【麻雀小説】中央線アンダードッグ 第7話:ハタチの頃【長村大】

中央線アンダードッグ

長村大

 

 

第7話

 

音楽雑誌の仕事、などというと少しかっこいいみたいだけれど、正直言って、誰でもできるようなものだった。まさに、かの有名作家が言うところの文化的雪かきである。字が書いてあればよいのだ。

しかし、白い紙を活字で埋めていくだけの作業だからといって、それがつまらないと決まっているわけではない。少なくともおれは楽しかった。

1ページを10くらいに分割して、各ライターがそれぞれ好きなCDやレコードを紹介するコーナーで、1号につき5~6ページは使われていた企画であった。一本の文章量は100字か120字くらいで、特にノルマや締め切りが決まっていたわけではなく、書いたら書いただけ編集部に送ればよかった。使われるものも使われないものもあったが、別にあまり気にならなかった。ギャラも、今となっては払われていたのかどうかすらさだかではないが、それもどうでもよかった。

主に日本やヨーロッパのインディポップをレビューしていた記憶があるが、そもそもおれは楽器ができるわけでもなく、技術的なことはなに一つわからなかったので、言ってみれば小学生の読書感想文みたいなものである。そんなものを載っけてくれていたのだから、懐が深いといえば深い、適当といえば適当な雑誌であったのだろう。

 

おれは生まれてから42歳の現在に至るまで、なにがしかの己の能力に自信を持てたことがほとんどない。例えばマジメであるとか足が早いとか女の子にモテるとか、そういうのはビタ一文持ち合わせていない。

だが、耳が良い、ということだけには、ほんの少しだけ自信を持っていた。聴力ではない、良い音楽を聴き分けられるということである。

とはいっても、本来「良い音楽」などというのもおかしな話で、音楽に良いも悪いもない。全ての音楽は、すべからく縦ではなく横に並んでいる(『べき』な)のだ。

 

完璧に素晴らしい音楽、クソにまみれた音楽。序列は個人の心の中にのみ存在するのであって、他人にひけらかすようなものでは決してない。辛うじて、共通理解共通言語を持ちうる相手との間でのみ、アウトプットが許されるはずのものであろう。

90年代の日本のチャートを席巻していたなんちゃらイング系、なんちゃらムロ系、なんちゃらプロジェクト、自己啓発ソング野郎ども、これらは道端のおドッグ様のクソにも劣る地獄であったし、そんなもんを喜んで聴いているやつらも同様であった、おれにとって。

別にゴミ音楽が流行るのは勝手だ、耳を塞いでいればよい。

だが、やつらと、やつらをもてはやすメディアどもは、ときに、あるいは頻繁に他人の家に土足で上がり込み、あげくリビングで立ち小便を振り撒きだす。曰く「結局売れてないんでしょ?」「良い曲は売れるから、絶対」「だからマイナーなんだよ」。

 

まったくうんざりする。おれがある種の音楽を好きなのと、お前らがクソの音楽を好きなのは同じだ、ただクソの認識が違うだけだ。ただお前らにとってのクソが誰かにとって宝物である可能性を、なぜ想像できない?

 

お前らの軍は兵力もケタ違いで優勢だ。だが全員じゃあない、ちっとも。おまえらに悪気はないのかもしれないが、悪気がないから許されるなんてことはない、絶対に。

今はもう、この頃のように圧倒的な勢力みたいなものはいない。インターネットの普及がメジャーやマイナーといった概念を殺し、横並びが当たり前になった。

各々、好きな音楽を好きな方法で聴いているわけで、はるかに健全だと思う。サブカルが死んだことに対しての寂しさは当然あるが、それを置いてもほんとうに良い時代になった、インターネット様ありがとうございますと心から思う。思うが、いい年になった今でも、あの時代に受けた痛みとそれに対する恨みは消えたことがない。おそらくは死ぬまで。

 

 

そんなことをしながら生きていたが、ある日、思い立って引っ越しをした。ハタチになってすぐのころだ。

我が家は中学生まで吉祥寺で暮らしていたが、おれが高校に入るころに、父親の仕事の関係で練馬区に引っ越していた。良かったのは市外局番が03になったことくらいで、控え目に言ってもおれは練馬区になじめなかった。レコード屋も古着屋も古本屋もない、ただ住むためだけの土地。当時は苦痛であった。

 

バイトでなんとか貯めた金で、阿佐ヶ谷駅北口から徒歩5分ほど、築年数はおれと同い年の二階建てボロアパートの一階。物件探しなどしたことがなかったので、最初に紹介されたアパートに決めてしまったのだが、築年数が古いこともあって、広さのわりに家賃は安かった。1K、30平米で7万円。陽当たりはゼロ、すぐ隣は墓場であったが、それもなんとなく気に入った。

とぼしい資金で敷金礼金テレビ冷蔵庫諸々、生活に必要なものはどうやらまかなえたが、もちろんそれでスッカラカンになった。親にも内緒である日突然出て行ったわけだが、保証人などどうしたのだろうか、まったく記憶にない。

とはいえ、初めての一人暮らしに、若かったおれは少なからず興奮していた。

 

ある日、「ドーナツ・シーン」のミヤモトに呼び出されて、編集部にいった。編集部といっても高円寺にあるミヤモトの自室だ。

「えーと、実はさ」

なにか言いづらそうな感じでミヤモトが喋りだす。

「ドーナツ・シーンなんだけど、来月で終わりなんだよね」

「終わり?」

「そう、終わり。雑誌が終わり」

「え、マジですか! なんでですか?」

「んーまあ、売れないからだよね」

ミヤモトは屈託なくアハハと笑った。

「……そうですか……。残念、ですね」

それ以外に言葉が浮かばなかった。

「でも、ありがとうございました。しょうもないレビューばっかでしたけど、おれはすごく楽しかったですよ」

「いやこっちこそロクに金も払わねーで悪かったね。ありがとう」

「いや全然です、全然……」

少しの間、気まずさに似た沈黙が流れた。

「わかりました、またなんかあったら声かけて……」

おれの言葉を遮って、ミヤモトが話し出した。

「そういえば小山田くん、麻雀のプロなんだって?」

ああまあそうなんですけどプロといっても別にそれで食えるわけじゃなくて、などとおれは口の中でゴニョゴニョと呟いた。

「おれの知り合いで麻雀雑誌の編集者がいるからさ、今度メシでも食おうよ。罪ほろぼしってわけじゃないけど、せっかくだからさ、紹介だけしとくよ」

「ありがとうございます、でもそんな気を使ってもらわなくても」

いやいいんだよ、ヒマつぶしみたいなもんだからさ。ミヤモトはそう言って、タバコに火をつけた。

 

 

第8話(5月1日)に続く。

この小説は毎週土曜・水曜の0時に更新されます。

 

長村大
第11期麻雀最強位。1999年、当時流れ論が主流であった麻雀界に彗星のごとく現れ麻雀最強位になる。
最高位戦所属プロだったが現在はプロをやめている。著書に『真・デジタル』がある。
Twitterアカウントはこちら→@sand_pudding
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