誰かのもとに風は吹き、その誰か以外は涙を飲むことになる。
風林火山だって、あの村上のドラ暗槓の親リーチに飛び込んでいたら、今頃は泥土を這っていただろう。
たった一牌の後先。
技術を尽くした先に打ち手ができるのは、祈ることくらいのものだ。
「こんなに感情を揺さぶられるゲームは他にない」
と魚谷は語る。
「運と実力の融合」
最初に語ったとおり、技術の及ばない領域があるからこそ
麻雀は見るものを惹きつけ、感情を揺さぶるのかもしれない。
それでも他の7チームは、この夜の悔しさを忘れず、来季の優勝確率を0.0001%上げるために血肉を注ぐだろう。
歓喜の瞬間を味わうために
打ち手にできることは、それしかないのだから。
オマケ①
またしても目無し問題が議論にあがっている。
もう誇張なしに何十回と話題になっているのでウンザリしているが、これは麻雀界が放置している永遠の課題とも言えるので触れておこう。
今回で言うと、否定派の意見はこう。
・最終順位の全く影響のない村上(ドリブンズ)のアガリによって優勝の行方が左右されるのはおかしい、見ていて興醒めする
これに対しての意見が
・どう打っても誰かに何かしらの影響を与えてしまうので仕方ない
・はやくこの文化が根付いてほしい
この2つの対立する意見は、両方正しくて、両方間違っている。
まず「目無しになった打ち手がその半荘のトップを目指しても何してもその打ち手の自由、どうやっても影響は出るのだから」という文化が根付くことは絶対にない。
いくら定着したとしても、ライト層が見たときの違和感を拭い去ることはできないからだ。
かといって何もせず、空気に徹することも難しい。
昨年の沢崎の立ち振るまいが絶賛されているが、あのときは沢崎さんにほとんど手が入らなかった。
沢崎だって手が入ったら自然にアガリに向かっただろう。鳴きはしないと思うけど。
両者の意見とも悪くない。
じゃあ何が悪いかって言うと、そもそも目無し者が生まれてしまうシステム自体が悪い。
どう打っても何かしらの影響があり、どう打っても文句が出てしまうのだから。
構造自体を変えない限り、目無し問題は永遠に解決されることはないだろう。
RMUのこのシステムが優れているのではないだろうか。
今回の半荘で言うと、オーラス村上がアガった時点で延長戦に突入、アガってトップ、つまり勝又がアガるまで延長線は続き、他の3チームも逆転の目が残るというシステムだ。
これならラス目の安手アガリにも「トップ者のアガリを阻止する」という意味が出てくる。
オマケ②
2020シーズンも観戦記を読んでいただき、ありがとうございました。
先に宣告しておきます。
2021も書き続けます。
試合をまるっと見てから、次の日の昼までに戦いをまとめて書き上げる…という作業は思いのほか大変で心が折れかけたりもしましたが、皆さんの応援の声、その中でも特に藤田社長に「エモい」と褒めてもらったことが原動力となりました。
Mリーグは数カ月間のオフシーズンとなります。
藤田社長が閉会式で言っていたように、このコロナ禍で世界が大変になっている時代だからこそ、麻雀で人々の心を楽しませたり癒やしたりできれば素敵だなと思っております。
それまでは「ウマ娘」でもやって凌ぎましょう。
それではみなさん、2021シーズンでお会いすることを楽しみしています。
またね。
Mリーグ観戦記者ZERO
麻雀ブロガー。フリー雀荘メンバー、麻雀プロを経て、ネット麻雀天鳳の人気プレーヤーに。著書に「ゼロ秒思考の麻雀」。現在「近代麻雀」で戦術特集記事を連載中。note「ZEROが麻雀人生をかけて取り組む定期マガジン」、YouTubeチャンネル「ZERO麻雀ch」