ギャンブルを
仕事にしている人たち
「好きなパチンコとパチスロで、食べていきたい」
「麻雀プロになって、成功したい」
ギャンブルファンやゲームファンからよく聞く声です。
そう思ったのが吉日、とりあえず挑戦しえみましょう。
自己啓発書などに「自己実現」と言う単語が良く出てきますが、要は「本来の自分になる」「なりたい自分になる」ということでしょう。
具体的には次のような状態を目指すことです。
①好きな仕事で②ご飯が食べられて③みんなも喜んでくれる。
①②ができても③みんなに迷惑をかける、はダメですよ。
たとえば、泥棒が好きで上手だとか。
自己実現を、西原理恵子さんに当てはめると、①漫画を描いて②ご飯が食べられて③みんなが笑ってくれる。
と言うことですね。ご本人の苦労はあると思いますが、うまくいってますね。
みなさんの場合も、それぞれ素晴らしいアイデアが、あるんじゃないでしょうか。
ギャンブル関係だと、かなり実現が難しいとは思いますが、それは他のジャンルでも似たようなもの。
難しくても、実際に稼いだり成功している人たちがたくさんいます。
何十年も前から、日本ではパチプロや麻雀プロが少数ながら存在し、今も稼いでいるんです。
かつては、パチンコや麻雀そのもののギャンブルで稼いでいたんですが、今はギャンブルの勝ち分プラス、パチンコのライターだったり、麻雀の対局やゲストで稼いでいる人もいます。
もちろん、読者やファンに喜んで貰えます。
二十年以上前ですが、パチンコ業界で傑出して有名だったのが、東大中退のパチプロの田山幸則さんです。
一軒の店に通い詰める、当時ジグマと呼ばれたスタイルのパチプロでした。
毎日のパチンコで勝ち分は数千円と、そんなに多くありませんでしたが、「飯が食えて酒が飲めれば十分」
と言ってました。
田山さんのこうした謙虚な人柄は、彼の書く記事にも表れていて、読者の共感を呼んで人気がありました。
①好きな仕事で②ご飯が食べられて③みんなも喜んでくれる。
を満たしてますね。ご本人は、もちろんそんなことは考えていません。
「パチプロなんか、なるもんじゃないよ」
が口癖でしたから。
当時は、攻略プロと開店プロが台頭し、ジグマよりも大きく稼いでいました。ある攻略グループの使う攻略法は理論上は1人で一か月に数百万円勝てるモノでした。
好きなパチンコで食えますが、あまりにもエゲつないので、業界内では③あまり喜ばれませんでした。
麻雀の世界の最初の大スターは、もちろん小島武夫プロ(日本プロ麻雀連盟最高顧問)です。
博多の勝負師、遊び人が女性とともに、駆け落ち同然に上京し、麻雀新撰組として、一躍スターになりました。
当時の麻雀プロは、ほぼ新撰組の数人だけでしたから、雀荘のゲスト料も破格でした。
私は学生時代に、高田馬場で雀荘の雇われマスターをしていて、麻雀大会のゲストは新撰組の田村光昭プロにお願いしていました。
1日で当時の世間の月給分くらい、お支払いしていた記憶があります。
需要と供給のバランスが、供給が極端に少ない状況です。
女子プロ誕生期の人気も凄かったですよ。浦田和子さんや高橋順子さんたちです。
その後の女子プロの大活躍を見れば、最初の女子プロを育てた、小島武夫プロの先見の明に驚きます。
女子プロの中には、麻雀だけでなくパチスロも大得意で、両方の対局料やゲスト料を合わせると年収ウン千万円になるスター・プレーヤーもいます。
パチンコ業界のほうが、麻雀より企業規模が大きいので、ギャラも大きいんです。
だいぶ昔のことですが、作家の畑正憲さんが、おっしゃってました。
「麻雀プロが誕生してすでに二十年以上。二十年続くということは立派なプロ団体であり事業です。現在プロとしての年収はまだ少ない。プロなら一千万円以上、三千万円くらいは目指して欲しい」(要約)
畑さんも、やはり今日を予見していたんでしょうね。
麻雀関係の仕事は
けっこうたくさんある
「麻雀プロになって、成功したい」
「麻雀関係の仕事なら何でもやってみたい」
希望はそれぞれでしょうが、一般的には麻雀プロとして、スタープレイヤーを目指す人が多いようです。
●まず麻雀プロ。プロ団体に所属して、公式戦を戦い、たいていは麻雀関係の仕事をし
てます。
最高位戦の新津潔代表によると、
「プロ団体はいくつかあり、全団体のプロを合計すると二千人くらいだと思います」とのこと。
すごいですねー、麻雀新撰組のころは数人ですから、いったい何倍になったんでしょう。
麻雀新撰組に続いて最初の麻雀プロ団体は最高位戦です。金子正輝プロのように長年トップリーグから陥落せずに
戦えれば立派なスタープレイヤーです。