雀荘メンバーという病
楽しい職場は地獄の一丁目
【近代麻雀ドキュメント】第3回
文・赤松薫
雀荘メンバー・広川孝夫さん(38)の場合
月10万円、住処完備、麻雀を無料で打てる。この響きに惹かれる人は多いのではないだろうか。だが実際は想像よりかなりきつい生活が待っていた。38歳の麻雀好き男が実際に挑戦してきた全記録をお届けする。
「麻雀を打って暮らしていければ何でもいい。
とにかく今の状態を抜け出したい」
打ち子募集に応募して
「住み込みの打ち子募集。月収10万円、家賃光熱費無料、ゲーム代フルバック(全額返金)」。
打ち子とは、「ウラメンバー」とも呼ばれる、雀荘の従業員のひとつの形態。表面上は客のような形で店に常駐していて、卓回しの人数調整に使われる。ゲームを成立させるための要員なので、ゲーム代は店が負担、麻雀の成績による勝ち負けは、自己責任という場合が多い。
名古屋のフリー雀荘のこの告知に応じたのが、今回紹介する雀荘メンバー・広川孝夫さん(38)だ。
当時の広川さんは神奈川県で一人暮らし。老人ホームで働くフリーターだったが、年度末に「4月からの新年度の契約の更新はできません」と、実質、クビを言い渡されて途方に暮れていた。
「早く次の仕事を探さなくてはいけない。でも、どうせだったら好きな麻雀を打てる仕事に就きたいなあ、と考えていたので、この仕事はとても魅力的に見えました」
「でも、周りの友人はみんな反対しましたね。条件が悪いし、僕の麻雀の腕前では到底勤まらないだろう、と言うのです。『そんなことない。僕だって麻雀で食べていける』ということを示したい気持ちもあって、反対を押し切って名古屋に行くことにしました」
勤務先の雀荘は大学の近くで学生客が多い。完全順位制の東風戦でトップ1500G, 2着500G、 3着▲500G、 4着▲1500 G。 祝儀は1枚100Gで、鳴き祝儀。赤3枚の他に祝儀2枚分の金5sが1枚入っている。ゲーム代は250円で、ラスを引くと100Gのラス基金を取られるというルールだった。
条件は実質時給300円台
それでも勝てば稼げる……?
住む場所は店舗のある建物の2階部分だ。1階には天井がない吹き抜け構造で、店の片隅に寝泊まりしているような感覚だ。広川さんが引っ越すまでは事務所として使われていて、エアコンなし、カーテンなし。事務所としての機能も残るので鍵はなくスタッフのだれがいつ入ってくるかもわからない。
報酬は10万円で1日12時間勤務、休日は月7日。打ち子なので、麻雀を打つ以外の仕事はしない。
この条件をきちんと計算してみると。月23日勤務としてまず日給が4347円。1日12時間勤務なので時給は362円だ。ちなみに、厚生労働省が発表している地域別最低賃金では、愛知県は時給845円。全国で一番低い沖縄県や宮崎県でも時給714円だ。
家賃がかからないので、これを5万円相当の収入に換算しても、月15万円だと日給は6521円。12時間働くと時給543円にしかならない。
「友人たちは、『条件が悪すぎる。打ち子をするにしてももっといいところを紹介してあげるからその店はやめておきなさい』と言ってくれたのですが、友人が紹介してくれそうな店はレートが高くて自分の腕では勤まる自信がないです。それよりは名古屋の学生中心の低レートの店のほうがいいだろうと思って決心しました。なんせ、勝てばいいんですからね」。
広川さんの話は、矛盾がある。「麻雀を仕事にしたい」と言いながらも「麻雀の腕には自信がない」と言い、「麻雀で稼ぎたい」と言ったすぐ後で「レートは低い方がいい」と言う。「麻雀を打って暮らしていければ何でもいい、お金は何とかなるだろう。とにかく今の状態を抜け出したい」という気持ちが空回りし、名古屋へと駆り立てたのだろうか。
近所に住む両親には「トヨタ自動車の関連会社で働き口が見つかった。名古屋に行くのでバイクを預かってほしい」と嘘をついた。
「38歳にもなって、麻雀屋で住み込みで働くので名古屋に行く、とは言えませんでしたね。反対されたら嫌ですし」
ひとり暮らしの家財道具はほとんどメルカリで売り払い、引っ越しはゆうパックと卓配便を利用して送料1万円くらいで荷物を送っただけだった。
世間では入学、進学、就職などの新生活を始めた人たちがやや慣れてきた4月末、広川さんは数万円をポケットにねじ込み、希望を胸に夜行バスで名古屋に飛び込んだ。
天鳳は8段だがリアル麻雀は苦手
ここで、広川さんの経歴についてちょっと触れておきたい。
神奈川県の公立の進学校を卒業後、東京の名の知れた大学に入学した。
しかし、勉強についていけずに1年で中退、その後、電気関係の専門学校に2年通い、正社員としてあるIT関連企業に就職したが、約半年でやめてしまう。
「子供のころから小説家になりたくて。そのころ書いた小説を懸賞に応募してみたら最終選考に残ったので、今後小説を書いて生きていこうと、会社を辞めました」
しかし、その小説は最終的に選に漏れ、書籍として出版されることもなかった。
