麻雀の楽しみが
多様化してきた
30年ほど前、私が麻雀を覚えた頃は、オンライン麻雀が無いのはもちろんですが、ビデオゲームもありませんでした。リアルだけの時代です。
一般のセット麻雀と、フリー麻雀の前身のバラ打ちが始まったころでした。
今の電動卓よりもやや小さ目の木製の卓に、厚みのある消音マットを貼り付け、さらにその上に真っ白な木綿の布を、ピンと張った卓が主流でした。
使うたびに張り替える布です。
消音マットは音があまりしないので、牌を卓に叩きつけるように切る人や、強く引きツモをする人がが多かったです。
今でも、年配者の中には、そういう方の人が多いのは、その名残です。
現在の、金属の天板に薄いラシャを張り付けた卓は、昔のように打つと、マナー違反レベルの大きな音になってしまいます。
「おじいさんなのに、意外と打つのが早い」
今でもそういう人が多いのは、当時は小さ目の卓で、先ツモをしながら打つのが当たり前だったからです。
若い頃の体感速度が今も生きてるんでしょうね。
人によっては、次のツモが分かっているので、それに合わせて打ってたりとか。
「チー」「ポン」他家の鳴きでツモがズレると、無理やり鳴き返しとか。
そういうイカサマを無くしてしまったのが、全自動卓の登場です。
これによって、知らない人とでも安心して打てるようになり、フリー麻雀が爆発的に流行しました。
軽自動車くらいの高額品だったので、どこの店も最初は1台だけ、様子見に導入してました。
最初は自動卓を敬遠していた人たちも、その便利さに惹かれて、自動卓が空くまで打たずに待ったものでした。
それからしばらくして、ゲームセンターにビデオゲームが登場し、麻雀ゲームも大人気になりました。
代表的なのは、当時の人気女子プロのひとり、高橋純子さんがプロデュースした「極シリーズ」です。
ゲーム機の画面に、小島武夫プロや安藤満プロが登場し大活躍しました。と言ってもオンラインじゃなくてCPU対戦ですが。
「親方のたぬの麻雀ソフトも、極と同じエンジンでしたよ」
今年の春に高橋純子さんに会った時に教えてくれました。
その後ゲームセンターやインターネットのオンライン麻雀が登場し、人気なったのは、みなさんご存じのとおりです。
リアルだけの時代には、初心者はベテランにカモられながら、麻雀を覚えるのがあたりまえでしたが、今ではオンラインでタダで覚えて、気がすむまで練習できます。
しかも、膨大なデータが取れますしね。
かつては、一生かかっても取れなかったデータが取れて、しかも分析できるんだからすごいです。
リアルだけの時代の麻雀戦術の一部は、あまり役立たなくなり、新しい実用的なセオリーが生まれているのは素晴らしいことです。
実は気楽に遊べる
フリーに行ってみよう
全自動卓はさらに進化して、全自動配牌卓が、セット雀荘やフリー雀荘のメインになりました。
配牌の手間が省けるので、ネット中心で麻雀牌の扱いになじみの薄い人でも、打ちやすくなりました。
配牌を取る時間が無いので、ゲーム時間の短縮になり、ネット麻雀のようにサクサク打てるのもいいです。
セット麻雀のメンツが揃わない時には、フリー麻雀がお薦めです。
それと、仲間内のセットで自分だけ強くなり過ぎた時は、そろそろフリーデビューの時期です。
目安は、麻雀の勝ち分を仲間に貸してる状態が長くなった時。
友人関係を損なわないためにも、ゲーム中以外では人間関係に気を使わなくていいフリーが最適です。
「よし、事前調査のため、電話でルールやレートやご祝儀を聞いておこう」
ブブー。電話で答えてくれるところはマレなので、度胸を出して直接店に行きましょう。
ルール説明を受けた後でも、自分に合わないと思えば、打たなくてもいいんです。
ルールをこちらから聞く時のポイントは
●鳴き祝儀かメンゼン祝儀か。●アガリ連チャンかテンパイ連チャンか。
●オーラスのテンパイやめはあるのか。●トップ以外の2着やめはあるのか。
などです。
その他に、途中で聞きにくいルールとして
●フリテンリーチはOKか。●リーチ後の見送りはできるのか。●形式テンパイは認められるのか。
などがあります。
いずれも、ゲーム中に質問すると、手の内がバレたり、逆にシャミセン(嘘情報)になってしまってはマズイですからね。
フリーで重要なのは、ルールと軍資金とマナーです。
●最初の軍資金は多いほど安心ですが、ラス3回分あればじゅうぶんでしょう。
●残金いくらを切ったら、その回でやめる、というのもいいですね。
「知らない人ばかりは気が引ける」
という場合は、友だちといっしょに行って「同卓希望です」というのもアリです。
卓の組み合わせで、少し待つかもしれませんが、たいてい希望どおりにしてくれます。
その場合、席はトイメンどうしにされることが多いです。
並んで座って、友だちの下家に甘い牌を鳴かせることを防ぐためです。
そんなことをする人たちはめったにいませんが、他の2人への配慮です。