西原理恵子 & 山崎一夫 【祝100回】若いうちにたくさん旅行しましょう!

若いうちにたくさん
旅行しましょう

この春に大学を卒業した、たぬの元女子クルーは、卒業前にしばらく国内旅行に出かけてました。

「貧乏旅行ですけど、楽しかったです。就職するとあまり長い休みは取りにくいと思いますから」

別の現役女子クルーは、10日くらい店を休んで、フランス行って来ました。

「いいなあ、私も若いころに行ったけど、もう一度行きたい」

私は国内旅行は温泉の取材などで、毎月出かけますが、悲しいことに海外旅行はもう何年も行ったことがありません。

 

若い頃から、本当は旅行好きなので、たまには行ってみたいんですけどね。

最後に行ったのは、私が銀玉親方時代に、「パチンコ必勝ガイド」の編集長だった末井昭さんたちと、台湾にパチンコの攻略法を試しに行った時。

確か、「週刊プレイボーイ」と「必勝ガイド」のタイアップで、「週プレ」が経費を出し、「必勝ガイド」は情報を提供する、という組み合わせでした。

残念ながら、日本で威力を発揮した攻略法は、台湾ではまったく使えずに、企画はまさに企画倒れに終わってしまいました。
それもそのハズ、同じ見た目の台でも、台の遊戯性がまったく違っており、中身のプログラムも全然違うんです。

大当たり数字が3なら3連チャンし、10なら10連チャンという、日本では禁止されている、超ギャンブル台なんです。
しかも当時の台湾では。1人で何台打ってもOKなので、2台同時に当たった人なんか、もう狂喜乱舞してましたよ。

だって当時の現地の給与水準からすると、月給以上の大当たりのハズですから。

私たちは、攻略法こそ不発だったものの、現地の観光やパチンコ事情を経験できたのは楽しかったし、読者のみなさんにも、色んな情報が提供できました。

今は少なくなりましたが、私たちの若い頃は、ヒッチハイクなどの貧乏旅行がわりと一般的でした。
若い頃というか少年のころからヒッチハイクをしてました。

私は西原理恵子さんと同じ高知県出身ですが、中学生のころには、四国中をヒッチハイクと野宿で旅行しました。
1人の時もあれば、悪友たちといっしょのこともありました。

清流で有名な四万十川の河口の砂浜にテントを張って寝ていたら、深夜に満ち潮になって危うく溺れそうになったことがあります。
土讃線の「秘境の駅」として、鉄道ファンの間で有名な坪尻駅という無人駅の線路脇で寝たこともあります。

記憶は定かではありませんが、当時は駅舎が無かったんでしょうね。元もとは四国山脈の急峻な谷底を埋め立てた信号所で、人の乗り降りはがとんど無い駅です。

信じられないかもしれませんが、当時の列車は汚水タンクが付いて無い車両が多くて、不運にも、誰かが用便中の列車がテント脇を通過し、ひどい目に遭いました。

もっと危険な目にも遭いました。雨の日に同乗させて貰った軽トラックが。トンネルの手前で先行車を抜くために、対向車線ははみ出して並走。急にトンネルから大型トラックが飛び出して来たんです。

元の車線には戻れずに、そのまま道路の右肩に回避。ガードレールの切れ目に飛び込んで、そのガードレールの端に衝突して止まりました。

衝撃があった足元を見ると、ドライバーと私の足のちょうど真ん中に、ガードレールが突き刺さってました、ドライバーの腕が良かったのか、運が良かったのか、私たちの両足は奇跡的に無事でした。

 

別の時の乗用車が対向車を避けきれずに田圃に横転したこともあります。

今は当時よりもヒッチハイクは難しいと思います。
もし事故が起こった時に、善意で乗せてあげたヒッチハイカーから、損害賠償を請求される可能性を考えると、昔のようには簡単に乗せなくなっていると思います。

ただしヒッチハイクの原則は「数打ちゃ当たる方式」なので、「乗せて貰えるまで待つ」を徹底すればいつでもどこでもできます。

昔のヒッチハイクだって、乗せて貰えない人はたくさんいたんですから。

 

他の安い交通手段として無難なところでは、青春18きっぷ(年齢制限無し!)や夜行高速バスなどがお薦めです。

寝るのは車内泊、野宿、B&Bホテル
カウチサーフィン?

高校時代は、四国を出て全国をヒッチハイクで旅行しました。
当時は瀬戸内海に本四架橋が無い時代なので、四国を出るのには、宇高連絡船(宇野と高松間)や他のフェリーを利用しました。

ヒッチハイクした車に乗ったまま、フェリーに乗ることもあれば、歩いてフェリー乗り場まで行って、助手席に乗せて貰うこともありました。

これは当時タダで海を渡る常套手段でした。兵庫県の明石の競艇ファンは、この方法で徳島県の鳴門競艇場まで遊びに行ってました。

しょっちゅうヒッチハイクをやっていると、数打ちゃ当たる方式の基本は変わらないものの、徐々に上手になりました。

●道路の場所の良しあしでは、上り坂の入り口も坂の途中も、車が止まってくれない。
●登り切って、道路が平らになる所は悪くない。
●見通しの悪いカーブの内側は危険。外側か直線のほうが良い。
●車が近づいてきたら、あまり早く手を挙げっ放しにするのではなく、じゅうぶん引きつけてから挙げる。
●タイミング早過ぎると、「乗せようか、いや止めておこう」とドライバーが判断する時間ができる。
●手を挙げて、ブレーキを踏み始めたら、すぐに車に近づいて、乗り込む体勢をアピールする。
●モタモタしてると、反射的に履んだブレーキを戻してしまうことがある。
●東名高速道路の入り口など、長距離の移動の場合でも、行先表示のボードは中距離にする。
●高知に行きたくても、1台では無理なので、静岡や名古屋あたりとか。
●乗った車が大阪行きだったら、相談してみる。あまり長い距離と時間は相手の迷惑も考えます。

 

乗せて貰ったら、私の場合はささやかなお礼として、キャラメルやタバコなどをプレゼントしてました。

ところが逆に食事をご馳走してくれたり、自宅に泊めてくれる人もたくさんいました。

福井県の曹洞宗永平寺の近くで泊めてくれた、山間部の旧家の方は、夕食、宿泊、朝ごはん、お弁当まで持たせてくれたほどです。

北海道を目指して、日本海側を北上していたら、台風で道路が寸断し、やむなく糸魚川沿いに南下して信州に向かい
予定外の上高地に遭遇しました。

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