農業林業工業
飲食業麻雀業
どれも楽しい
私は南国高知育ちのせいか、東京の生活ではかなり寒がりです。
なので春が来るとすごく嬉しい。
郊外の大きな川の土手を散歩しながら、子供時代の習性からか食べられる植物を探してしまいます。
スカンポやイタドリとか。
野イチゴやキイチゴを見つけたら、飛びついてしまうほどです。
豪華で美味しいので。
新宿から1時間半ほどの箱根には、温泉の取材も兼ねてよく行くんですが、季節と場所ごとの食べられる植物リストが頭に入っているほど。
子供の頃には実家の農業を手伝いながら、これらの山菜や木の実をオヤツにしてました。
貧乏農家の子供の手伝いですが、農業は楽しかったです。
林業も少しだけ経験があります。
とっくに昔に亡くなった実父が山師だったので、その手伝い。
山師というのは山を舞台に、山そのものの売買や材木などで投機的な取り引きをする人たち。
転じて一発大勝負を狙う人たちのことも言います。
父はまともな道路も無いような山奥の山地をタダ同然で買い取り、森林を伐採して売り飛ばして大儲け。
今でも参考になるかもと思うのは、情報格差や技術格差を活用して稼いでいる点。
その一つが、材木搬出用の索道(ロープウェイ)技術の導入。
切り倒した材木を索道に吊り下げて、道路や川まで重力を利用して飛ばすんです。
トラックが入れるような道路が無い場合は、川の水を堰き止めて貯水&貯木。
ある程度貯まったら、堰堤を爆破して人工洪水と共に材木を流すんです。
その技術力と生産性は当時の地元の山仕事とは桁違い。
山主の個人経営では、切り出した材木を転がして落としたりしてましたが、麓に辿り着かないとか折れたりして歩留まりが悪かった。
落とせるような場所が無い場合は、林間に木道を作って、木材を積んだキンマを滑らせる。
キンマとは近代麻雀のことでは無くて、たぶん木馬(キンマ・木の馬)のこと。
キンマ師の仕事も命がけ。
油を塗った木道(線路の枕木状態)で重い材木を載せたキンマを麓まで滑らせて引いて行く。
足を滑らせれば材木の下敷き。
油でキンマを滑りやすくするか、足元の安全にために、滑りにくくするのかのドレードオフ(後述)ですが、当時は材木より人命が軽かったのかもしれません。
ブレーキは操縦用の長い棒に絡ませたワイヤーの締め付け具合だけ。
体力と腕と度胸と運次第という過酷な仕事です。
父の索道も命がけ。
ロープを支えるヤグラが崩壊し、ワイヤーが飛ぶ。
索道の滑車にぶら下がった材木 が終点で止まらずに激突散乱。
重力で下る材木と入れ代わりに、登りの滑車に乗る人さえいました。
父がこの技術を県外で習得したのか、中国大陸出兵時の軍隊でかは分かりませんが、一時はかなり稼いだみたい。
子供の私の仕事は、材木の皮むきや伐採後の土地で蕎麦の栽培、植林など危険度の低いものでした。
父は材木を売り払ったハゲ山に新たに杉などを植林し、それを投資物件として売り飛ばす。
そして次の山を買う、これが投機のワンサイクルです。
買い取りのリスク、伐採搬出のリスク、販売のリスク、更には命のシスクなどを引き受けて勝負!
正に山師です。
父の影響が私に伝わっているかどうかは分かりませんが、どちらも高血圧なのは嬉しくないです。
リスクテイカーは
有利なのか?
実父は今で言う起業家でリスクテイカーでしたが、冒頭の農家の方は祖父母と実母と養父を中心の小作農でした。
地主から農地を借りて、収穫から借地料を払うというもの。
農業だけでは生活できないので、養父は鍛造業(鍛冶屋)で働き、私もバイトしてました。
養父は90歳近いですが、今も機嫌良く暮らしています。
収穫から加地子(かじし)という借地料経営権料を払う方式なので、山師ほどリスクは大きく無い。
どちらが有利かと言えば、小さいサンプルながらリスクの大きい方だと思います。
ただし、しっかりした技術や情報を持っている起業家からすれば、実際のリスクは見た目より小さいんでしょうね。
要はリスクとリターンのバランスなので。
農業も林業も工業(鍛冶屋)も仕事は面白かった。
少年時代の自然に囲まれた生活は、今も季節の移り変わりを楽しむことに繋がっています。
大学進学のためにヒッチハイクで上京し、高田馬場の友人のアパートに転がり込んで、今度は大都会でのアルバイトをして今に至るです。
トレードオフで
選択は割り切る
私は学生時代に雀ゴロで少し稼いだものの、講義に出る時間が取れず留年。