中央線アンダードッグ 第2話【長村大 連載小説】

中央線アンダードッグ

長村大

 

 

第2話

 

目が覚めたので、枕元のあたりから手探りでスマートフォンを手に取り、時間を確認する。AM7:24、アラームは7:30だ、目覚ましに勝った。といってもほぼ毎日勝つのだが。

寝室を出て洗面所に行き、歯を磨く。ヘッドの小さい歯ブラシに、歯磨き粉は少しだけ。上の歯の前面を、右奥から真ん中、左側の奥。鉛筆を持つように歯ブラシを持ち、地面と垂直方向になるように立てて、縦にこする。力を入れてはいけない、歯磨き粉には研磨剤が入っているからだ。同じように下の歯、歯の裏側も一本ずつ丁寧に磨く。

 

トイレに行き、石鹸で手をよく洗ったら、キッチンに行きやかんで湯を沸かす。その間にマグカップに一人用のドリッパーを乗せ、紙のフィルターをセットする。スケーラーに乗せ表示を0に戻し、コーヒー豆を入れる。きっちり11g、豆はブレンドよりストレートでフレンチローストかイタリアンロースト、強めの焙煎のほうが好みだ。重要なのは、どんな豆でも密閉して冷凍庫で保存すること。保存さえちゃんとしておけば、少なくとも買ったときの鮮度は保たれる。

 

湯が沸いたら、まずはカップを温めるために湯を注ぐ。次にメジャーカップに180㏄を計り、それをコーヒーケトル(注ぎ口が細いやつだ)に流し、ごくごく弱火にかけておく。カップが温まったら湯を捨て、ドリッパーを乗せてコーヒーケトルの湯を注いでいく。まわりからほんの少しずつ全体を湿らせた後、真ん中あたりにある程度の量を注ぐ。すると、中からポコポコと気泡のようなものが出てきて弾けるのが見える。豆に含まれるガスが出てくるのだ。

この状態で1分ほど蒸らす。その間にリビングのデスクトップを立ち上げておき、蒸らしが終わったら、再び湯を注ぐ。ゆっくりと、真ん中に500円玉ほどの円を描くように注いでいく。すると、豆がまるで下から押されたかのようにふわっと盛り上がるのだが、この瞬間がコーヒーを淹れる醍醐味だとおれは思う。

 

などと言うとまるでコーヒー通のようだが、実のところ全然そんなことはない。豆だってそこいらにある輸入食料品チェーンが店頭で挽いてくれる200g800円くらいの安いやつだし、いつの間にかモカがマンデリンと入れ替わっていても気付かないだろう。ただの習慣だ。基本的にコーヒーでありさえすれば、文句はない。

手早くドリッパーを洗い、カップを持ってPCの前に座る。とはいえ大してやることもない、ブックマークしている個人ブログをチェックして某巨大掲示板まとめサイトを見てニュースを見るくらいである。わざわざデスクトップを立ち上げなくてもすべてスマートフォンで事足りるのだが、これもまた、習慣だ。

 

一通り見終わったら、洗面所でヒゲを剃り、シャワーを浴びる。

風呂場から出たらドライヤーで髪を乾かし、顔に化粧水をぶちまけ、体(特に背中や脛だ)にはボディクリームを塗りたくる。スキンケアといえば聞こえはいいが、実際はそんなシャレたものじゃないし、モテようとしているわけでもない。ただ単に中年男の乾燥肌であり、必要だからやっているだけだ。今の若者は、男でも肌の手入れに気を使うやつが多いと聞くが、そもそも若者にはそんなもの必要ない。中年男の乾燥のほうがよほど深刻だ。

 

クローゼットを開け、お気に入りのシャツに着替えて家を出る。時刻はだいたい9:30くらいになっている。阿佐ヶ谷駅まで徒歩7分、特に決まった電車があるわけではなく、来た上り電車に乗る。

 

新宿まで10分とちょっと、東口改札を出てそのまま駅構内を左に20メートルくらい行くと、「ヘルムート」というカフェ兼飲み屋、みたいな店がある。ここの使い勝手の良さは素晴らしく、モーニングのセットを食ってるサラリーマンの隣に、夜勤明けでギネスのパイントを飲んでるやつがいる。

