遊び人には
金か腕がいる
十代で東京の高田馬場の友だちのアパートに転がしこんで、いつの間にか半世紀近くになってしまいました。
大学に行くためだったんですが、お金欲しさにギャンブルの道に迷い込んでしまい、あっという間に今に至るでございます。
初期の種目は古い順にパチンコ、スロット(規制前)、ロタミント、スマートボール、雀球など。
パチンコ以外で興味のある方は画像検索してみてください。
アナログでレトロな遊技機です。
対人ゲームではなく、すべて機械相手の勝てるギャンブル。
腕を上げたり攻略法を発見すれば、ギャンブルですらないほどバカ勝ちができました。
ただし攻略法の寿命はあまり長くないので、いつまでも稼げるワケではありません。
一方対人ゲームには麻雀やポーカーなどがありますが、仲間や友だちができやすい、麻雀が一番長い付き合いになりました。
今や麻雀は知的対人ゲームとして認知されてますが、当時は遊び人の博打。
麻雀プロ団体ができる前の時代です。
機械式の遊技機の代表のパチンコ・パチスロと麻雀は、日本で勝てるギャンブルの代表例。
どちらも公営ギャンブルと違って、法的にややグレーで、コミッションが小さくて、市場原理が働く所がミソです。
パチンコなら店が客寄せに出る台を作る、麻雀も店と他の客も含めた市場原理が働く。
少数ながら勝てる者のいる雀荘は遊び人の巣窟でした。
当時は主に金で遊ぶ者と腕で遊ぶ者が夜昼見境無しのゴッタ煮。
お金が大きく動いているグループにはパチンコ関係者が多かった。
私は高田馬場で2人のパチンコ店経営者と2人の店長、1人の換金所経営者と打ってました。
若い私のためにある程度レートを落としてくれるんですがそれでもキツい。
おどおどしながら多少は勝ったんですが、当時の麻雀のレベルは今に比べるとそんなに高くなかったし、もっと重要なのはゲーム代が安かったからです。
意外かもしれませんが、腕よりもレート(300くらいまで)よりも、相対的にゲーム代が安いことが勝利に直結するんです。
私が誘われない時は、数倍のレートで遊んでいるようなので、あまり近づかないようにしました。
「山ちゃん、今度アタシたちと遊ぼうよ」
徹夜麻雀が終わった台湾人のお姉さんです。
台湾人仲間で専用の大きなゲタ牌で打ってました。
「無理ですよ高そうだもん」
「アタシゆうべ六百万円負けたネ。レートなら下げるよ」
このメンツの一人は、今も高田馬場にある老舗の台湾料理店の何代か前のオーナーでした。
女性の素性も気になりますが、オーナーの話では高級娼婦だと言ってました。
いくらなんでも六百万円はホラではとも思うんですが、ギャンブルは分かりませんからね。
前のオーナーと言いましたが、みなさん想像どおりに?最後は麻雀で店を取られたんです。
ちなみに私がお世話になったパチンコ店の社長のご子息は、それから何十年も経って、私の店に遊びに来てくれるのが嬉しいです。
金も腕も
ないけど遊び人
金持ちの遊び人に食いついて行こうとするのが、腕のある遊び人です。
実はこの中にれっきとした本職がある人も多かった。
銀行マンで数字に強そうな人だったり、そうでもなさそな路線バスのドライバーだったりとか。
偶然かもしれませんが、ヤクザを名乗る遊び人とモメた時に、2人とも「俺は引かねえよ」だって。
二人とも今や大幹部に出世してるんですよ。
早稲田の学生にも腕のいい雀ゴロがいたんですが、ちょっと無理して打ってたのとメンタルが弱かったのかもしれません。
「実はサラ金のあっちこっちに借りが合計五十万円くらいある」
相談を受けたのアドバイスをしました。
「バイト先の塾の経営者に信用金庫の保証人になって貰って借り入れを起こして、高金利の分はまとめて返せ」
良いアドバイスのハズだったんですが、久しぶりに会ったとたん失敗したのが分かりました。
ヒゲぼうぼうで割れたメガネをセロテープで張ってあるんです。
「遊ぶ金欲しさに、またサラ金に行ったら前より多く貸してくれた。二百万円くらいに増えてる」
ドキっとした人は、引き返すなら今ですよ。
テラ銭と金利を払って勝てるギャンブルは無い。
「博打うちは賭ける金が無くなると、ポケットの中のホコリでも賭けようとする」
と言うくらいですからね。
歌舞伎町の裏で行われてた旅館麻雀では金貸しがいました。
「○○ちゃん、珍しくガンでるね。ズク飛ばそうか?」
負けた人専門の金貸しです。