事も無げにツモ切り。
たろうの中で、このマンガン受けは全く選択肢になかったという。
そして17巡目、我が意を得たりと待望の牌を掴み取った。
ハネツモで、一時期最大45000点差あった白鳥をようやく1600点かわしたのである。
オーラスは、親リーチに対しこのテンパイを入れた白鳥がアガリトップにつき放銃。
そして1本場は、たろうがこのノミ手をツモって逃げ切りである。
さて、もしラス前のたろうのアガリがマンツモであったならどうだろう?
白鳥は3400点たろうより上のトップ目のままオーラスを迎えるので、親リーチに勝負する必要はない。
おそらく流局して、2着目のたろうがこのノミ手を仕掛けてアガるわけにはいかない。
人によってはマンツモで終えていたラス前を、ハネツモで白鳥をまくっておいたことで盤石の逃げ切りを果たすことができているのだ。
たろうのトップに執着する強い気持ちと、それを成す実行力の高さがうかがえるだろう。
ここからちょっと、観戦記と関係ない個人的な話になるのを許して欲しい。
たろうさん、の思い出である。
私は2001年から日本プロ麻雀協会にいて、今最高位戦にいるたろうさんは2005年から2020年まで協会にいた。
Mリーグではそこまで極端にトップにこだわらない選択を取る選手もいる。
連荘必須のダンラスの親が切った最終打牌を、アガっての着順の確保、
あるいはマンツモ満直トップでの、脇からの早いマンガンをアガって、やはり着順の確保など。
これ、見逃さないんだな、と思った協会員は多いかもしれない。
協会はMリーグ同様のトップオカのあるルールだが、おそらく周囲の人が想像する以上にトップを狙う意識が強かったりする。
もちろんMリーグはひとまずチームが6位以上になることを目標とするので、
昇級や決定戦を目指すリーグ戦とは全然戦い方は異なる。
だから私たちの感覚は、世間と少し乖離があると思う。
それでも──、たろうさんならこれアガらないかもな、と思う場面はたまにある。
私も協会にいた最初の頃は、そんなに打点やトップ執着の考えを持っていなかった。
2着や3着でも、まあいいか、と考えることが多かった。
それがこんな風に全体のトレンドを変えていったのは、間違いなくたろうさんの影響だったと思う。
昔Mリーグでカンドラが増えている状況、たろうさんはやはり上述のようなトップと4万点以上の差で、
チートイツのみのアガリを見逃して、他家に四暗刻をツモられてしまったことがある。
それでも、
「アガリ牌が出たからアガらないといけないルールはないよ。
もっといい待ちでリーチして高い手をアガって、トップを目指したいからね」
と、たろうさんは微塵も後悔を見せなかった。
たろうさんにとっては、2着や3着の差は結構どうでもいいことなのだ。
私たちは協会にいたたろうさんから、非常に多くのことを教わった。
見逃しや打点重視の選択を当たり前にした協会ルールの戦い方だけではなく、
タイトル戦で競技麻雀の本質を貫いた姿勢も心を打った。
(トリプル役満直撃条件でもテンパイ宣言をして、優勝者を決めてしまった苦渋の選択)
長年協会にいてその歴史を見つめる私ひとりの感傷かもしれないが、
今こうして協会から4人のMリーガーが選出されて、
若い世代の確かな実力と思考の礎を作ったのは、やはりたろうさんなのだろう。
日本プロ麻雀協会から最初にMリーガーになったたろうさんは、今は最高位戦の選手だ。
個人の所属団体など、もちろん誰かにとってそう大きな話ではない。
たろうさんはたろうさんであり、ドリブンズを引っ張るただの頼もしい存在だ。
しかしこうして、たとえ4万点差でも執拗に、そして確実にその背後に食らいつこうとした姿に、
かつて4度の雀王戴冠を果たしたときの鬼神のような強さを、思い出さずにはいられなかった。
画面の向こう、もうリーグ戦で会うこともない、アガリとトップにこだわる強欲の神さまは。
やっぱり昔の教え子であった私たちにとって、
ずっと変わらない、そしてもう届かない──
永遠の目標なのである。
日本プロ麻雀協会1期生。雀王戦A1リーグ所属。
麻雀コラムニスト。麻雀漫画原作者。「東大を出たけれど」など著書多数。
東大を出たけれどovertime (1) 電子・書籍ともに好評発売中
Twitter:@Suda_Yoshiki