ライター稼業ができたのは
ほとんど麻雀繋がり
自分がやってきた仕事の話をちょくちょく書いてますが、今回は肝心のライター稼業について書かせて貰います。
もしかしたら、みなさんの中にも、麻雀ライターやパチスロ・ライターなど、自分が好きで得意な分野のライターに、なりたい人がいるかもしれませんね。
近代麻雀で30年、その前の学生時代から、スポーツ新聞や、タウン誌やエロ雑誌に書いてたので、ライター歴はけっこう長いです。
学生時代と言っても、私は在籍期間が7年と長かったので、原稿料を貰うようになったのは、二十代なかごろだと思います。
原稿を書くこと自体は、高校生のころからやってました。
今も東京で付き合いのある、私の友人が、高校の生徒会の副会長をやっており、時々私が彼のスピーチ・ライターを引き受けていたんです。
彼は他校に出かけてまで喧嘩をする、評判の乱暴者だったので、どうして副会長になれたのか不思議です。
彼の動機もやや不純でした。生徒会長が自分の好きな女生徒だったので、交際のチャンスを作ろうとしたようです。
投票に不正があったり、恐喝したワケではないので、乱暴者なりに人気があったんだと思います。
私は生徒会とは関係なかったんですが、たまに学校側に要求と交渉することもあったので、それらの草案や
原稿は書いてました。たとえば
「秋のスポーツの親善試合で、他校生徒との私的な会話を禁止してるのは、親善試合の趣旨に反する。
自由に付き合えるようにルールを変更して欲しい」
「予定されている卒業式のやり方に不満がある生徒が多い。要望をまとめたので、次のように変更して欲しい。
返事が無い場合は、有志がボイコットする」
などです。
実際の私には、みんなにボイコットさせる力は無いんですが、まあ、ハッタリですかね。
かつての麻雀仲間であり、ライターの木村和久さんによると
「麻雀と同じで人生は運だね。若い女性が家出して東京でウロウロしている時に、実力のある映画監督にスカウトされてばスターだし、AVの監督に声をかけられたら、AV女優だもん」
らしいです。
私に女優じゃなくてライターの声をかけてくれたのは、やはり麻雀仲間で風俗ライターのなめだるま親方こと、島本慶さんです。
「ヤマちゃんは、博打打ちには珍しく、ツキや流れの話をまったくしない。高田馬場のタウン誌で麻雀の必勝法を書いてくれないかな、ギャラは安いけど」
その後、色いろな紙媒体で書かせてもらうんですが、中には「ビニ本パンチ」という、エロ本(ビニール袋入り)紹介の専門誌までありました。
ほとんどが記名記事ですが、中には無記名記事もありました。
そうそう、ライターにはこの2種類の分け方があり、プロのライターの数では、無記名のライターのほうが多いんです。
世の中には無記名の記事のほうが、圧倒的に多いですもんね。
私に近代麻雀の編集者に紹介してくれたのは、やはり麻雀仲間で「平凡パンチ」の編集者の梅ちゃん。
お二人は、新宿のゴールデン街の飲み仲間だそうで、近代麻雀のMさんは
「短期連載の予定だけど、麻雀プロではなく、巷の麻雀と麻雀打ちに詳しい人を探している」
相談したそうです。
当時としてはユニークな編集者のアイデアが、私のところに回ってきたのは、今思えばラッキーでした。
ギャンブル・ライターって
商売は成り立つの
ギャラを貰うライターとは言うものの、当時の実際の生活基盤は、20代終わりから経営していた弁当店です。
先の高校時代の友人がやっていた店の一つを、譲って貰ったんです。その後支店を作ったり、今とは違う雀荘を経営してましたが、途中でパチンコにハマってしまい、全部倒産してしまいました。結婚して子供が2人いるのに、ダメ人間ですね。
漫画家の西原理恵子さんを、近代麻雀の編集長に紹介してもらったのもこのころ。
近代麻雀に連載を始めたばかりの西原さんの絵に衝撃を受けた私が、無理を言って紹介してもらったんです。
島本さんプロデュースの「週刊プレイボーイ」のパチンコ連載のイラストも西原さんにお願いしました。
「ヤマちゃん、どこでこんな才能のある人見つけたの?」
と喜んだのは、島本さんと週プレの担当編集者です。
ここらへんは、島本さんも担当さんも末井さんも私も、好みが似ているようです。と言うか、西原さんにそれだけのパワーがあるんでしょうね。
無理は言ってみるものです。みなさんもコレと思ったら言ってみましょう。
麻雀やパチンコなど、特にギャンブルに関しては、私は凝り性のようです。
学生時代にパチンコ店で正社員で働いていたこともあり
「公営ギャンブルと違って、法的にグレーなギャンブルは、市場原理が働くので勝ち目がある」
というのが私の信条でした。
また、一般向けの科学雑誌「ニュートン」を創刊号から愛読していたので、多少は確率や統計の基礎知識もありました。
パチンコの一発台(大当たり確率3000分の1くらい)が登場した時には