【麻雀小説】中央線アンダードッグ 第54話:競技とフリー【長村大】

中央線アンダードッグ

長村大

 

 

第54話

 

張り詰めた緊張感の残滓が、徐々に弛緩した空気に浸食されていく。勝負が終わった後の独特の雰囲気が控室に流れていた。昔味わった、その懐かしい雰囲気に流されたのもあるだろう、珍しく感想戦などというものをしてしまった。

巷の麻雀では、というか長い間巷の麻雀しかしていなかったわけだが、己の麻雀を振り返ることなどほとんどなかった。すでに起こったことを論じても無意味だと思っていたし、1局が終わって次局に入ったとたんに前の局のことなど忘れてしまう。「さっき何待ちだった?」と聞かれてもほんとうに思い出せないことがよくある。

フリー雀荘は無限に続く──ように思える──戦いであり、一回一回の勝ち負けには意味がない。ミスもあればファインプレーもあるが、もうそんなものに一喜一憂はしない。半荘が終われば次の半荘、今日が終われば明日、延々と続く線のある一点に過ぎない、どこまでいっても優勝者など存在しない。

これこそが競技麻雀との差である。リーグ戦だろうと大会形式だろうと、競技麻雀には必ず区切りがある。その区切りの中で一番勝った奴が勝者だ。そこに曖昧さはない、勝った奴とそれ以外の負けた奴、明確だ。それは誰かにとっての、是が非でも勝ちたい、負けたくない勝負でもある。

そしておれはとりあえずの勝者、いや、最終的な勝者となる権利を維持することができた。賞金もなにもない、ただ半荘一回トップを取っただけである。だがこの十数年、これほど充実感を伴う麻雀があっただろうか。もちろんその充実感は絶対的なものではない、おれが勝手に作り出した、付加した価値に過ぎないのだが、それがわかっていても嬉しかった。

控室のモニターでは、次の戦いが始まろうとしている。その戦いで勝ち上がった二人と戦うことになる。一応見ていたほうがいいだろうか、とも思ったが、数分の間にもはや部屋の空気は弛緩しきっており、すでに業界の人間ではないおれにとって少々居心地の悪いものになっていた。さっきの出場者だけではない、主催者である出版社の人間や──もちろんカナイもいた──、その他ウロウロしているよく知らない人間たちとワイワイしながら見る、というのもぞっとしなかった。

おれはトイレに行くようなふりを装って、スタジオから街に出て行った。そういえば以前にもこんなことがあったような気がしたが、いつのことだったかよく思い出せなかった。

 

スタジオは渋谷駅のすぐそばにある。

休日の渋谷は頭の悪そうなガキどもで溢れていた、まったくこの街はいつでもそうだ。そういえば渋谷に来るのも、ずいぶんと久しぶりな気がした。

センター街から回転寿司のある小道に曲がり、井の頭通りに出る。そのまま三角交番の二又を右に行き、東急ハンズの前まで歩いた。ハンズの向かいにある雑居ビルの4階、かつておれがアルバイトしていたレコード屋があったあたりを見上げる。もちろんそんな店はもうない、だが下の階のDC古着屋はまだ営業しているようだったのでホッとした。

思えばあの頃、おれは十代だったのだ。もう四半世紀も前の話だ、ずいぶんと遠くまで来てしまったものだと思う。だが流れ去った年月より外に、なにかおれは変わっただろうか。自分ではなにも変わっていないようにも思える。世の中や身の回りの状況だけが変化し続け、おれだけがその場に立ち止まっているように思える。

すぐにその場を立ち去って来た道を戻り、スペイン坂に入る。この小さな坂を登りきると、今はライブハウスになった、かつて足しげく通った映画館だった場所があるのだが、そこまで行かずに右手にあるカフェに入った。これも昔からある店だ。

薄暗い店内は8割ほどの客入りで混雑していた。とりあえず席を見つけて座ったが、隣の席でツーブロックに尖った革靴履いたいかにもな男が、気の弱そうな学生相手に自信満々にネットワークビジネスの勧誘をしていたので席を移った。騙されているやつが誰かをまた騙そうとしている、うんざりする。

勝った余韻でビールでも飲もうかと思ったが、さすがにやめておいた。カプチーノを注文する。別に気取っているわけじゃない、少し優しいものが飲みたかっただけだ。

 

一時間か二時間後に始まる、次の試合のことを考える。今まさに行われている試合の勝者だが、まだ誰とも顔を合わせていない。そしてその中にカジの名前があることをおれは知っている。彼も、おれがいなくなった数年後に龍王位を獲得している。

カジとは、麻雀界を逃げ出して以来、一度も会っていない。仕事上のおれの後始末をつけてくれたのは、カジをはじめとするバベルの面々であるのは間違いない。彼はおれがもっとも迷惑をかけた人間の一人であり、本来なら土下座して謝罪するべき相手だが、おれはそれからも逃げ出した。正直に言えば、おれがこの舞台に出ることを躊躇した一番の理由はそこにある。どんな面をして彼と相対すればよいのか、いや、どんな面も存在しえない。

またもや、今さらである。

今さらではあるが、試合前に一言でも謝ろう。今さらそんなことをしたとてなんの贖罪にもケジメにもならないのはわかっている、だがそれでも。そう決めたら、少しだけ気持ちが軽くなった。どこまでも勝手なのだ、それもわかっている。

 

店のスピーカーからアズテック・カメラの「Walk out to winter」が流れる。もう40年も前の曲だが、瑞々しさが薄れることは決してない。

そう、冬なのだ。おれの嫌いな、冬。

理由はわからない、しかし今は、冬も悪くないなと思えた。

椅子の背もたれにかけたダッフルコートを着て、扉を開けて、おれは冬へと歩き出した。

 

 

第55話(10月12日)に続く。

この小説は毎週土曜・水曜の0時に更新されます。

 

長村大
第11期麻雀最強位。1999年、当時流れ論が主流であった麻雀界に彗星のごとく現れ麻雀最強位になる。
最高位戦所属プロだったが現在はプロをやめている。著書に『真・デジタル』がある。
Twitterアカウントはこちら→@sand_pudding
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