プロ競技か純粋な競技か
Mリーグの最終戦で村上淳プロが普通にトップを取りに行く打ち方をして、ABEMAのコメント欄などで色々な意見が出たようです。
まず、何でこんな意見が出るのかと言うと、麻雀プロの大会は「プロ競技」であって、人が見て楽しむものだからです。
これが「ただの競技」であれば、公平性だけ保たれれば良いので、対処法はいくらでもあります。1位から4位までの賞金に差をつけてもいいですし、もっと公平にするなら稼いだポイントに応じて賞金が変わるとかでも良いでしょう。まぁ、要するに「賭け麻雀」みたいなやり方が一番公平だということになります。
でも、それだと見ている方はつまらなくなる可能性が高いんです。
たとえば1位と2位が激アツな優勝争いをしているとします。アガった方が優勝。実況の日吉さんの喉がトンでしまうほどの手に汗握るシチュエーションですが、ここで4位の選手が「タンヤオ」と言ってアガって「これで賞金が千円増えた、やったー」て言ってたら、みんな殺意を抱きますよね。今まで何時間も見てきて、最後がこれかい! てなりますよね。
こうならないように、興行の主催者はいろいろと考えてきたわけです。
昔は自由だった
今の若い人には信じられないかもしれませんが、昔は結構自由でした。タイトル戦の決勝が、3位の人のアガリで終わるなんてことも結構ありました。
賞金額に差があったから、別に不思議なことでもなかったんです。
そういえば昔、麻雀最強戦のプロ大会の決勝で、宇野公介プロがオーラスに倍満をツモって、でも逆転優勝はできなくて、話題になったことがありました。
当時はインターネットがなかったので「近代麻雀」誌上でプロ雀士や麻雀ライターたちが議論したのですが「優勝しか意味のないタイトル戦で、最後に優勝しないアガリをするのはよくない」という論が優勢だった記憶があります。
その頃から、プロ雀士たちは「そういうアガリしたら叩かれるんかー」と思うようになり、さらに「優勝の可能性ない人は出しゃばらないように」という風潮も出てきたように覚えています。
で、こっから先は私が体験したことなので間違いないのですが、MONDOTVの番組収録においては「優勝の可能性が著しく低い人はうまく立ち回ってください」という空気があったし、解説者は「もう親番もないので役満狙いですね」など、対局者が普通の麻雀を打たない前提で話すことも多かったんです。
何年前かは覚えていませんが、まだテレビにブラウン管があって分厚かった時代の話です。「麻雀バトルロイヤル」というチーム戦の大会の大将戦(最終戦)で、オーラスの親で萩原聖人さんが古久根英孝プロを大マクリして優勝したことがありました。いまだに語り継がれている、猛連荘の末の「伝説の三色のアガリ」です。
その時、両脇は土井泰昭プロと森山茂和プロで、古久根プロと萩原さんの一騎打ちを邪魔しないように立ち回っていたのですが、終了後に森山さんが「もちろん、萩原さんの手順は見事だったし番組は盛り上がったけど、古久根さんが気の毒と言えば気の毒だよね」と言ったんです。
オーラスの親が有利になりすぎる
「優勝の可能性がない人が大人しく打つ」ことを徹底すると、追いかけている人が有利になります。特にオーラスになると完全にアガらない人が出てくるため、親が普通の親番よりも有利になります。
MONDOTVはテレビ番組なので「面白いものを視聴者に見せたい」というモチベーションで作られます。
だから逆転優勝劇は大歓迎なのですが、選手としては微妙なケースがあります。
この時の古久根さんがそうで、麻雀を「勝負事」と考えたら、だいたい趨勢は決まっていて古久根さんの勝ちなわけです。
でも、決勝の最終戦は「究極の条件戦」なわけで、そう考えたら別に普通の事だと言うこともできます。古久根さんだって、オーラスの親の萩原さんの猛追があることは織り込み済みで戦っているわけですから、別に良いといえば良いのです。
ただ、毎回そのパターンになったらなったで「見世物」としてもどうなのかということになってきます。
麻雀最強戦も、長い間オーラスの親のアガリやめをありにしてきましたが、2018年に「なし」に変更しました。そうしないとオーラスの親が有利すぎて、選手たちがインタビューなどで「北家スタート引けたので」「引けなかったので」と、それがメインのように話してしまったりもしていました。
これだけで解決できたわけではありませんが、少しはマシになったようです。
プロ団体としては
映像の時代になってきて、プロ団体主催のタイトル戦にも変化がありました。
賞金は優勝のみ高くて、その他は2位から4位まで同額でかなり安目に設定。これによって、最終戦オーラスに優勝者以外がアガることはなくなります。
それでも、途中で脱落してしまった選手が最終戦で遠慮しすぎると「麻雀」が「麻雀」でなくなってきます。
アガるべき人がアガらないために親が異常な連荘を始めたり、それによってさらに点差が開いて…と悪循環になって、長すぎる半荘を見せられることもあります。
そうならないようにするために、選手はできるだけ普通に打つのが理想です。
それでもやはり、色々なケースがありすぎて、選手としてはどう打ったら良いのか難しいんですよね。もちろん、プロなんだから自分で考えてちゃんとやれよと言われても仕方ないのですが。でも、できるだけやりやすい方が良いシステムなのは間違いありません。
5年ほど前に滝沢和典プロが考案した「最終戦の座り順を成績で決める」という方法はなかなか秀逸でした。
