伎町の交番は、今と違う場所にあった。
その交番から少しだけ離れたビルの陰に毎晩立っている女性も、やはりコールガール。
いわゆる「立ちんぼ」ですが、彼女たちはヤクザと警察に守られているという。不思議な立ち位置でした。
当時の麻雀仲間には、地元の小規模な老舗の組のヤクザがたくさんいました。
組のシマは、小さな商店街の半分のさらに道の片側だけ、とかね。
暴対法ができた時に、
「いいよなあ、警察から指定暴力団のお墨付きを貰える大きな組は」
と羨ましがっていた人たちです。
ガード下でタコ焼きの屋台をシノギにしている組の兄貴は、麻雀に負けると屋台の小銭を集金して、勝負を続行していました。
「かーっ ツカねえ。マスター、悪いけど年末のお飾りの熊手分、飛ばして(金貸して)くんねえか。現物で払うからよ」
「ダメだよAさん、男を売る家業がこんな目クサレ博打で安目を売っちゃあ。今日はこれくらいにしときな」
マスターも麻雀牌を積むのが不便そうな指をしてましたけど。
本当だったのか?
自称ヒットマンの麻雀打ち
信じられないかもしれませんが、自称ヒットマンの麻雀打ちもいました。
五分刈りの頭髪の三十代の小柄な男性でしたが、特に威圧感とか不気味さとか、そんな感じはなかった。
普通のレートで毎日のように遊んでいて、あまり勝っているようには見えません。
たまにパッタリと来なくなることがあって、ある理由を聞いてみたらヒットマンだと言うんです。
ただし本当かどうかは不明。 昔も今も、ヤクザを勝手に名乗る人や、ヤクザの後ろ盾がいるかのような言動をする人は多いんです。
「九州の抗争の助っ人に行ってた」
ヒットマンによると、まず山口県の下関まで行って、そこで拳銃を受け取って九州に潜入。 義理のある組の抗争相手の事務所に向かって発砲し、窓ガラスを割るのが仕事なんだそうです。
「事務所は2階のほうがやりやすい。道路から窓に向かって銃弾を撃ち込めば、せいぜい窓ガラスと蛍光灯が割れるくらい。人が死んだりすることはない」
助っ人と言っても、本当にケンカするのはマレで、なるべく目立つように、形式的な仕返しをするのが仕事だとか。
「銃を水平に打つのは危険なので、1階の事務所に人が居そうな時は、発砲直前に警告の電話をすることもある」
ヒットマンの話しでは、数年おきに海外に射撃の練習に行ってたとか。
「弾が人に当たらないように練習するんだよ。助っ人と言ったってたいした金にはならないんだから、人を死なせでもしたら、この先の人生は真っ暗だからよ」
ヒットマンでも人生設計に気を使うのね。