小島武夫プロは
魅せる麻雀を追い続ける
新撰組と小島武夫プロを売り出した最大の功労者は阿佐田哲也先生だと思いますが、それをバックで支えたのは当時の編集者のみなさんです。
週刊大衆の編集長と一緒に、麻雀名人戦を作り運営し、さらに観戦記を書いていたのがMさんです。
年配の麻雀ファンはご存知かもしれませんが、「攻撃麻雀」(双葉社・ペンネーム井上康)などの著書がある人です。
Mさんは時々私の店に顔を出してくれるので、若き日の小島プロや麻雀新撰組の話を聞かせてくれました。
「裏スジってネーミングは小島さんだったと思うなあ。似たような概念は昔からあったけど、小島さんがちょっと不良っぽく名付けたら、ファンの間でしっくり来たんだろうね」
今も裏スジや間4軒は、待ち読みの基本として重宝されています。
「でも小島さんはハンディもあった。誌上でカッコいい麻雀を打ちたくて、どうしても手が遅れる。今はデジタルとか言うらしいけど、昔から足の速い麻雀打ちはいたからね」
麻雀名人戦は小島武夫の強さを証明するために作られたようなもの、とまで言われたこともありました。
「ちっとも勝ってくれない。でも、見てておもしろいし、観戦記も書きやすいんだけどね」
これは私もライターなので良く分かります。
小島プロいわく、
「プロはね、後ろ見してるファンに打牌を感心されてる程度じゃダメなんだ。予想外の打牌をして、それが結果に結びつくのが、ボクが目指すプロなんだ」
だいぶ前の竹書房の最強戦で、小島武夫プロがピンズをたくさん河に散らしてリーチ。
「これで一本抜けてる3メンチャンだったらイメージどおりだけど」
と思ってたら、それを一発で引き上がって、周りを大いに沸かせてました。
現在の速攻麻雀に比べると、アガリの速度と頻度は落ちますが、麻雀の楽しさを分かりやすく伝えてくれます。
また、小島プロなどといっしょの舞台に上がって、麻雀業界を応援してくれる、作家やスポーツ選手や俳優もたくさんいました。
ある大物歌手は
「小島プロと名人戦にどうしても出たかったので、何とかやっとマネージャーを説得した」
そうです。
マネージャーにしてみれば、
「ディナーショーなどで稼いで欲しいのに」
ということでしょうが、麻雀には、そういう魅力があるんです。
麻雀も麻雀プロも
ますます繁栄する
「あの頃はずいぶん稼いだけど、使うほうもハデだったから、金は残らなかったねえ」
残らないどころか、実は借金のほうも多かったんです。
そのひとつは銀座などのバーのツケ。
テレビ出演や色んなジャンルの著名人との交友などで、小島プロ自身が有名です。
「ツケでもいいから来てください」
と言われるんだそうです。
「ママがいい女でねえ。ツケを返しに飲みに行っては、もっと増やしてくるんだから、まあ、無くならないわな」
そのうち誘いの電話が来なくなり、小島プロのほうから連絡したら、もう来ないでくれと言われた店が何軒もあるそうです。
借金は酒と女だけではありません。
雀荘経営の失敗もあります。
一時は全国に何軒も「小島武夫の店」があったんですが、今はあまり見かけなくなりました。
「ボクは現金商売には向いてないね。たとえ赤字でも、レジの金で遊びたくなっちゃう」
ある事業では、私は小島プロに資金を提供していた方にも話を聞きました。
「先生は、売上と利益の区別がつかないんじゃないかと思うほどのどんぶり勘定でしたよ」
小島プロに確認してみました。
「あれは返してなかったかなあ?」
もしや借金の件数が多すぎて、どれだか分からないとか?
「いや、確か共同経営だったし、高い金利も払ってたから、まあチャラだわな。ガハハ」
数年前、小島武夫プロが自叙伝「ろくでなし」(徳間書店)を出版しました。
その出版記念パーティーでのことです。
「先生、ひとでなしにサインお願いします」
「いいよー」