「麻雀を知ったせいで人生が狂ってしまった」とは、冗談まじりによく聞く言葉だが広川さんの麻雀との出会いは遅い。
麻雀を始めたとのは30歳の時で、きっかけはネット麻雀だった。オンライン麻雀「天鳳」に熱中し、やがてリアル麻雀にも出かけることにした。
地元の健康麻雀教室に参加し、そこで「月間最優秀賞」に輝く。
「うれしかったですね。壁に自分の名前が張り出されて、みんなに拍手してもらえて。ああ、自分は麻雀で人に認められたんだなあ、という実感がわきました」。
30歳まで特に何も成し遂げず、なんとなく親にも後ろめたい気持ちで生きてきた男が、初めて他人に評価されたのが「健康麻雀」だった。
「もっと強くなりたい、うまくなりたいという気持ちがわいてきて、麻雀の戦術本をたくさん読んで研究するようになりました。そして、天鳳では8段になり、『自分は麻雀ならできる』と思えました」
その健康麻雀の場で最優秀賞になったことで得た賞金は、500円。その後は一度も入賞しなかったがそれでも「自分の麻雀は金になる」という自信をもって、巷のオンレートの雀荘に出入りし、老人ホームでのアルバイトで稼いだなけなしの金を、数千円ずつ失っていく悪循環に、いつしか落ちていった。
天鳳をやったことのある人の中には「天鳳8段の実力があるのに、リアルでそんなに負けるわけはないだろう」と思う人がいるかもしれない。しかしそれは広川さんと打ってみればわかる。
とにかくチョンボが多く、チェックやアガリ放棄の対象となるようなあやしい所作を頻発する。鳴くべき牌をなかなか鳴けないので手は遅くアガリが少ない。
天鳳では「鳴くかどうか?」を聞いてくれるし、誤ポンやさらしまちがいなどは起こりえない。しかも山を崩すとか、対局中に指をくわえて同卓者に叱責されるなどのトラブルもありえない。広川さんは「天鳳は強いが、リアルには向かない雀士」なのだ。友人たちが「メンバー業は打ち子といえどもやめたほうがいい」と引き留めたのも当然と言えば当然だろう。
打つのもつらい、打たないのもつらい
それでも広川さんは「自分の麻雀で稼ぐ」という夢を持って、名古屋に到着。そこで生き地獄を味わうことになる。
まず、最初の数日で大負けし、手持ちの現金数万円を溶かしてしまった。月10万円の報酬は、月末締めの後払いなので、当面は自腹で打たなくてはならない。それなのに、初めにつまずいだのだ。
「名古屋ではお金がなくて、安い牛丼ばかり食べていました。好き嫌いが激しいので、ほんとに牛丼ばかりでしたね。
打ち子なのでずっと麻雀を打っていないといけないのが体力的にキツかったです。遊びじゃないんだなーと思い知りましたね。でも、たまの休みには名古屋の他のフリー雀荘に行って打ってました」
毎日麻雀が辛いのに、休日も麻雀とはどういうことだろうか?
「名古屋にノーレートのギャル雀があって、そこに行くのが楽しみでした。
でもそれではお金が減るばかりなので、たまにオンレートに行って、まあ、お金が増えるどころかその逆で。これならフーゾクにでも行けばよかったなあ、と思いました」
「部屋にエアコンもないから夜は窓を開けてるんですけど、カーテンもなくて、男性として当然の自慰行為ができないんですよ。階下ではまだ卓が立っててお客さんが打ってることもあるし。パジャマのまま店のトイレに行ったらお客さんに『さっきまで打ってたこいつ、なんでパジャマ着てるの?』みたいな目で見られて、まあ、そこでも自慰はできませんでした。つらかったですねえ」
広川さんが、この奇妙な裏メンバー生活を始めたことはツイッターなどで少し話題になり知人たちが店を訪れ、エアコンや食べ物を差し入れてもらえるようになった。それでも最初の負けが込んだのが厳しかったのですぐに、この仕事をあきらめることにした。
「2か月だけ働いて6月末でやめることになりましたが、たまたまその店も7月いっぱいで廃業することになり、『ああ、短い裏メンバー業だったなあ』と思いました」。
6月末の仕事を終えて7月1日の深夜バスに乗ったときの所持金は数千円。
「よその雀荘にあいさつして回るお金もなかったです」
麻雀の夢はあきらめていない
関東に戻り、名古屋の雀荘の給料が振り込まれたころから、広川さんはまたフリー雀荘に出入りしている。
「両親はまだ名古屋で働いていると思っています。すぐに戻ってきたとは言いにくいので。しかし、名古屋での2か月で麻雀は強くなったと思います」
今後の夢や目標を聞くと「やっぱり麻雀で生きていくことです。やって行けそうな気がします」と即答した。とにかく麻雀が好きで好きでどうしようもないということだけは、よくわかる。
今は、知人の厚意で寝泊まりするところがあり、麻雀以外の仕事(前回と同じく老人ホームの仕事)も一応見つけたようだ。
「でも、麻雀を打つ時間がなくなるので、介護の資格などは取るつもりはないです。老人ホームの仕事はほどほどにして、とにかく麻雀で何かを成し遂げたいです」
何かとはいったい何なのか? そんな疑問など抱いたことがないように、広川さんは颯爽と去っていった。