【麻雀小説】中央線アンダードッグ 第6話:プロ【長村大】

 

中央線アンダードッグ

長村大

 

 

第6話

 

店のドアが開き、男が入ってきた。

年はおそらく40前後、グレーのスーツに白いワイシャツ、ネクタイ。これといって特徴はないが、どこかで見たことがある、ような気がしないでもない。「ホップ」の客ではない、あるいは他所の雀荘で一度くらい打ったことがあるのかもしれない。

 

(知ってるか?)

コニシに目線を送ってみる。コニシが横に首を振ったので、声をかけた。

「いらっしゃいませ、当店ははじめて……」

「あ、すいません、客じゃないんですよ」

ということはなにかの営業だろうか、コニシも怪訝な表情を浮かべている。

 

「えーと、わたくし『日本麻雀プロ協会』のムラヤマという者なのですが、もし良ければ店内にこのポスターを貼らせていただきたいのですが…」

男はそう言って、手に提げた紙袋から1枚のポスターを出して広げた。

 

「日本麻雀プロ協会、プロテスト受験者募集!」

ポスターには、雑誌でもよく見かけるトッププロ達の写真とともに、ゴシック体でそう大きく書かれていた。なるほど、新人募集か。

「あーいいっすよ、適当に貼っときますね」

店長の許可を得るでもなく、おれは店の壁にそれを貼った。そして、なんとなくコニシと顔を見合わせたのだった。

 

 

細かくは書かないが、結論から言うとおれもコニシもその春に行われたプロテストに合格した。会員を増やしていきたいという協会の思惑もあり、その年は例年より多くの合格者が出たが、それでも二人ともかなり優秀な成績で合格したはずだ。かくして、俺たちは晴れて「麻雀プロ」に成り下がった。

 

当時は、麻雀プロの人数自体が少なかった。おそらく今の1/10くらいだったろう。女性は数えるほどしかいなかったし、若いやつもあまりいなかった。その中で、ハタチそこそこの我々は比較的目立つ存在であった。「大学生」というバッジも目新しく映ったかもしれない、新人ながら雑誌の企画に呼んでもらうこともあったりして、そういう意味ではそれなりに順風満帆な船出と言えた。

 

だが一年目、おれは一番下のC2リーグをマイナスポイントで終えた。コニシはぶっちぎりの一位で、C1リーグに昇級した。

二年目にもコニシは昇級しBリーグ入りを果たしたが、おれはまたもや残留だった。年に40回か50回程度の試行回数、当たり前だが実力通りの結果が出るわけではない。ではない、のだが。

同時に、コニシは持ち前の人当りの良さもあり、麻雀界での付き合いを広げていた。トッププロが主催する研究会などにも誘われ、頻繁に参加していたようだった。対しておれは、そういうものにはあまり興味が持てないでいた……というよりは、かなり明確にその手の集まりを嫌っていた。

 

その頃の麻雀プロの食い扶持は、専門誌やスポーツ誌の麻雀コーナーでなにか書いたり、劇画の原作を手がけたりする、いわゆる麻雀ライターになるか、あるいは雀荘に勤務するかくらいしかなかった。そうでなければ、本業を別に持つしかない。

つまり、プロとはいっても麻雀そのものでは食えないのだ。

おれ達研究会やってますよ、食えないけれど一所懸命麻雀の勉強してますよ。そんなのただのエクスキューズ、傷のなめ合いじゃあないか。強さを追及したとて、その先になにかあるの?

 

もちろん、おれはおれで人のことなど言えるような生活はしていなかった。「本業」はまだ大学生であったが、すでに学校にはまったく行かなくなっていた。ただ大学生という肩書を維持するために、親に学費を払わせ続けているだけだ。大学生でありさえすればブラブラしてようが麻雀ばっかしてようが許される、これもまたエクスキューズだ。

 

「ホップ」でのアルバイトも続けていたが、回数は減っていた。

話が前後するが、麻雀プロ一年目の夏、高校生の頃から通っていたレコード屋でアルバイトを始めたのだ。渋谷東急ハンズの向かいの雑居ビルの4階、70年代80年代のイギリスのギターポップや、スペインとかフランスなどヨーロッパのインディーレーベル、スウェディッシュポップ、アメリカのパワーポップやもちろん日本のインディーズなんかの品揃えに強くて、レコードを買う金がないときでもしょっちゅう通っていた。

 

そのうちオカダさんという、おれより4つほど年上の店員さんと話すようになり、「ちょっと人手が足りないから手伝わない?」というどこかで見たようなパターンでアルバイトをするようになった。勤務中は好きなレコードかけ放題、というのも大変に魅力的であったし、少なくとも「ホップ」よりは条件もよかった。「ホップ」より条件の悪い仕事を見つけるほうが難しいが。

 

レコード屋の仕事は楽しかったが、特に好きだったのはポップ書きだ。レコード屋ならどこでもやっている、レコードやCDの紹介カード作りだが、これも自由にやらせてくれた。自分の好きな音楽をかけながら自分の好きな音楽のポップを書いてなおかつお金までもらえる。なんだただの天国か。そのときはそんな風に思っていた気がする。

 

ある日、店番をしていると、ふらりとオカダさんが入ってきた。もう一人、中年の男性を連れている。

「あれ、オカダさん今日休みっすよね?」

「あーそうなんだけど、ちょっと小山田くんに紹介したい人がいてさ」

中年が口を開いた。

「どうも、ミヤモトといいます」

「ミヤモトさんはほら、小山田くんも読んでるだろ、『ドーナツ・シーン』の発行人やってるんだよ」

ドーナツ・シーンとは、東京界隈でしか売っていない、ほとんどインディーと言っていい音楽誌だが、メジャー誌ではあまり扱われないシーンやバンドをたくさん取り上げてくれるので、おれを含む一部の好事家たちには人気があった。

 

ミヤモトが再び口を開く。

「いきなりだけど、『ドーナツ・シーン』のレコードレビュー欄、やってみない? 最初はまあ1枚か2枚、文量も少ないし、ギャラもほとんど出せないんだけど」

「え?」

ほんとにいきなりだったので、おれは面食らってしまった。

「ほんとはオカダくんに頼もうと思ってたんだけど、店の他にDJやらで忙しいみたいだからさ。売れっ子だもんなー」

「やめてくださいよ、ミヤモトさん」

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