ヤクザの代打ちって
本当にあったの?
かつて亜空間殺法という麻雀戦術で一世を風靡した人物が、安藤満プロでした。
安藤さんとは麻雀の良きライバルであり、盟友でもあったのが、今でもある麻雀プロ団体の要職にあるYさんです。
「ヤクザの代打ちもずいぶんやったなあ」
恐ろしいことを、こともなげに言うYさん。
ヤクザの代打ちって言うと、漫画の世界のようですが、Yさんによると、当時の東京の歓楽街では、あたりまえだった。
Yさんを代打ちに紹介したのは、旧友の安藤満プロでした
「オレはその当時、身内に慢性病の病人を抱えてて、治療のための金が欲しかった。
事情を知っている安ちゃんが、金になるからと紹介してくれた。
初めてベンツが迎えに来た時は、それだけで緊張したよ」
当時も今も、やはりベンツは定番なんですね。
「ベンツで連れて行かれたのが、都心の高級マンションの一室。中に入ってビックリ。
床には虎の敷物があって、周りには武具甲冑壁が飾ってある。 壁には神棚が祀ってあり、その周りを提灯が飾っている。まるでヤクザ映画そのものだった」
「そこで麻雀をやったんですか?」
「いや、そのままずいぶん待たされた。周りはヤクザまる出しの男たちばっかりで、聞こえて来る話はヤバい話ばっか。
おまけに拳銃まで出すヤツがいるんだもん。安ちゃんは、こんな所で良く平気だったと感心したよ」
代打ち麻雀はさらに場所を移動して、大き目の一軒家が会場になっていたそうです。
「ヤクザの親睦団体が主催する、いわゆる回り盆の義理掛け麻雀だな。
今月はあの組の主催で、10卓くらいのテラ取り麻雀をやると」
テラ取りとは、テラ銭・手数料の徴収のこと。
「麻雀そのものはワントップ30万円くらいだった。
座り一万と言って、東風戦の卓に着いたとたんに、一人一万円ずつ合計4万円徴収される。これがその時の主催者の取り分」
すごいですね~。
東風戦は20分くらいで終わるから、1時間に1卓10万円以上。それが10卓ってことはもしかして1時間百万円?
「一晩に一千万円以上のアガリがあったんじゃないかな。
俺は勝負事には運が良くてね。緊張して入った賭場だけど、たまたま相手の代打ちが、これまで俺がやっつけて来たのが2人いたんだ。
向こうはイヤな顔をしたけど、こっちはそれで自信がついた。麻雀に限らず、勝負事は精神面の影響が大きいから」
けっきょく代打ち初日は、朝まで打って、連対利率9割の絶好調だったそうです。
「麻雀はマークされた方がいい。勝手に相手が手を縮めてくれる。安藤満の亜空間殺法だって、マークされるから有効なんだ」
当時、安藤満プロと組んだ勝負は、ほとんど負け無しだったという。
「ガミ無し(負け無し)コンビだったね。安藤はプレッシャー強い。気違いじみた勝負は、多少クルクルパーじゃないとダメ。安ちゃんはぴったり」
アンタが言うな!
その後Yさんは、故阿佐田哲也先生や、小島武夫プロに呼び出しを食いました。
「噂は聞いたがやっぱりお前か。プロ団体立ち上げの時に、なんてことをしてるんだ」
と諭されて、足を洗ったそうです。
「公式のプロになって自分の店を持った時に、かつての親分さんが遊びに来てくれて言われたよ。フリー雀荘のゲーム代は、ヤクザのテラ銭よりも比率が高いって。そりゃ、レートが違うからね」
昭和レトロな
勝負師たち
「先生この勝負参りました。私を麻雀の弟子にしてください」
Yさんに土下座をせんばかりに、弟子入り兼カバン持ちを申し出たのが、Yさんとの数週間に及ぶ勝負に敗れた浩太さんでした。
私は浩太さんとは学生時代からのつきあいだったので、Yさんに弟子入りしていたことに驚きました。
若いころの浩太さんは、人に頭を下げるようなヤツじゃなかったし、ましてや麻雀には絶対の自信を持っていた。
余談ですが、浩太さんの遊び仲間に、当時人気絶頂中に引退したばかりのアイドル歌手Mさんがいて、良くいっしょにナンパしてた。
浩太さんはダンサーとして日本一にもなったこともあり、ナンパの成功率はバツグン。
当時ツルんでいた、学習院大がのお金持ちの学生もいっしょにナンパするんですが、たいていの場合、学生君がレジでお金を払っている間に、2人と女の子は消えてしまっていたそうです。
当時若かった浩太さんですが、ギャンブル特に麻雀では、誰に対しても引かなかった。
地元の年上のヤクザ兄弟にサシウマ勝負を挑まれても、堂々と受けていました。
「若いの、俺たちとサシウマを一本ずつ握るか」
「一本がいくらか知らねーが受けてやるよ。やるんなら往復ビンタまで付けようじゃないか」
とかね。
さらに余談ですがこの兄弟、まったく似てない。
浩太さん曰く、
「ありゃ、腹違いかタネ違いだな。もしかしたら両方違いかもしれない」
それじゃ兄弟じゃないだろ。
その浩太さんが、Yさんにはまったく歯が立たずに、弟子入りをしたというワケです。
浩太さんは、麻雀プロのかたわら、都内でおしゃれなバーを経営したり、芸能プロダクションを作ったりと、事業も拡大しておりました。
ところが、信頼していた部下に金の持ち逃げをされた、という噂を聞いてから、しばらく連絡が取れなくなってしましまいました。