中央線アンダードッグ
長村大
第12話
いつもと同じ帰り道、市ヶ谷の釣り堀、新宿で乗り降りする人人人、中央線らしさが始まる中野、そしておれの家がある阿佐ヶ谷で降りる。
阿佐ヶ谷駅も、近隣の中央線沿線と同様、駅周りにいくつかの商店街をかかえている。もっとも大きいのがアーケードのあるパール商店街で、駅から青梅街道まで、700メートルの長さがあるらしい。あとは駅直結のダイヤ街、スターロード商店街、ゴールド街などがあるのだが、なぜどれもやたらとキラついた名前なのかは謎だ。
ゴールド街に向かう。ここはなんというか、商店街ではあるのだが、高円寺駅方面に向かう高架下に作られた二階建ての建物でもある。入口に可否茶館という喫茶店、中には飲食店をメインに、薬局や地域の小学校御用達の靴店などが並んでいる。昭和42年の開業らしいので、この頃とて古い部類の建物であろう。
だが結局はここも、数年前に貸主であるJR東日本との裁判の末取り壊し、テナントはすべて撤退して跡地にはなんだか小ぎれいなお店がいくつかできるという、まさに再開発テンプレそのままの結末を迎えることになる。
一階の端のほうにある「クロンボ」というちょっとすごい名前の洋食屋の向かい、「江戸竹」に入る。なんの変哲もないただの和定食屋ではあるが、妙に狭くて薄暗い感じが気に入っていた。当時は習慣的に酒を飲むということがなかったので、まさにメシを食うだけである。
油断すると到底食いきれない量が出てくる、天ぷら定食(上)1500円なりを注文して、タバコに火をつける。
最終手番で危険牌を押しているのだから、誰の目にもテンパイは明白だ。そもそも打ってもオリても同じ2着落ちなのだから、ここでオリる手はない。だが、ハイテイまでの残り2牌、リーチしている下家、ハイテイのコニシからアガリ牌が出なければ、伏せてノーテン宣言をしようと決めていた。
正直言えば、ほとんどどちらでもよかったのだ。手を開いてテンパイ宣言をしてもいい、連荘でもう1局だが、トップで終われる可能性は十分ある。
トータルポイント的にも、どう転んでも大差がない。1位だろうが2位だろうがそれ以下だろうが、勝ち上がりさえすれば一緒だ。
だがもし連荘して、次局3巡目になにげなく切ったが大三元字一色のダブル役満にブチ当たってハコ下2万点のラスになり、なおかつ予想外ににボーダーのポイントが上がって、勝ち上がりを逃したら。ほとんどない可能性ではあるが、伏せれば100%勝ち上がりである。
だから、伏せた。
伏せればコニシは敗退する。
もちろんコニシも覚悟はしていただろうし、逆の立場でも同じように伏せるだろう、おそらく。
正しい選択だったとは思っているが、正しい間違っているとは別の、自分でもよくわからないゴニャゴニャとした感情にまかせた思考、あるいは己の傲慢に辟易としながら、現実的には目の前に置かれた大量の天ぷらを片付けて外にでた。味はよくわからなかった。
ともあれ勝ち上がったのだ、すでに名前のついている、そしてまだ名前のついていないさまざまな感情の中から、「嬉しい」だけを抽出できれば簡単なんだけど、と思ってみたりもした。
最終予選は2週間後に予定されていた。
その間おれは、当たり前だが日常を続けていく。麻雀牌に触れる日もそうでない日もあったが、どういうわけか打てば勝っていた。特にゲンを担いだりするほうではないが、やはり勝っているのは気分がいいし、根拠はなくとも自信めいたものができる。
実力が急激にあがったりはしない、だが同じ実力であれば、自信のある状態のほうが良い結果を生みやすい。迷いがなくなるし、失着があっても素早く切り替えられるからだ。「麻雀はメンタルゲームだ」とはよく言われる言ではあるが、メンタルで配牌やツモが変わるわけではない、実力を出し切れる状態を維持できるかどうか、ということだろう。その意味で、この時期のおれはかなりいい状態だったと思う。
だからというわけではなく、基本的には「ツイていた」からなのだが、最終予選もあっさりクリアしてしまった。32人中8人、ついに本戦出場権獲得である。他の面々はいずれもベテラン勢、各団体のトッププロばかりであり、22歳C2リーグ所属のおれは異色といって差し支えない。
よく言えば期待の新鋭、普通に考えればフロックで勝ち上がった若造といったところだろうか。少なくとも業界的にはそう思われていたようであったが、おれ自身はあまりなにも考えていなかった。
それよりも、本戦に行けるのは純粋に楽しみであった。会場は東京・九段下にある名門ホテルであり、「ホテルで麻雀を打つ」というのもなかなかない機会であろう。
おれとしては珍しく、ああ早く本番の日が来ないかな、という高揚した気分で日々を過ごしていた。
第13話(5月18日)に続く。
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