ギャンブルは
上手くなると負ける
博打は出世の早道じゃい!
でも上手くなったら勝てる、というのは幻想。
私は学生時代に大手パチンコ店の社員として働いていたので、ハウス側とプレーヤー側、両方の視点を持つことができました。
「かー、ツカねえ!」
「よし、波が来た!」
お客さんたちは一喜一憂してますが、その台の数日間のデータを知っている私は「回収台なのでまず勝てない」ということを知っているんです。
「自分だったら絶対打たない」「良くクギを見ればいいのに」とも。
当時は新台入れ替えがほとんどない時代なので、クギ調整で台の良し悪しを作り、それでお客さんを呼んでいたんです。
働いている私たちは、ある程度台の性能とデータ(一致するとは限らない)を知っているので
「自分だったらあの台だな」
なんて予想をしたりしてました。
ハウス側の目線と比べ、自分がプレイヤーの時は遥かに視界が狭く、短期間のデータで自分の希望的観測を正当化したくなります。
ある時期「一発台」と呼ばれる極端に大当たり確率の悪い台が流行り、私も大いにハマりました。
大当たり確率が悪いのは、もし当たれば出球が多いのが原則なので、ギャンブル好きにはたまりません。
ちなみに、ギャンブル性の高い台は平均配当率が低いのも原則。
ハウスがリスクを避けようとするからです。
勝てる台かどうかの判断は、クギの良し悪しの判断とデータ。
数学的(先見的)確率と経験的確率です。
良いクギで勝ってるデータがある台は(ある程度)信用できる。
ハズなんですが、これがアテになりまへんにゃわ。
なんせ一万円使って、大当たり穴に一発入るかどうかが勝敗の分かれ目なんです。
確実に勝てるデータには何百万円も突っ込まなくちゃならない。
もちろん途中偶然による大当たりがあるので、使うお金はこの何分の一ですが、それでもプレイヤーのリスクが大きすぎます。
「この台はダメだ、て言うかこの店がダメ」
と気づいた時には、自分がダメになってます。
ダメな台はどんなに上手く打ってもダメ。
ダメな範囲のごく僅かな改善なので、負けが少し減るくらいです。
これは公営ギャンブルやカジノなどでも同じ。
いや、カジノではほとんどの種目で上手くなることができない。
私はかつて都内に林立していた地下カジノのバカラに通ってましたが、(地下に林立は変かな)考えて勝負してるつもりでも、実際には意味が無いケースがほとんど。
考える意味があるのは、「もうやめよう」くらい。
考える時に隣の人が記録した罫線をチラ見したりもしましたが、これは今後の勝敗を予想するのに何の意味もないデータです。
つまりデータですらないと。
罫線とは過去の勝敗の出目表ですが、そこにパターンを見出して今後の参考にする。
たとえばどちらかが連勝(ツラ目)しているとか、勝ち負けが交互(テンコ目)だとか。
麻雀ならマンズのヤマを掘り当てた(バカラより僅かに信用できる)など。
バカラはコミッションが小さいので、勝つチャンスが大きく、それが実力だと勘違いしやすい。
実力なんてほぼないんです。
「いや、コマの上げ下げで勝てる」
私もやりましたが幻想です。
一方の公営ギャンブルの場合は、推理の的中率が、コミッション率(25%)を上回るのはほぼ不可能。
当たりやすいほどオッズが下がってしまうのもマイナス要因です。
フリー麻雀の場合も同じ。
手作りや読みやかけ引きなどの腕を上げれば勝率は改善しますが、ゲーム代を上回る平均収支が出せない限りはマイナスです。
腕が上がると勝てる気がするので、雀荘に通う日が多くなります。
負け率を改善しても、プラスでないと回数が増えるほど負けの絶対値は大きくなります。(うふふ)
ギャンブルで勝つのか
ゲームで勝つのか
「平均着順が2.4に上がって嬉しい」「連対率が46%まで下がった」
たぬクルーは毎月ゲーム成績が出るので、楽しみな人もいればプレッシャーに感じる人もいます。