中央線アンダードッグ
長村大
第20話
調子に乗ってはいけない、この頃のおれはそんなことばかり考えていた。何者かになったような気になってはいけない。おれみたいな者が。
調子に乗るということが、無意識的に誰かをバカにしているのと同義に思えていた。意識的にバカにするのはよい、それはある種の覚悟でもある。相手からカウンターをくらう覚悟だ、それがあるならばいくらバカにしてもかまわない。
だが対象相手を意識しない無意識の軽蔑は、ただの無礼だ。土足で人の家に上がりこんでおいて「すいません気付きませんでした」が許される由もない。悪意がないことこそが悪なのだ。そしてそういう奴らをこそ、常におれは憎み、結局は一方的に殴られてきたのではなかったか。自覚なく自分がそちら側に回ってしまうことだけは避けたかったし、そうなったらただの地獄だ、死刑だ。
また、この時期からあまり音楽を聴かなくなった。
なにかを聴けばその向こう側にはまた違う音楽が現れる。別のものを聴けば、その向こうにもまた。フィールドは無限だし、終わりのない作業をしているような気分になってしまったのだ。義務感の発生だ。
おれにとっての音楽は、とある二人組日本人バンドから始まった。80年代の終わり、吉祥寺ロンロンの新星堂でかかっていたヘタクソな英語詞で歌われたポップソングに、おれは一発で撃ち抜かれた。それまで音楽にはあまり興味がなかった、流行りのアイドルや歌謡曲もなにが良いのかまったく理解できなかったが、彼らだけは別だった、あまりにも別だった。
彼らの音楽は引用に満ち満ちており、それは60年代の映画音楽だったり70年代のソフトロックだったり80年代のポストパンクだったり90年代のマッドチェスターだったり、多種多様であった。元ネタの情報を紙媒体から得て、レコード屋に足を運んで買う。今ではその場から一歩も動かずにできることを、時間と金をかけてやっていた。思えば、それがおれと外の世界との初めての接触であったかもしれない。
彼らはたった3枚の、しかしあまりにも美しいアルバムを残して解散した。それはどうしようもなく必然であったのだろうが、同時におれを含む子供たちは、どうしようもなく取り残されてしまった。恐ろしく急激な喪失、行き場のない、まだ名前の付いていない感情たち。喪失感を埋めるべく聴く似たようなバンド、似たような音楽。結局は全然違う、そんなことは元からわかっていたはずだ、でもそれもまた愛すべき音となっていく。
時間と共に痛みは薄れ、記憶の喪失は加速していく。しかしおれにはなんだかそれが悪いことのように思えてまた彼らの音楽を聴く、ともすれば忘れそうになる感情をこの手に戻そうとして。
結局のところ、おれはいまだにその場所から動けない。彼らは行ってしまったし、誰だかわからないみんなも行ってしまった。おれだけがまだ立ち尽くしている、ように思える。
彼らは解散後にそれぞれ、それまで以上の成功と評価を得た。そしておれはレコードが出ればすべて買って聴いている。だが正直なところ、「その後」の彼らのやっていることは、おれにはよくわからない。いいなと思うものもあれば全然理解できないものもある。
それでもおれは死ぬまで聴き続けるだろう、それは義務感とは違う、ケジメみたいなものだ。もちろんたらもればもない、麻雀においても人生においても。だが一度だけ言わせてくれ、もし彼らがいなけ「れば」、おれは全然違う性格となっていて、今頃きっと医者にでもなってレクサスとかマセラティとか乗り回すしょうもない人生を送っていただろう。少なくとも阿佐ヶ谷のアパートなんか住んでいないはずだ、ほんとうに感謝している。おれの人生を決定的に変えた、今は一人ずつとなったかつての二人組をおれは死ぬまで追い続ける。それがケジメだと思い込んでいるのだ。
なんの話だったか。麻雀の話か。
TV対局出演の話も来た。これは単純にすごく嬉しかった。CSの麻雀対局番組だったが、当時麻雀プロが出る番組といえばこのチャンネルしかなかったのだ。出演者もベテラン勢、実績のあるプロばかりで、まだ若手は誰もいなかった。出たがりな方ではないと思うが、せっかくプロとして活動している以上は表で活躍したいという気持ちもやはりあった。
選手紹介のときに流したい曲があれば書いてくれ、とアンケート用紙にあったので、プライマルスクリームの「Rocks」と書いたのだが、これはちょっと失敗したな、と思った。たしかに好きな曲なのだが、どちらかというとシンプルなロックナンバーで、あまり捻りがなかった。UFOとかモンドグロッソにすればよかった、とその時は思ったが、今考えるとそれもオシャレぶりすぎだろう。
放映が始まりしばらくして、印象的なできごとがあった。
阿佐ヶ谷のパール商店街の中腹あたりに「ノーサイド」というレンタルビデオ屋があった。いつものようにそこでアニメのビデオ──おそらくVHSだったはずだ──を借りようとしたときである。カウンターの兄ちゃんに声をかけられた。
「あのー……」
あれ、なにか延滞でもあったか。いやないはずだ。
「麻雀の番組に出られてる方……ですよね?」
「いやいやそんな、あ、はい、そうなんですけど」
びっくりした。見ている人がいるから放映されている、当たり前のことだが、それを目の当たりにしてしどろもどろになってしまった。
「麻雀好きで見てるんです、頑張ってください!」
「あ、いえ、はい、ありがとうございます」
恥ずかしくて逃げるように店を出た。
商店街を駅に向かって早足で歩きながら、そうかそういうことなんだな、と思った。見てくれている人もいるんだ、なんだか悪いような気にもなったが、少しの嬉しさもやはりあった。
そこからはちょっと背筋を伸ばして歩いた。
自意識が過剰なのは、今に始まったことではない。
第21話(6月15日)に続く。
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