小さな資本と
大きなヤル気
私は中学生の時のヤクルト(もどき)販売代理店から、現在の雀荘経営まで、小さな商売をいくつかやってきました。
小学生のころは、商売ではありませせんが、歩合制で田んぼの害虫のカメムシ取りのアルバイトもしました。
どちらも成果に見合った報酬が得られます。勤務時間は関係ありません。
「山崎さん」
「あ、西原さん」
「それはアルバイトでは無くて児童労働と言うんですよ。発展途上国にありがちです」
確かに50年くらい前の私の出身地の四国の山奥は、そうだったかもしれません。
さすが世界中を取材して来た西原理恵子さん。将来はユニセフ大使かもです。
東京に出て来てからは、生活費と学費を稼ぐために色んなアルバイトと、ギャンブルをしました。
学生雀ゴロとして通っていた高田馬場の雀荘がツブれそうになったので、そこの雇われマスター(店主のような店長)をやりました。
「社長、このままだと店はツブれます。私にやらせてください」
これが雀荘経営の1つ目です。 ただし買い取ってないので、もしツブれても私のリスクは小さいです。
社長はこれ以上経費がかかるなら閉店すると言うので、私が自腹で経営再建に取り組みました。
そこで力強い協力をしてくれたのが、麻雀仲間で風俗ライターの島本慶さんです。
島本さんは地元で「ワセダアベニュー」というタウン誌を発行しており「高田馬場麻雀大会」と企画してくれました。
ゲストは麻雀新撰組の田村光昭プロ。
当時は、麻雀プロと言えば小島武夫さんを筆頭に数人しかいない時代です。
その希少価値と人気は素晴らしく、集客力はバツグンでした。
ギャラの記憶はあいまいですが、たぶんサラリーマンの初任給よりは多かったと思います。
なので給料を貰う前からギ大赤字です。
田村プロの人気とフレンドリーな人柄で、企画は大成功。
大会をキッカケに、4人セットやバラ打ち(フリー)のお客さんが少しずつ増えました。
おかげで、週末には掘りごたつ式の座敷卓まで15卓が萬卓。後ろ見や座敷で寝てるお客さんまで含めると、けっこうな人数になります。
「マスター、出前たのむ」
「はーい」
週末の忙しい時は、バラ打ちの学生にその場でアルバイトを頼んだりしてました。
「出前よりも店内で作ったほうが、早く提供できてしかも儲かるんじゃないか」
週末は一人だと仕事が間に合わないんですが、2人だと逆に人が余ってしまいます。
特に昼間は、店番のおばさんの仕事はあまりなくて、無駄に人件費がかかります。
なので、おばさんには空き時間を利用して、カレーをたくさん作ってもらいました。
お客さんさえ増えれば、こんな小さなことでもけっこう儲かるんですよね。
ヒマな食堂は
食材も人も腐る
雇われマスターになってからは、いつでも麻雀が打てるように、隣の事務所で寝泊まりするようにしました。
極端な職住密着型ですが、経費節約と労働力に柔軟性のためには効果的です。
自宅兼店舗で自営業という、家業経営方式です。
仕事と私生活の区別が無くて、しかもかかなり仕事寄りのライフスタイルです。
お客さんの不満や設備の不具合などへの
●気づきのレベルが高くなり、●問題点への解決法を考えて、
●すぐに対応できます。
たとえば、店で出してるうのんが
●お客さんの食べ残しが多い場合。
●バイト君に同じものを作らせたら塩ょっぱいと判明。ワカメの塩抜きが不完全。
●塩抜きを徹底か塩分の薄いのを仕入れる。量を減らすのも選択肢に入れる。
私はオーナーではありませんが、児童労働時代からの仕事の週間で、経営者意識(オーナーシップ)は、少し多めにあったかもしれません。
先日、食堂を3店舗経営してる人に、各店舗の損益計算書を見せてもらいました。
●社長直営の店は、売り上げが多くて原価率が低い。
したがって純利益が一番多い。
●新人の店長の店は、売り上げが少なくて、材料費が高く、利益がほとんど無い。
●その中間の腕っききの店長は経営者に近い数字を出してました。
新人店長の店は早めに立て直さないと、
●売れないので材料を捨てることになったり、
●最悪、材料がもったいないので、古くなっても使ってしまうこと。