中央線アンダードッグ
長村大
第48話
そのピンさんが店を始めることになったという。店、というのはもちろん麻雀店である。以前先輩に連れていかれた、店というにはあまりにも非合法な、つまりはモグリ、マンション麻雀の類ではない。当局にきちんと営業許可を取るれっきとした「店」だ。
誰かの紹介だったか、ひょんなことからおれはその店を手伝うこととなった。仕事もなくブラブラしていたので、おれとしてもちょうどよかった。
仕事は、いわゆる裏メンである。歌舞伎町レート・ルールの東風戦、ギャラは1ゲーム8百円。しかしゲーム代一回6百円は払うので、実質の収入は2百円である。麻雀でそこそこの成績を残さなければ、大した金にはならない。
裏メンという仕事をするのは初めてであったが、さして心配はしていなかった。普段遊んでいる感触で言えば、ゲーム代以上に負けることはないだろう。
結論から言えば、その感覚は間違っていなかった。客は金貸しや元稼業、よくわからないブローカー、占いの元締めなど、歌舞伎町としては平均よりやや悪いくらいであったが、総じて麻雀は弱かった。もちろん波はあるにせよ、あからさまに分が悪い相手など存在しなかった。
だが、問題はピンさんだった。これが強い。
まず、堂々としている。どんな状況でもビクつくことがない。当たり前のように思うかもしれないが、これは簡単そうで難しい。
レートにビビらないだけの財力があっても、力に自信が無い者は、勝負の場面で怯えが出る。放銃したくない、安全牌がない、ここで打ったらラスになる──、そういうとき、自信が無い者の表情にはどうしようもなく卑屈さが滲み出る。こわごわと放つその一打に、頼むから声がかからないでくれ。彼にはそういうところが一切なかった。
誰かの麻雀の強さを、例をあげて説明するのは難しい。麻雀における彼我の差はおよそ細かい技術の積み重ねであり、当たり前だが「こいつは引きが強い」などというのはすべて幻想だ。「こんな手をアガった」的な例はその場面の偶然がなした結果に過ぎず、誰かの強さを担保するものではない。
少し細かい話になるが、書いてみる。
オーラスであった。
点棒状況は、トップ目の親が380、以下355、129、126、3本場で供託のリーチ棒が1本落ちていた。おれが3着、ピンさんがラス目なのだが、問題はピンさんとトップ目の金貸しは馬身を握っていた。おれは馬身には参加していない。
馬身というのは差し馬の一種で、決まったレートは別に着順の差に応じた金をやりとりする。1万円の馬身であればトップラスで3万円、トップ2着なら1万円を下位の者が払うというわけだ。
こんな手をリーチした。
ドラ
リーチ棒を出せば一時的にラス目になるが、待ちが良い。上とは離れている、いずれ3着キープである。
ところが状況が一変した。ピンさんがおもむろにをアンカン、新ドラ表示牌にがめくれた。リーチのみが一気にリーチドラ3である。こうなれば話が変わってくる。
おれとトップ目との差が251、2着目とは226、3本場だ。東風戦の積み場は1本千5百点、ツモれば1本につき2千点の差になる。ハネマンをツモった場合に親と変わる点差は180、さらに3本場を足して240、供託が1本で250。トップには百点短い。では2着はどうか。2着目は子方なので、ツモって150、3本場で210、供託で220。これも6百点短い。なんのことはない、ハネマンツモになったとて着は変わらなかった。
親もピンさんにさえ打たなければのベタオリ。マンガンツモまでならば親っかぶりでもトップ、そもそもピンさんより上であればトップでなくても良しの構えである。
ほどなくして、あっさりとをツモった。ラッキーなことに雀頭のがカン裏となってリーヅモドラ5のハネマン、30・60の3本場で45・75である。三人から点棒と、裏ドラ祝儀の2千円も集まってくる。
なにかおかしい。点棒やら金やら卓上にバラ撒かれたやつをしまいながら、違和感を覚える。点棒表示を見ると、おれがシバ棒差でトップになっているではないか。
あれ、とおれが言いかけた瞬間、ピンさんがおれの目を見てニヤリとしながら声を発した。
「3本場だとトップか、しかもカンドラカン裏だもんな、ツイてるな」
その瞬間に全てを察した。
「ハネツモだと親っかぶりで3着か、まあでもピンさんより上だからいいけどな」
レートよりも馬身がデカいのだ、金融屋はなにも気付いていないようだった。もう一人も同様である。そもそもおれとの点差などさして見ていなかったのだろう。
点棒授受時の違和感、それはピンさんにあった。あのとき、彼は4千5百点払うべきところを、たしかに5千5百点出したのだ。千点棒5本と5百点棒、さらに他の人へのお釣りや祝儀をまとめたりしたりしているのにまぎれて、多く出したのだろう。本来2着4着の2馬身を3着4着の1馬身にするためである。
このプレーを汚いと見る向きも当然あるだろう。実際ラフプレーを超えてただの反則技である。だが、今となってはピンさんの手はわからないが、手バラであった可能性もある。ならばとりあえずカンをしておれの手が高くなる可能性を上げ、なおかつおれと上位との点差もきっちり計算して瞬時に、かつバレないように多く支払う。もちろん相手の目が暗くなければ成立しないが、その機転、勝負への執着心におれは内心舌を巻いた。
まあしかし、こんなことをしていれば店はもたない。そもそも接客とか良い店にしようとか、そんな発想がないのだ。どうせ麻雀やるなら自分でテラ取って、客からも勝てばいいじゃないか、そんな発想なのだ。
結局一年経つか経たないかで店はあえなく閉店するが、その間みっちりとピンさんと打てたのは経験となった。おれが今まで見た麻雀打ちの中では、圧倒的にナンバーワンの男であった。
と書くとまるで死んでしまったようだが、彼は今でもピンピンしている。夜になれば歌舞伎町のそのへんで酒を飲んでいるし、道端で出くわすこともある。そういうときピンさんは決まって「おう、小山田、元気か?」と声をかけてきて、あんたはいつでも元気そうだな、とおれは思うのである。
第49話(9月21日)に続く。
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