西原理恵子 & 山崎一夫 新宿西口公園と駒沢公園が自宅!?


新宿西口公園と
駒澤公園が自宅でした

私が住んでいる東京中野区東中野の賃貸マンションから、新宿西口の超高層ビル群が良く見えます。
私が十代で上京したした時は、そのうち一番最初の京王プラザホテルの建設中でした。

その辺りは、元は淀橋浄水場があったところで、ビルのほとんどは、かつてのプールの底に建ってるんです。
なので、JR新宿駅の地下から、ビル街に向かって地下道を進むと、なぜか地上(プールの底)に出てしまうんです。

この地下道を作っている時、私はここに住んでました。ま、ホームレスですね。

私は子供のころから、無銭旅行をよくしていたので、外で寝るのはまったく平気でしたが、夜露と雨を避けるためには
やはり屋内にこしたことはありません。

てなワケで、前回はヒッチハイクなどの「どこでも行ける」話でしたが、今回は「どこでも寝られる」の話です。
超高層ビル街の隣にある、新宿西口公園でも、在日米軍放出の大型シュラフ(寝袋)にくるまって良く寝てました。

不思議なことに、当時は今ほどホームレスの青テントがありませんでした。今は多いので、社会的な格差が広がっているのかもしれません。

 

夜になると、カップルがたくさん集まって来てデートをしていました。
私が1人で寝ていると、覗き趣味の男性たちたちが、シュラフの周りにたくさん集まって来ました。

「なんだよ、男ひとりじゃねえか」

後で知ったんですが、当時の新宿西口公園は、どうやらカップルと覗き魔のメッカになっていたようで、「写真時代」の編集長だった末井昭さんは、カメラマンの吉行耕平さんに依頼して、カップルと覗き魔の赤外線写真を撮って、発表しておりました。

最近末井さんに聞いたんですが、この写真は外国の好事家の評判を呼び、今ではビックリするほどの高値になっているんだそうです。

当時いっしょにサンドイッチマンをやっていた。先輩のおじいさんと、ションベン横丁で飲んだ時に、こんな話を聞きました。

「昔は西口から、東中野の山が良く見えてた。炭焼き小屋から、煙が上がってたな」

どうやら、私の住んでいるあたりのようです。

ウチの大家さんの昔話では「この辺りは畑で、うちは百姓でしたね」と言うんだから、それよりもかなり昔の話のようです。

話が前後左右しますが、私は東中野でも牛乳販売店で住み込みで働いいて、東中野の山を自転車で配達してました。

山をそれぞれのディベロッパーが、あっちこっちから開発するので、道路がちゃんと繋がって無い所が多くて不便でした。
もちろん今は解消されてます。

 

新宿周辺では、新宿御苑も私の御用邸でした。本来は有料で夜間は閉園するんですが、当時は壁に穴が開いてるところがいっぱいだったんです。

私は新宿でアルバイトをやっていたで、西口公園で良く寝てたんですが、バイトが無い時は、駒澤大学の隣の駒澤オリンピック公園でも、良く寝てました。

雨の日に野外ステージでシュラフの上にビニール袋をかけて寝ていたら、翌日は死体に間違えられて、警察に通報されたこともあります。

大学の教室でも寝ましたよ。目が覚めたら従業中だったりとか。
お金がある時は駒澤の近くの三軒茶屋で、アパートを借りてたこともあります。

不動産屋さんで安い所ばかり物色してたら、「女性専門のアパートで良ければありますよ」なんて不思議なこともありました。

お金が無くなると、またしてもホームレスです。

「ウチの女子寮にこっそり入れば泊まれるよ」

 

歌舞伎町で知り合った女性に誘われて行ってみたら5人部屋でした。

私は泊めて貰う代わりに、彼女たちが揃って銭湯に行くときの、ガードマンと風呂桶持ちをやらされました。

 

どこでも寝られる私ですが、5人のうち2人がレズで、ちょっと眠れないこともありました。

北の丸公園と
井の頭公園も自宅でした

ホームレスやカップルが少なかったのが、皇居に近い北の丸公園です。場所がら警備が厳しかったのかもしれません。
今でも皇居前広場には、そういう人はいませんからね。

北の丸公園は、科学技術館や東京国立近代美術館などがあり、夜は立ち入る人もいなくて、安全で快適です。

サンドイッチマンの仕事では、映画館や美術館のチケットを、タダで貰えることが多かったんです。
それを転売して、ダフ屋みたいなこともやりました。

新宿から見て、北の丸公園とは逆の、吉祥寺の井の頭公園も、私の西の御用邸でした。
当時はジャズが流行っている頃で、私は主に新宿、渋谷、神保町、吉祥寺などのジャズ喫茶やジャズクラブに出入りしてました。

吉祥寺はそういう店が多いのと、サンドイッチマンのアルバイトが吉祥寺にもあったんです。

バイト仲間の一人は、看板を持っているサンドイッチマンではなく、チラシ配りをやってましたが、驚いたことに同時に2社から仕事を受けていました。

当時のサンドイッチマンの仕事のボスは、地元の顔役がやっていることが多かったので、良く無事だったと思います。

 

野外音楽堂で寝酒にワインを飲んでたら、私と似たような風体の男が寄って来て、「おれにも飲ませろ、これをやるから」
そのドラッグ状のものが何だったか分かりませんが、飲んだら腰が抜けて立てなくなってしまいました。

こう書くと、上京以来ほとんどホームレスみたいですが、実際には狭いアパートを借りたり、友人宅に転がり込んだり、マンションの電気室に住み着いたり、あ、やっぱりホームレスじゃないか。

本格的に屋内に定住したのは、駒澤大学時代の雀ゴロ時生活かもしれません。

高田馬場のその雀荘は、今私が経営している店の近くにあり、普通の椅子卓の他に、畳部屋に掘りごたつ式の麻雀卓がありました。
もちろん当時は手積みですよ。

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