おれも財布からエーデルピルスの回数券を取り出す、これなら11枚綴りが10枚分の値段で買えるのだ。店員からビールを受け取って、立ち飲みのカウンターに立って飲む。

一杯だけ。朝の気つけみたいなものなので、それ以上は飲まない。

5分でビールを飲み干したら、今日も歌舞伎町まで徒歩10分。

 

 

 

「プラスツー」に着く。妙に古めかしくて立派な木製のドアを開けて中に入る。

1卓だけやっていて、客は全員常連だ。不動産屋のタカクワ、楽器屋のシラネ、中古のパチンコ台を取り扱っているカタヨセの3人。カタヨセは50代だが、あとの二人は60代、今の歌舞伎町東風は、だいたいこんな感じの客層だ。

 

「どーもー」

誰ともなしに挨拶して、待ち席に座る。3人と共に卓に入っている従業員から

「ちょっと待っててねー、今3局だから」

と、声をかけられる。

 

タカクワのトップでその回は終わり、従業員の席におれが座った。サイドテーブルのカゴをさりげなく見てみると、今トップを取ったタカクワのカゴに金が集まっているのがわかる。今度はわざとそのカゴをのぞき込むようにして

「タカクワさん調子いいみたいじゃない」

と声をかけてみる。

「そんなことねえよ、全部青いのだよ」

タカクワがカゴにたまった札をバサバサと振って見せる。「青いの」とは千円札のことだが、青いのがいっぱいあるということは祝儀を引いているということでもあり、やはり調子がいいのであろう。

「どうせプロが入ったら全部持ってかれちまうんだからよ」

タカクワの吐いたセリフにシラネが反応する。

「え、小山田ちゃん、プロなの?」

「いやいや違いますよ、昔ちょっとかじってただけです」

「でも、なんか大きな大会で優勝したんだろ?」

カタヨセが首を突っ込んでくるが、おれは相手にしない。

「大昔の話ですよ大昔の。はいはい、やりますよ」

 

 

座ってすぐの東1局、親でこんな手がきた。

 

 ツモ ドラ 6巡目

 

を切って待ちのテンパイ。が場に1枚ではション牌。ほんのわずかだが、裏ドラの確率の低いを切ってリーチとした。

「チー」

下家のタカクワが鳴いた。「しまった」と思ったがもう遅い。タカクワはメンゼンであったが、捨て牌にがある。裏ドラの確率より、鳴かれづらいで曲げるべきである。ただのボーンヘッドだ。

一発が消えた1巡目、ツモれず。

2秒後、下家のタカクワが「おっ!」と言ってツモ切った牌はむべなるかな、白ポッチであった。鳴かれなければ白ポッチ一発ツモ、裏ドラはわからないが、最低2000点オールの2000円オール、絶好のスタートになっていた可能性は高い。

なんにも根拠はないが、嫌な予感がする。こんな日はたいてい──。

 

ところが次巡のツモが、アンカン。カンドラは乗らなかったが、リンシャン牌をツモってみると金が寝ていた。

裏ドラをめくると、カン裏表示牌に

リーヅモリンシャン金ドラ4、金は2000円なので倍満の6000円オール。

もちろん麻雀には、たらもればもありはしない。しかし目に見えるヘタを打ったあげくの最高の結果、ツイている。朝一のデカいトップが、もしかしたら今日の大勝の第一歩になるかも、との予感がよぎった──。

予感なんて、そんなもんだ。

 

 

いつも通り19時過ぎまで打ち、店を出て、駅方面へ歩を進める。財布の中身は5万円ほど減っている。良かったのは最初だけ、後半グズグズに崩れて、そこそこ大き目のガミを食った。

結局、最初の予感が正しかったわけだ。

だが勝っていれば二番目の予感が正しかったわけで、やはり、予感なんてそんなもん、なのである。

 

 

第3話(4月13日)に続く。

この小説は毎週土曜・水曜の0時に更新されます。

 

長村大
第11期麻雀最強位。1999年、当時流れ論が主流であった麻雀界に彗星のごとく現れ麻雀最強位になる。
最高位戦所属プロだったが現在はプロややめている。著書に『真・デジタル』がある。
Twitterアカウントはこちら→@iggysworldtower