車の免許だけは
学生時代に取るべし
私は子供のころから色んなアルバイトや仕事をしてきましたが、どんな仕事もそれなりに楽しみながらできました。
嫌だった仕事があったかどうか、改めてを思い出そうとしてみましたが、出てきません。
「嫌なことは忘れたい」という記憶の変容の分を差し引いても、やっぱり少なかったように思います。
少年時代は、当時定番だった新聞配達をやりました。
遊び盛りの子供なので、朝は眠くて自分では起きられないから、母に起こしてもらってました。
雨の日など、ウトウトしながらカッパまで着せて貰って送り出してくれました。
昔の田舎のことなので、半分寝ながら自転車に乗っても、せいぜい田圃にコケるくらいでした。
冬の朝など、農家の方が庭のたき火で焼き芋を作って、私が行くのを待っててくれました。
かじかんだ手をたき火で温めるのはいいんですが、お湯で温めた時は失敗でした。
後ですごく冷たくなるんです。
パン屋さんでパンを作ったこともありますよ。ある日、パンを包装する機械のボルトが行方不明になり、大騒ぎになりました。
翌日私が通う中学校の、友だちの給食のクリームパンから出て来ました。
幸いにも飲み込まずに、歯も欠けなかったそうです。
食品を扱う仕事は、衛生面に細心の注意を払わなくてはいけないことを実感しました。
友だちの家が経営していた、ジャンク屋の仕事も面白かったです。パチンコ台を解体して金属類を収集する作業で、真鍮と鋳物と鉄板と銅銭などを分別するんです。
西原さんが取材してた、フィリピンのスモーキー・マウンテンみたいです。
稼いだお金で中古のバイクを買いましたが、そのオンボロぶりが凄かったです。
昔のバイクなので、セルモータが無しなのは当然ですが、キックペダルが壊れてて無いんです。
「どうやってエンジンをかけるんだ?」
ベテランのバイク乗りの方はご存じでしょうが「押しがけ」です。
しかも、クラッチが有りません。
それでも下り坂を利用すれば、わりと簡単に押しがけができます。
「クラッチが無くて、ギアチェンジは?」
できますよ。アクセルを緩めた瞬間に、タイミング良くギアを合わせれば、大きなショック無しにシフトアップできるんです。
ついでに言うと、足を置くステップも壊れて有りませんでした。クランク・ケースの足を乗せて、ガニ股で乗ってましたが、長く乗ってると足の裏が熱くなって来るのが難点でした。
そのうちジャンク屋で部品を拾って修理し、それを売って、もう少しマシなバイクに買い換えました。
貧乏は、工夫の母なのだ。
当時は中学を出て、すぐに働く少年が多かったせいか、16歳で軽自動車と自動二輪(限定解除)の免許が
取れました。今でもおじいさんが、ハーレーに乗っているのは、その名残です。
「車さえあればナンパできる」
今も東京で付き合いのある友人は、アルバイトでお金を貯めて、大中古の軽自動車を買いました。
運転中に足の下に道路が見える車に乗せてもらって、ナンパし行きましたが、もちろん不発。
車のせいかどうかは分かりませんが。
東京に住んでいると、運転免許は無くても不自由しませんが、ある程度地方になると必須ですよね。
私の雀荘でアルバイトをしていた、女子大生は、バイトのお金で卒業前に運転免許を取りました。
「私は地方出身なので、免許の必要性と有難味を実感してます。東京で就職するつもりですが、いつまでも東京に住むとは限りませんから」
自立を目指す、賢い選択ですね。
「働きだすとお金はあっても時間が取れないでしょうし、友だちとレンタカーで旅行する時も、運転できたほうがいいですから」
思いやりもありますね。
借金してでも取っておいたほうがいいと思います。
いつでもどこでも
何でも働いてきた
高校を卒業して、地元高知の電器店に就職しました。家電量販店のハシリ(先駆け)で、給料は相場よりも少し高めでした。
配達や家電の取り付けなどがあるので、運転免許は必須です。
3か月くらい高知で勤務し、その後東京の支店への転勤を希望して、上京しました。
給料が高いのと、大学に行くつもりだったからです。
会社には迷惑な話ですが、すぐに退職してアルバイトをしながら受験勉強をすることにしました。
これも貧乏学生の定番だった、住み込みの牛乳販売店です。
新聞は朝夕2回仕事がありますが、こちらは朝一回なのがありがたい。