雀鬼桜井章一
会長との最初の縁
私のライターデビューを応援してくれたのは、主に麻雀仲間の島本慶さんでした。
島本さん本人は漫画家志望でしたが、そちらの方はイマイチで、いつの間にか風俗ライーターの第一人者になってしまいました。
若いころから編集プロダクションを経営しており、やはり漫画家デビューを目指す、東陽片岡さんや中崎タツヤさんを応援していました。
東陽片岡さんのコピー漫画をまとめ買いしたり、じみへんでブレイク前の中崎タツヤさんの初単行本を作ったりとか。
「自分の単行本は未だに出せないんだけどね」
そんな島本さんの所に、麻雀ビデオの制作補助の依頼が来ました。
「歌舞伎町で有名な裏プロの、引退記念のビデオに出演してほしい」
「裏ワザの紹介も予定している」
さっそく私にも話がまわって来たんですが、それが、竹書房などのメディアに登場する前の、雀鬼桜井章一会長だったんです。
島本さんも私も楽しみにしてたんですが、残念ながら、企画は流れました。
それから十年以上たって、私は白夜書房の末井昭さんの依頼で、桜井会長に初インタビューをすることになりました。
会長は私より10歳近く年上ですが、当時は今と違って麻雀に関する情報格差や技術格差が大きい時代なので、
数年のキャリアの差や、戦っている場所のが、大きな実力差になってた時代です。
たとえば、四アンコのタンキ待ちを、1巡後にイイペイコのみでアガったりなどは、普通の麻雀では見られません。
サシウマの都合とか、カモにトップを取らせるとか、同業者をツブすための、手作りの巻き戻しをする、特殊な麻雀です。
カメラマンと一緒に、下北沢の道場にお邪魔しました。
「麻雀勝つには、どうすればいいんでしょう?」
「麻雀だけ勝とうとしてもダメだ。普段の生活がキッチリしてないと勝てない」
びっくりしました。麻雀関係者でそんなことを言う人を知りませんでしたから。
日ごろ私が気になってたことも、いくつか聞いてみました。
「序盤に白発と鳴かれても、勝負手だったらすぐに中を切ったほうがいいですよね?」
「何ぃ! そりゃダメだろ。役マンなんだから」
私は今も切ったほうが得だと思ってますが、それ以来一度も切ってませんし、たぬの従業員にも切らないように指導しています。
もうひとつは三色の出現頻度について。
「234などの三色に比べて、456はあまりできないと言われてるようですが、どうしてでうかね?」
「456?」
少し首を傾げた後
「そりゃアレだな。崩れやすいんじゃねえのか」
私はすぐには理解できなかったんですが、後からなるほど膝を打ちました。
私は雀球店で働いた経験があったので、チンイツの組み合わせは強かったんですが、雀球には三色がないせいか、自分の疑問に対する正解を自分では見つけられませんでした。
三色の材料が来る確率は同じでも、最終的に三色に仕上がるかどうかは、別なんですね。
たとえば積み込みで456の三色を作っても、もう1メンツを効果的に作るのが難しい。
その点234なら、待ち牌を減らさずに、役を確定させやすいんです。
私が驚いたのは、桜井会長がおそらく事前に答えを知っていたのではなく、初めて受けた質問にその場で少し考えて答えることができた点です。
私が知る限り、当時この話題を耳にしたり、メディアで見たこともありませんでした。
そもそも
「三色は234が一番多くて、続いて123、345。一番少ないのは456」
という認識すら、一般のファンの間では、あまり無かった時代ですから。
インタビューが終わって、帰ろうとしたら
「ヤマちゃんちは、子供はいるかい?」
「二人いますよ」
「そりゃいい、うちの子もやんちゃ盛りだけど、子供はかわいいよな」
と笑ってました。
人を見るのも
勝負師の実力
さらに数年が経って、私が麻雀最強戦に初めて出場した時のことです。
桜井章一会長は、私の打っている卓のトイメンに立って観戦していました。
対局が終わって、まだ卓についてガッカリしている、私のところに会長が来ました。
「ヤマちゃん、今日はいつもと違う麻雀を打ってたんじゃないか?」
「え?」
「いつもだったら、序盤で切り飛ばしてるファン牌を、今日は絞ってただろ」
まさにその通りでした。
私とは麻雀を打ったことが無いのにもかかわらず、日常の打ちスジや、その日の精神状態を見抜いていたんだと思います。
それを後ろ見ではなくて、トイメンからの観察で分かるというのに驚きました。
麻雀は1対1対1対1の対人ゲームだと言われることがあります。