最終戦スタート時点で首位の人を「北家スタート」にし、以下、2位以下を「東」「南」「西」家スタートの席に決めるのです。そして、事実上優勝の可能性がない人も「最後の親番が終わるまでは極力普通に打つ」ようにします。
こうしておけば、大マイナスの最下位の人もオーラス以外は普通に勝負に参加しますし、3位の人もラス前までは普通に打てます。さらに、オーラスも首位の人が親なので「長すぎる最後の親番現象」は起こりづらくなります。
連盟のタイトル戦のオーラスが比較的あっさりと終わるのはこのためです。
画期的な延長戦システム
5年ほど前にRMUが試験的に行った「延長戦システム」は画期的だったと思います。
実際に行われたものはかなり複雑でしたが、私は、できるだけ普通の麻雀のルールは生かして「最後だけ延長」でも良いのではないかと考えています。
オーラスのみ「アガった人が優勝でなければ延長戦」とするのです。優勝者が決まるまで、南5局、南6局と続きます。親がノーテンなら終了というルールはそのままでも良いでしょう。
これなら、条件計算を間違った人がいたとしても、その間違いで勝負を終わらせることはありません。逆に条件計算が確実な人は優勝する確率も上がります。
ただ、問題は「これが麻雀としてファンに受け入れられるのか」という点ですね。
プロ団体が運営するチャンネルの視聴者の皆さんは受け入れてくれそうですが、テレビなどライトな視聴者が数十万、数百万といる場合に、この奇異な最終戦を見せることができるのかという課題が残ります。
一貫性さえあればいい
今回の村上プロの件は、Mリーグが舞台でした。優勝と2位の差が数千万円という世界ですから、今後もいろいろと物議をかもすことになりそうですが、普通に考えて、数千万円の差があったら、別に優勝だけ狙う必要はないですよね。もちろん、優勝の価値は計り知れないから、プロ雀士の本能として絶対に狙います。可能性がある限りは。
ただ、ほぼ優勝の可能性がなくなった場合に、優勝争いをしているところに割って入って、4位から3位になるアガリができるのか。もちろん、そういう賞金設定なのですから、するべきなのだと思いますが、する度胸があるのかという話になってくると思います。
こういう話は、リーグとしての「方針」みたいなものがあり、おそらくはある程度のガイドラインがあるでしょう。
だから実際にそうなった時、選手は心おきなく「3位アガリ」をするのだと思います。そしてそれが「新しい競技麻雀の文化」だというメッセージにもなるのでしょう。
今回、村上プロがとったのは4位を決める行為でした。でも、それはそれで必然性があったのだと思います。
もちろん、3位になるチャンスがあれば狙うでしょう。でも、それすらも適わないとなったらどうするべきか?
相手3者が最後まで「試合」をできるようにするのがプロの務めだと私は思います。
そのために普通に麻雀を打つのです。
打ち手の目線で言えば、黒子的な打ち方をされた場合に、逆にやりづらいケースもあります。役牌が出づらくなるなど、普段と読みが変わってきてしまうからです。
もっとも困るのは「途中で方針を変えてしまう人」です。Mリーガーにはいないと思いますが、条件戦に慣れていない人などは「何をしたいんだかよくわからない」ということがあります。
ずっと大人しく打っていて「ああ、この人はもう勝負は投げていて、邪魔しないようにしているのね」と思っていたら、急に親番でリーチを掛けてきたりします。えっ、そこの安全牌持ってないんですけど! と言っても後の祭り。一発放銃してしまったら、ハメられたような気持ちにもなります。
情がないと思われたら損
そういう意味では、村上プロは一貫して「トップをとる」姿勢を崩しておらず、相手の選手にも納得感はあったのではないでしょうか。
ただ、一点。オーラスだけは、2人の勝負を眺めていても良かったのではないかと思う人が多そうです。
多井隆晴プロと内川幸太郎プロは2位と3位の賞金を懸けた「最後の一局」を戦っており、視聴者はそこに注目しています。点差はたったの1.7ポイントです。
首位の勝又健志プロが親ですから、連荘はありません。
これがバクチの場なら村上プロの立場の人は「手出し無用」が常識でした。ここでアガりに行くような人は「情なし」と呼ばれ、嫌われてしまいます。次に逆の立場になった際、恨まれて不利になるように打たれてしまうのです。
ところが、村上プロはあえて「最後まで同じように」打ったのでしょう。考え方によっては、最後だけ傍観するということは一貫性がないとも言えます。
そもそも、村上プロはラス前に勝又プロにわざと放銃してまで「絶対トップとってやる」という打ち方をしているわけですから、最後も普通にアガりに行かないとおかしいですよね。
村上プロは「情なし」と思われても良いから一貫性を持って戦ったということなのです。
もちろん、最後の最後だけは「手出し無用」とする人が普通だとは思います。
たった1.7ポイントの差で1千万円の賞金差があるのですから、ちょっと手を出しづらいですよね(Mリーグは優勝賞金は5000万円、準優勝2000万円、3位1000万円)。それができてしまう村上プロは「情なし」どころか、とんでもない胆力の持ち主だと思いますよ。
というかMリーグに所属している皆さんは全員すごいです。麻雀が強いとか以前に、あの場であの役割を果たしているだけで尊敬します。私ならいくらもらってもやりたくないです。まあ、誰も私に頼まないとは思いますが、それぐらい大変な仕事だと思うから嫌なんです。
村上プロだけではなく、全Mリーガーの皆さん、関係者の皆さん、お疲れさまでした。