【麻雀小説】中央線アンダードッグ 第9話:一次予選【長村大】

中央線アンダードッグ

長村大

 

 

第9話

 

高円寺のおもちゃ屋で一目ぼれして買った、「機関車トーマス」の目覚まし時計が鳴る。もちろんトーマスのテーマ曲だが、買った時から音がイカれていて音程がおかしい。音声をスロー再生したときみたいに、モグァっとした低音で鳴りはじめるのだ、トイそのものの外観とあいまってホラー感があるが、使っているうちにそれも妙に愛着がわいてきていた。しかし10年ほど前にあやまって机から落としてしまい、トーマスの顔面が真っ二つになるという深刻なダメージを受けたので捨ててしまった。

布団の上に胡坐をかいて、その辺に置いてあるロングピースに火をつける。ほんとうは両切りを吸うべきだと思うが、口の中に葉っぱが残るので面倒なのだ、このあたりはおれの甘えだ。家の中やオフィスでタバコを吸うなど今は考えられないが、当時はまだそれに疑問を持つという概念すら世間に存在しなかったように思う。プロの公式対局中も普通に吸えた。

灰皿は、これも高円寺で買った「恐竜家族」のベイビーというキャラクタープリントの缶のやつだ。そのころ深夜にやっていたアメリカのマペットドラマで、ジュブナイルにも拘わらず人種差別だったりドラッグだったり妙に難しい内容を人間じみたマペットが演じる、というちょっとすごいドラマだった。ちなみに、最後は氷河期がきて全滅、という身も蓋もないエンドである。タバコは何年か前にやめたが、この灰皿はまだ家に飾っている。

冷蔵庫の飲みかけのペットボトルから直に烏龍茶を飲んで、シャワーを浴びる。墓場の隣の阿佐ヶ谷駅北口一階家賃7万円のアパートは、造りが古いので、ユニバスではなくトイレから独立した風呂場に入る構造だった。部屋のわりに押し入れが広かったり台所の床に収納があったり、古さゆえの便利さはあったが、いずれここも引っ越すことになる。

 

対局なのでスーツに着替える。

たった一着だけ持っている、マルイの月賦で買ったキャサリンハムネットのグレーに薄いチェックの入ったスーツ、これもマルイで買ったユウジヤマダのえんじ色のシャツ、古着屋で買ったヴィヴィアンウエストウッドのピンクのネクタイ。モッズなんだかモードなんだかパンクなんだかわからない格好だが、とにかく一張羅には違いない。

 

バッグに読みかけの筒井康隆を放り込んで家を出て阿佐ヶ谷駅まで歩いて5分、ホームに上がる。総武線と、中野から地下に潜る東西線のどちらかが来るが、会場は飯田橋なのでどちらでもよい、来たほうに乗り込み筒井康隆を開く。対局前の移動は本を読んで過ごすことにしていた、音楽を聴いたりするよりなんとなく脳が回転しそうな気がするからだが、たぶん気のせいだろう。

 

飯田橋駅東口すぐのところにあるセット専門の雀荘が一次予選の会場だ。30卓以上ある大きな店だが、別の会場でも同時に同様の予選が行われる。一次予選を勝ち上がるとシード者を加えた二次予選、さらに最終予選まである。規模が大きいのだ。

店に着いたのは開始15分ほど前だったが、すでに多くの参加選手が集まっていた。同じ団体に所属する顔見知りもいるが、もちろん他団体の選手もたくさん参加していて、知らないやつもけっこういた。

受付を済ませ、知ってるやつとなんとなく挨拶などしたら、あとは始まるのを待つだけだ。一回戦の卓に着き、マヌケ面して場内を眺めていた。

そのとき、後ろから声をかけられた。

 

コニシだ。あれ、と思って聞いた。

「あれ、おまえも今日なの?」

コニシはすでにBリーグに上がっていたので、シードがあるのかと思っていたのだ。

「そうだよ、当たり前だろ」

「シードじゃないんだな」

「Bリーグじゃちょっと無理だなー」

なんとなく、安心した。

「まあとりあえず、頑張ろうぜ」

「頑張ったからって勝てるもんでもないけどな」

そう言って少し笑い、やつは自分の卓の方向に歩いていった。

 

一次予選は20%が勝ち上がれる。全部で四回戦なので、二回はトップが必要だろうか。そう、頑張ったからといって勝てるわけではない、ツカなきゃ勝てないのだ。そもそもそういうゲームではあるが。

 

この日、おれはツイていた。

簡単な手が簡単にまとまり、一回戦トップ。二回戦は小さい三着だったが、三回戦で再びトップを取った。

現状、勝ち上がりのラインには乗っている、最終戦三着でもおそらく大丈夫だろう。ただ、ラスだと微妙だ。ボーダー周辺がどうなるかは終わってみないとわからないが、落ちる確率のほうが高いのではないだろうか。

 

四回戦の卓につくと、先にコニシが座っていた。三回戦までの集計表を見ると、なんと三連勝でトータルトップである。最終戦ラスでも、余裕で勝ち残れるポイントである。

「いいな、余裕があるやつは」

冗談めかして言ってみた。

「おれもラスじゃなきゃ残りそうだけど」

「まあな、ここはな。先でツカなきゃしょうがないけどな」

一次予選より、勝ち上がった先でツイて欲しいという意味だ。なんにせよ、こういうポイントに余裕がある人間や、逆にどれだけ大きなトップを取っても勝ち上がりが困難な人間がいたほうがいい。おれの条件はラスを引かないこと、それだけだ。

 

頑張ったから勝てるわけではないのと同様に、ラスを引かなければいいからと言ってラスにならないわけではない。東パツ、ドラのをポンしてテンパイを入れている中盤に、なにげなく切った牌が親のタンピン三色の高めにブチ当たった。おれの現物牌であった。

たしかにドラポンのおれに対して2枚ほど強い牌を押してきている、現物待ちでテンパイの可能性はあるだろう。だがそうだとしても、ドラがない時点で手役がからまなければ安手の可能性が高い。実際、アガった手は

 

 ロン

 

であったが、前巡に手出しでを切っている。ピンフのみからの手変わり直後の放銃になってしまった。

ラスじゃなければ、という条件とはいえ、これくらいは切らなければ麻雀にならない。というかこれを止める押し引きバランスでは、逆にラスになる可能性のほうがトータル的には高いだろう。不可避かつ、現実的には手痛い放銃である。

 

その後は特にできることもなく、2000点を一度アガっただけでオーラスの自分の親まで来てしまった。一人落ちてきたやつがいたので三着目に浮上していたのは救いだったが、その差は300点。対極に上位の二人、コニシともう一人も、競りであった。

 

おれはラスだと危うい。しかしコニシは、どう転んでも勝ち抜けが決まっている。根拠はないがなんとなく、大丈夫な気がした。不安と第六感について、おれは少し考えた。

 

 

第10話(5月8日)に続く。

この小説は毎週土曜・水曜の0時に更新されます。

 

長村大
第11期麻雀最強位。1999年、当時流れ論が主流であった麻雀界に彗星のごとく現れ麻雀最強位になる。
最高位戦所属プロだったが現在はプロをやめている。著書に『真・デジタル』がある。
Twitterアカウントはこちら→@sand_pudding
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