中央線アンダードッグ
長村大
第45話
詳しくは書かない。
だが結局のところ、おれは実家に戻ることになった。どこにでもありふれている話、最大公約数的な着地である。日本式の麻雀を広めるためにアフリカ大陸に渡って彼の地で麻雀の祖として人々の尊敬を集めた、というような話は残念ながらない。ネットの巨大掲示板には北海道でパチンコの釘師をしていた、との噂もあったようだがそれも嘘だ。
金関係は親が、仕事やプロ活動関係はバベルの面々がそれぞれケツを拭いてくれていた。ごく控え目に言って、メチャクチャに面倒で大変だったと思う。おれは想像するしかなかったが、想像するだけで死にたくなった。穴があったら入りたかったが、穴も墓も掘る力がなかった。
麻雀プロもやめた。やめたといっても、会に届すら出していない、ただ一方的に連絡が取れなくなっただけだ。今に至るまで、それについて謝罪すらしていない。言い訳はなにもない。
麻雀プロとしてほんのちょびっとだけ名前が売れたからといって、何者かになったつもりなど毛ほどもなかった。これは本心だ。むしろ雀荘のゲストなど呼ばれてあごあし付きでギャラまでもらってちやほやされたりするのはむず痒かった、麻雀プロ如きにすいません、と思っていた。
だがそれももうない、元々何者でもないのが本当にただの無職となった。それはある意味では身軽になったということでもある、だがその代わりに別の大きな十字架を背負わなければならない。もちろん誰のせいでもない、ただおれのせいだ。誰かに嫌なことを押しつけて、それでもおれはのうのうと生きていく。そういう選択をしたということだ。
実家での生活は、ほとんど土中のモグラみたいなものであった。家から出ることはほとんどなかったし、昼間は頭から布団かぶって寝ていた。深夜にごそごそと起きだして、もぞもぞと動き始める。
家を出て行った頃のまま、十代だったおれの時間が居座り続けている部屋で、昔読んだ本を片っ端から読み返した。筒井康隆星新一安部公房遠藤周作村上村上サリンジャーケルアックギンズバーグバロウズ、阿佐田哲也その他その他その他、由緒正しき文学青年くずれのラインナップ。
別に意味があるわけじゃない、やることがないから読んだだけだ。それでもある種の本たちは一瞬の自己肯定感につながったが、自己肯定感など得てよいのかと自問自答するたびにそれも結局は雲散霧消した。おれもドサ健のように生きたかった、男はみんなドサ健に憧れる、女の子がみんなヴァレリに憧れるように。そして誰もドサ健にはなれない、わかりきったことだ。そんなことを考えたり考えなかったりしながら、外が明るくなればまた布団をかぶる。
不思議と音楽はあまり聞かなかったように思う。一度大昔に買ったまま聞いていなかったロックバンドのアナログレコードをかけようと思ってターンテーブルに乗せてみたら、いつの間にか壊れていて動かなかった。時給7百円のバイトで買ったテクニクスの動かないターンテーブルは、いまだに動かないまま家の中のどこかでうずくまっている。
鬱々としたモグラ生活であったが、しかし体調は徐々に回復しているようだった。昼間に活動する気力がなかったので病院にもまるっきり行けなくなっていたが、薬もあまり欲しくなくなっていた。気分爽快であるわけはないが、希死念慮も薄くなっているように感じていた。
自分でひり出したクソを周りの人間に投げつけまくった挙げ句そのど真ん中で悠々と寝ているのだ、我ながら図々しいにもほどがあると思う。だがとりあえずの金の心配やすべての人間関係を考えなくてよくなったのは、確実におれを楽にしてくれた。現実というのはどこまでも現実的であり、現実的に生きるというのはおれにはだいぶんと難しいことのようであった。
いつのまにか30に近い年齢になっていた、なってしまっていた。むろん「〇才ならこうあればならない」的盲目さは理解できなかったが、それでも世間のみなが当たり前にできていること、たとえば学校に行って卒業して働いて税金払って結婚して親孝行するみたいなことがなに一つできていないことに対する引け目がまったくないといえば嘘になる。だが同時にそういう風には生きられないみたいだ、ということをようやく身をもって知った。今までやってきた仕事や人間関係のおよそすべてをしくじってきて、ようやく理解した。
二月ほどの引きこもりを経て、結局おれはまたもや家を出ることにした。理由はシンプルで、退屈になったからだった。ヒマはいい、だが退屈はダメだ。喉元過ぎれば、と言われるだろう、だがまさにその通りである、反論はない。
当然親は心配してくれたが「大丈夫大丈夫」と言うしかなかった、根拠はなにもない。大丈夫じゃないかもしれないが、そんなことは未来のおれに聞かなければわからない。未来のおれに会ったことはない。
諸々の世話になった金は、少しずつだが月々返済していく旨を伝えた。もちろん約束はできない、だがそうしようと思った。
最初に入った不動産屋に最初に紹介された物件に住むことを決めた。場所はまたもや阿佐ヶ谷、家賃も広さも間取りも以前と同じようなアパート、既視感でクラクラする。だが気に入った。
これからはできる限りなにかに所属しないで生きよう、と思った。無理なことはわかっている、だがなるべく、だ。いずれ最後は迷惑かけるのだから、繋がりは薄いに越したことはない。
引っ越し屋のトラックが出る寸前に、おれは忘れ物を取りに行った。
壊れて動かないターンテーブルと共に、おれは再び阿佐ヶ谷に向かった。
第46話(9月11日)に続く。
この小説は毎週土曜・水曜の0時に更新されます。