「それで、リベンジをしようと思ったら河野さんが連盟を辞められたので、リベンジできなくなってしまいました」瀬戸熊は寂しそうに続けた。
連盟を脱退した河野は、2007年に多井隆晴らとRMUを立ち上げた。RMU発起人が全て昭和生まれであり、令和の時代へ想いを紡いでいって欲しいから、という理由で、2019年にRMUリーグの名称は「令昭位戦」となった。河野はこの令昭位を2連覇しているのだ。
南2局1本場、4300点持ちの河野がピンフリーチを入れた。小気味良い打牌音は、まだ河野が諦めていないことを教えてくれる。
惜しくも流局。残り2局、2着目まで14100点差である。
南3局、立て続けに河野が、チャンタもピンフも崩れたリーチを放った。
泥臭くて良い、綺麗な勝ち方なんていらない。河野高志はこうやって勝ってきたのだ。
ことごとく渡辺がを吸収したが、河野がラス牌のをツモりあげ、解説席にも大絶叫が起きた。
オーラス。ついに2着目まで1300・2600条件まで迫った。
開けた配牌は、ギリギリ材料は揃っていそう、という印象であった。
そして、最後まで脚を溜めていた親番の渡辺には、とんでもない手が入っていた。
これが決まれば、渡辺の勝ちである。
奇しくも、大ベテランと一番の若手が繰り広げる最後の戦いの構図となった。
ここまでくれば、誰が勝つかなんて誰にもわからない。勝ちたい理由や想いの強さに優劣は無いし、そんなところで麻雀の勝負は決まらない。
それでも私は、河野の事前インタビューを思い出していた。
「俺が勝つことでRMUの若手や中堅にもっとチャンスを作ってあげられると思うんだよね」河野はもう殆ど中身が入っていない水割りグラスを傾ける。自分自身はもう、次の世代の踏み台でもいい。ぼんやりと映るグラスの向こう側に、河野は麻雀界の未来をはっきりと見ていたのだ。
トップ目に立ってからの奈良圭純のゲームメイクは完璧であった。仲林圭・渡辺史哉は展開に意地悪をされたが、その実力からきっとまたこのような大舞台に帰ってくるだろう。
2番手の椅子を決めたのは、「自分のためではなく、これからの世代のために」と力強く語った、RMU河野高志であった。(・ホンイツ・ドラ 2000・4000)
元 日本プロ麻雀協会所属(2004年~2015年)。
会社に勤める傍ら、フリーの麻雀ライターとして数多くの観戦記やコラムを執筆。
Twitter:@ganbare_tetchin