さて、こんなコロナが問題視されている中、仲林はまた合コンに誘ってもらった。もちろん社長と医者の合コンだ。しかしこのコロナ騒動の中、開催をしていいものかと考えていると、先日社長から連絡が来た。コロナ対策でスカイプで合コンをすると言うなかなかシュールな合コンになると言うことだった。対面に座り、トークでどうにかしていくタイプの仲林にとって、これはかなり厳しい戦いになるが、元々、医者と社長の合コンなので、勝ち目がないことを思い出し、二つ返事で承諾をした。頑張ってくるので応援してほしい。
さて、また昔話に戻って行こう。雀荘「悠遊」をやめた仲林は元最高位戦の須永さんの勧めでサラリーマンとして働き始めた。サラリーマンと言っても、iモード上のサイトで麻雀の攻略サイトを作っていくと言う仕事だ。麻雀の攻略法があるならこちらが教えてほしいものだが、実力を評価された仲林は専属ライターということで働き始めた。
半年ぐらい働いた6月のことだった。ある一通のメールが届いた。吉田光太プロからのメールだ。
「雀荘を出すから、もしよかったら店長として一緒にやらないか?」
もちろん仲林はその日に退職届けを出し、光太さんの出す雀荘の手伝いをすることに決めた。光太さんに頼まれたのなら断る理由などない。漢吉田の新たな門出に立ち会えるとは何よりも誇らしいことだった。
仕事をやめ、光太さんと一緒に雀荘の立ち上げをはじめた。そこには当時新人女流プロだった浅見真紀プロや華村実代子プロが常勤のプロとして働いてもらう事になっていた。吉田の恐ろしさは一緒に働いてみないとわからない。ピュアな彼女たちには荷が重いのではと心配していた。ドリンクサーバーを使わず、全てペットボトルでドリンクを提供し、さらに追い討ちをかけるように光太さんはフードメニューを全て100円で提供をすると言う暴挙に出た。こんなの絶対パンクすると思ったが、吉田は基本頑固なので何を言っても無駄だと思い、承諾した。お気づきの方もいるだろうが、ディスる時は光太さんの事を吉田と呼ぶ。でも他の人が光太さんをいじっていると腹が立つ。自分のおもちゃで遊ばれている気分になるのだ。わかるだろうか。
光太さんは昼、仲林は夜の責任者でお店をはじめた。オープン初日、出勤をすると初日にもかかわらず満卓だったのを覚えている。やはり光太さんの人望だろう。いろいろな団体の麻雀プロ、麻雀ファンの方々が遊びに来ていた。当時仲林はまだ23歳ぐらいの若造だったが、光太さんの偉大さを感じた。どんな人にも愛されているのだ。
そしてやはり嫌な予感は的中した。パスタや吉田手作りカレーなど全て100円で提供していたため、フードの注文でパニック状態だった。もう雀荘ではなく、はっちゃん食堂だ。パスタはこうやって茹でんだおめぇと仲林は女の子達に仕事を教えた。はっちゃん食堂を知らない人は一度見て欲しい。それをみてもらわないと、何を言ってるんだお前と言う話になってしまう。滑ってるみたいだから頼むから見てくれ。見てもらっても滑ってると言う苦情は受け付けない。
何日か経った頃に、流石の光太さんも根を上げ、ドリンクサーバーが導入され、フードは500円に変更された。本当に死ぬかと思った。
1か月ぐらい経った頃だろうか。仲林は麻雀が強すぎたため、同番の女の子2人を泣かせてしまった。そう、仲林はかなり麻雀が強い。もう店長と麻雀打ちたくない、麻雀が楽しくない。そう言われてしまった。困った仲林はその子たちをご飯に連れて行ったり、麻雀を教えたりしていたが、それでも彼女たちは泣くのをやめなかった。
困り果てた仲林は光太さんに相談をした。辞められたら困るので、流石に手を抜いた方がいいですか?そう聞くと、光太さんはこう答えた。
「ケイ、君は麻雀プロだ。殺すつもりでやりなさい」
さすが吉田。カッコ良すぎるだろう。こんな事言われたら惚れてまうやろ。いや、すでに惚れているのだが、やはり俺たちの吉田だ。欲しいと思った答えが返ってくる。しかし、そのお店ではどんなに負けても殺すことは出来ないけどな、と思っていた。このことはみんな内緒にしてくれ。
それから仲林は殺すつもりで彼女たちと麻雀を打った。彼女たちは少しずつ麻雀が強くなり泣くことは無くなったが、殺すことは出来なかった。プロとして失格だと思った出来事だった。